マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 



(写真は後刻掲載)

 9月3日から12日まで、所用もあってフィンランドの首都ヘルシンキに行って来ました。

 フィンランドは人口約520万人、国土面積はほぼ日本と同じ(人口密度は1平方キロあたり17人)北欧の共和国で、スウェーデン、ノルウェー、ロシアと国境を接している他、バルト海を挟んで反対側にはエストニアがあります(フィンランドとエストニアは国歌のメロディーが同じとか)。
 主権国家として独立したのは比較的最近のことで、それまでは12世紀から6世紀近くに渡ってスウェーデンが支配。1809年のハミナ条約ロシア帝国領内の自治大公国となった(但し、法令や公用語はスウェーデンのものが残存)後、次第にフィンランド色が強められ(例えば、1863年、ロシア皇帝アレクサンドル二世が20年以内にフィンランド語をスウェーデン語と同等の行政言語として扱うよう勅令を制定。但し、実際にフィンランド語がスウェーデン語と同等の地位を得たのは1902年)、第一次世界大戦のさなか1914年に発生したロシア革命によりロシア帝国の力が低下すると、1917年12月6日、非共産派が多数を占めるフィンランド元老院(国会)が独立を宣言しました。

 もっとも、独立直後は左右両派の対立が著しく、1918年1月にはソ連に支援された極左集団と赤色衛兵による反乱が発生。ドイツ帝国が支援する元老院(国会)が一時ヘルシンキからの退去を余儀なくされる内戦に発展しました。1918年5月、反乱はマンネルハイム(G. Mannerheim)将軍(後に二度の対ソ連戦争を元帥として指揮し、更に大統領となったフィンランドの著名な軍人・政治家)率いる元老院側の勝利でようやく収束。一時はドイツ帝国皇帝を長とする王国とすることも提案されましたが、結局ドイツの敗戦とともに王党派は力を失い、共和制を採用しました。現在、任期6年の大統領は国民の直接選挙で選出され、元老院(国会、一院制)は200議席で構成されています。

 1939年~40年及び41年~44年の冬戦争ではソ連軍に一方的に侵略されつつも(この事件でソ連は国際連盟を除名)、自動小銃等の近代軍備とスキー偵察部隊等が活躍する冬季作戦により全面敗北をなんとか避け、領土を一部割譲してソ連と講和。戦後は東西冷戦の中で中立政策を採用し、ソ連との間で(旧東側諸国の対ソ条約と類似した)友好協力相互援助条約を結ぶ一方、経済的にはEFTA(欧州自由貿易協定)に加入し市場経済を維持する等西側先進国としての地位も保持し、巧妙な均衡外交を展開してきました。1975年には、当時のブレジネフ・ソ連書記長を含む東西欧州の首脳を集めた全欧安保協力会議(CSCE、欧州安全保障協力会議)がヘルシンキで開催され、以降ヘルシンキは、ジュネーブやウィーンと並ぶ国際会議都市としても有名になりました。東西冷戦終結と旧ソ連の崩壊後は、1995年に欧州連合(EU)に加盟(北欧の先進国だけあって、加盟交渉期間は約3年と短め)して従来の中立政策を修正しつつ、最大の貿易相手国ロシア(輸出第1位、輸入第2位)とも基本条約を結んで善隣友好関係を維持しています。当然、共通通貨ユーロにも参加しており、北欧ではめずらしくユーロが通用します。今年(2006年)後半(7月~12月)はEU議長国(欧州理事会=EUサミット、欧州連合理事会の議長国)となり、EUを代表して対外関係の調整や各国のとりまとめにも奔走している関係で、フィンランドのトゥオミオヤ外相はしばしばブリュッセルにも出没しているとか・・・。

 そんなフィンランドですが、今回は生まれて初めての入国。北欧はこの他にはデンマークの首都コペンハーゲンに8時間ほど滞在したことがあるだけで、リヨン時代は南欧(スペイン、イタリア)ばかり行っていたので、どんな国なのか非常に楽しみです。

 



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