12月13日午後8時、ベルギーの仏語公共放送局「RTBF」が放送した「フランドル地方圏独立、ベルギー消滅」のフィクション報道。番組を視聴した10人中9人までがこれを本物の報道と誤信し、瞬間視聴率は28.4%を記録(最大、70万人が視聴)。さすがに海外での報道は減ったようですが、ベルギー国内では相変わらずこの番組についての議論が行われています。
政界では、番組放送を受けて、仏蘭双方の政治家がRTBFの報道姿勢を批判。14日には仏語共同体政府がジャン=ポール・フィリポ(Jean-Paul Phillipot)RTBF総局長(Administrateur general)を呼んで注意を与えた他、同共同体議会の放送委員会もフィリポ局長の参考人招致を決定しました。当のフィリポ総局長は一応陳謝をしているものの、15日に開催されたRTBFの経営委員会は、この番組に関してRTBFとしての懲戒処分は行わないことを決めたそうです。
15日付け「ル・ソワール」紙(仏語紙)は、ニセ番組の中でインタビュー映像で登場した人々の、後日の「弁解」を掲載。それによると、ベルギーの有力政治家・ダヴィニョン子爵(元欧州委員会副委員長で日本からも勲章を授与されたことがある人)は「フランドル地方圏は、ベルギーの、欧州の、そして国連の一部ですらなくなり、誰からも承認されない国家となった」と語ったことについて「2ヶ月前、1時間ほど取材を受けた際の映像の一部分だけを使われた」としている他、「フランスをワロン地方圏と併合したほうがよい」と語ったジュリュック氏は「数ヶ月前のことで、取材に騙された。当日は取材のことも忘れていて、番組を本物と誤解した父から電話があり、ブリュッセル首都圏の地位や軍による介入の可能性まで考えていた。かかるニセ番組は許せない」と話しています。
新聞報道によると、「RTBF」社内では、「BBB(Bye-Bye Belgium)作戦」と名づけられていたこの番組企画(ジャーナリストのフィリップ・デュティユ(Philippe Dutilleul)氏による同名の著書(Labor社刊)に、準備状況が詳述されている)。2004年8月に最初の企画案が提出され、半年間の審査を経て了承を取り付けたものの、2005年には予算上の問題から一旦中止になりかかり、その後2006年4月に入って正式なゴーサインが出されたとか。製作の課程で、この番組はドキュメンタリー形式のフィクション(Docu-fiction)とすることが決まり、番組の告知も一切しないことになり、放送日を迎えたようです。
もっとも、「成功率9割」だった今回の番組ですが、「ベルギー国内の政治情勢や機構を理解していれば、あり得ないことは分かったはず。視聴者のメディアリテラシーのなさが気になる」とする識者も。例えば、「アルベール2世国王がラーケン宮殿を後し、出国した」との映像にしても、背景に写る庭園の緑は青々としており、冬に撮影されたにしては不自然でした。法的に見ても、フランドル地方圏が実際に独立を宣言するような場合、まずは地方圏議会での議決を経た上で、連邦議会で3分の2以上の賛成を得て憲法改正を行う必要が(法的には)あり、また実際にはそれに先立って政治的な交渉が持たれるため、ニセ番組が報じたような一方的独立宣言を突然行うということはあり得ません。更に、現在のフランドル地方圏の中で分離独立派は少数に留まっており、政治情勢としてもかかる独立宣言が全会一致で採択されることはあり得ないこと、だそうです。