今日は、日曜日に亡くなった夫の叔父の葬儀でした。
お通夜だった昨夜は、叔母から、通夜振る舞いを一緒にと言われ、
他の家族や親戚とともに、義母と夫とモーリーもご飯をいただきました。
そして、こういう機会はめったいにないからということで、夫を含む
酒を飲みたい人たちのおかげで賑やかなお通夜になりました。
明けて葬儀の今日。
急な叔父の死で、誰もが信じられないまま。
50代のモーリーもこの歳になってようやく、死ぬことが身近に迫っていることを
実感するようになりました。
誰もが平等に迎える死という最期。
わかってはいるけど、普段は遠ざけたい、考えたくないと思ってる。
でも、死んだら自分も今日の叔父のように小さな骨壺に入るんだ、間違いなく。
そう思うと、どうやって生きるかという問いが自分に迫ってくるっていうか。
どうせ骨壺に入るなら、思いっきり自分の人生を楽しく生きたい。
生前の叔父に思いをはせながら、そうあらためて思いました。
それにしても、こういう場で年配の方々の昔話を色々聞けるのは貴重だから、
モーリーは昔話を聞くのが好きです。
みなさん苦労されて生きてこられたんだな、すごい。
今日は貴重な1日でした。
お通夜だった昨夜は、叔母から、通夜振る舞いを一緒にと言われ、
他の家族や親戚とともに、義母と夫とモーリーもご飯をいただきました。
そして、こういう機会はめったいにないからということで、夫を含む
酒を飲みたい人たちのおかげで賑やかなお通夜になりました。
明けて葬儀の今日。
急な叔父の死で、誰もが信じられないまま。
50代のモーリーもこの歳になってようやく、死ぬことが身近に迫っていることを
実感するようになりました。
誰もが平等に迎える死という最期。
わかってはいるけど、普段は遠ざけたい、考えたくないと思ってる。
でも、死んだら自分も今日の叔父のように小さな骨壺に入るんだ、間違いなく。
そう思うと、どうやって生きるかという問いが自分に迫ってくるっていうか。
どうせ骨壺に入るなら、思いっきり自分の人生を楽しく生きたい。
生前の叔父に思いをはせながら、そうあらためて思いました。
それにしても、こういう場で年配の方々の昔話を色々聞けるのは貴重だから、
モーリーは昔話を聞くのが好きです。
みなさん苦労されて生きてこられたんだな、すごい。
今日は貴重な1日でした。
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