7番目の首をご紹介してから随分時が経ってしまいました。
8.何にても道具の扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれ
点前には、運びと棚物点前とがあり、この首は特に運びの点前のことを言っている。道具を扱う度に、持ちあげる手は軽く、置き合わせる手は重くする。
水指など重い物を運び出す時は、実際かなり重いのだが、亭主は持ちあげる時は重そうにせず、軽く持ち上げるようにする。重い物を重そうにもつと、客の目に如何にも重いという気持ちを与える。一方、棗や茶碗などの軽い物を運び出す時は、軽いが、軽々しく持つと道具自体が一層軽い感じを与えてしまうので、少し重々しく扱う。
道具を運び出し、畳に置く瞬間、さっと手を離してしまわずに、ゆっくりと手を引くと道具を大事に扱っているように見えるから、置く手は重くする方が良い。
点前の順番を覚えている最中というのは、道具の置き場所や持ち方ばかりが気になって、どう扱うかなど全く考えた事はなかったが、点前が美しいかどうかのポイントのひとつとして、道具の扱い方によると最近強く感じる。社中の先輩の道具の扱いでも美しいと感じる時は、持つ手の形であったり、手の動線であったり、道具を置いたり、離す時の微妙なタイミングだったりする。点前の中でも、棗や茶杓を持ち上げ、蓋をあけ、茶を茶碗に入れ、蓋を閉め、定座に棗を置くなど、その動き次第で棗や茶杓が軽く感じられることがある。実際の茶事ならば折角の道具が扱いで客に軽くみられるのではもったいないことになる。
私は運び点前が好きなほうで、炉と風炉の切り替え時期には、必ず運びで薄茶と濃茶の平点前をするようにしている。自分なりに意識をして、点前座に水指や棗、茶碗を運びこんだり、運びだしたりしたいと思う。
重いものを重いようには持たず、軽いものを軽いようにはもたないということ自体、お茶を学ばなければ考えもしなかったことだが、知ればなるほど、と納得できる。日本人の相手への心くばりの表れでもあるのだろうか。
8.何にても道具の扱ふたびごとに 取る手は軽く置く手重かれ
点前には、運びと棚物点前とがあり、この首は特に運びの点前のことを言っている。道具を扱う度に、持ちあげる手は軽く、置き合わせる手は重くする。
水指など重い物を運び出す時は、実際かなり重いのだが、亭主は持ちあげる時は重そうにせず、軽く持ち上げるようにする。重い物を重そうにもつと、客の目に如何にも重いという気持ちを与える。一方、棗や茶碗などの軽い物を運び出す時は、軽いが、軽々しく持つと道具自体が一層軽い感じを与えてしまうので、少し重々しく扱う。
道具を運び出し、畳に置く瞬間、さっと手を離してしまわずに、ゆっくりと手を引くと道具を大事に扱っているように見えるから、置く手は重くする方が良い。
点前の順番を覚えている最中というのは、道具の置き場所や持ち方ばかりが気になって、どう扱うかなど全く考えた事はなかったが、点前が美しいかどうかのポイントのひとつとして、道具の扱い方によると最近強く感じる。社中の先輩の道具の扱いでも美しいと感じる時は、持つ手の形であったり、手の動線であったり、道具を置いたり、離す時の微妙なタイミングだったりする。点前の中でも、棗や茶杓を持ち上げ、蓋をあけ、茶を茶碗に入れ、蓋を閉め、定座に棗を置くなど、その動き次第で棗や茶杓が軽く感じられることがある。実際の茶事ならば折角の道具が扱いで客に軽くみられるのではもったいないことになる。
私は運び点前が好きなほうで、炉と風炉の切り替え時期には、必ず運びで薄茶と濃茶の平点前をするようにしている。自分なりに意識をして、点前座に水指や棗、茶碗を運びこんだり、運びだしたりしたいと思う。
重いものを重いようには持たず、軽いものを軽いようにはもたないということ自体、お茶を学ばなければ考えもしなかったことだが、知ればなるほど、と納得できる。日本人の相手への心くばりの表れでもあるのだろうか。
わかりやすいけど、実行するのは難しいですよね。
茶道は手の動きがとても大事だなあと、折に触れ、痛感しています。
わざとらしくなく動いたり運んだりするのは、修練が必要ですねー。
本当に、実行するのは難しい。
手の動き次第で、点前の印象って本当に違いますね。少し意識すると格段にきれいになったり。
つい自分の癖がついてしまうので、意識してがんばらなくちゃ。
流れにも緩急が必要。同じ流れではだれてしまう。
そして無になって、お茶が点てられる様にならなければ、、、。
先は長いです~
本当にお茶はやればやるほど奥が深くて、、、、楽しいですね。
無になってお茶を点てる境地、死ぬまでになれるだろうか~。
がんばります。