昨日、奥さんの実家から連絡があって、実家で買っていた猫の「テト」が亡くなったとのこと。
享年19歳。前日まで自分でちゃんとご飯を食べていたそうだが、朝、ご飯をあげに行ったときには冷たくなっていたのだという。
実家では1年以上も前からヨボヨボしはじめたのに気づき、「そろそろ」と話はしていたそうだ。
子供に話すと、やはりショックで、「テトは?どこ行っちゃったの?」「テトに会いたい!」「テトに会えないのさみしい!」と嗚咽を漏らして泣いていた。
子供の読んでいる「おおはくちょうのそら」という絵本の中で、子供の白鳥が死んでしまい、最後に北の空にその子供が浮かび上がるという話があるのだが、「死」というものが、子供にとってなんとなく「キレイなもの」というイメージで刷り込まれていると思い込んでいた。
また、救急車が通るたびに「あれは死んだ人が乗るんだよね?」と、いくら訂正しても間違いを言い続けていたので、親としては「死」に対する認識がまだ出来上がっていないと思い込んでいた。
しかし、今回のことで、子供に対する認識を改めると共に、本人にとっても身近な「死」を体感したことになる。
何歳になっても悲しい出来事であるには変わりないが、これがもっと身近な祖父や祖母、まして自分や母親であったとき、どれほどの悲しみとショックを味わうことになるだろう。
そんなことを考えると、総簡単には死ねないなと改めて思う今日この頃。
槇原敬之の「Hey...」を聞きながら・・・。
享年19歳。前日まで自分でちゃんとご飯を食べていたそうだが、朝、ご飯をあげに行ったときには冷たくなっていたのだという。
実家では1年以上も前からヨボヨボしはじめたのに気づき、「そろそろ」と話はしていたそうだ。
子供に話すと、やはりショックで、「テトは?どこ行っちゃったの?」「テトに会いたい!」「テトに会えないのさみしい!」と嗚咽を漏らして泣いていた。
子供の読んでいる「おおはくちょうのそら」という絵本の中で、子供の白鳥が死んでしまい、最後に北の空にその子供が浮かび上がるという話があるのだが、「死」というものが、子供にとってなんとなく「キレイなもの」というイメージで刷り込まれていると思い込んでいた。
また、救急車が通るたびに「あれは死んだ人が乗るんだよね?」と、いくら訂正しても間違いを言い続けていたので、親としては「死」に対する認識がまだ出来上がっていないと思い込んでいた。
しかし、今回のことで、子供に対する認識を改めると共に、本人にとっても身近な「死」を体感したことになる。
何歳になっても悲しい出来事であるには変わりないが、これがもっと身近な祖父や祖母、まして自分や母親であったとき、どれほどの悲しみとショックを味わうことになるだろう。
そんなことを考えると、総簡単には死ねないなと改めて思う今日この頃。
槇原敬之の「Hey...」を聞きながら・・・。