(写真)ダカール市内で見掛けた羊たち
はじめまして。この度、リヨン気まま倶楽部の皆さんに誘われて、「マオ猫日記」執筆陣に加わった近藤(K)です。以前フランスにも住んでいたことがありますが、現在は西アフリカの仏語圏・セネガル共和国の首都ダカールに滞在しています。
さて、イスラム教国を経験された方にはお馴染みだと思いますが、今日1月11日は「タバスキ」といって、イスラム教徒にとっては断食(ラマダン)明けと並んで最も重要なお祭りです。断食月が明けて1ヶ月と10日後にあたるイスラム暦の11月10日に行われ、別名「羊祭り」「犠牲祭」とも呼ばれるこの日、各家庭で生きた羊を丸々1頭買っておいて、朝のお祈りが終わると一斉に殺してバーベキューにして食べるのです。
それで、このタバスキが近付くと、街のあちこちに羊が集団を成すようになって、買われるのを待つ姿が見られるようになります。早い時期に買っておけば買値は安いけれどタバスキ当日までのエサ代がばかにならない、かといって間際に買うと値段が高いとかで、各人のやり方、工夫があるようです。私が住んでいる住宅の裏庭でも誰かの羊を1頭発見しました。なるほど、残飯で養うとは賢いセネガル人もいたものです。とにかくここ2週間はあちらこちらで「ベアー、ベアー」と羊の鳴き声のにぎやかなこと。これが今日の午後にはシーンとするのだと思うと、その運命を知って鳴いているかのようで気の毒になってしまいます。
キリスト教徒のクリスマスのように盛り上がるタバスキ。各家庭ではその資金力に応じて羊や山羊を買い求め(立派な羊を振舞うことが、一家の家長の「資格」にもなっています)、家族全員で盛大に祝うのですが、その由来はというと・・・
「ある日、神がアブラハムを試す目的で一人息子のイサクを生贄として捧げるように命ずる。アブラハムがイサクに薪を背負わせて出かけると、イサクは尋ねる。「薪はあっても生贄用の羊はどこにいるのですか?」「それは神が用意して下さるだろう。」こんな会話をしながら指定された山に行き、アブラハムは息子のイサクを薪の上に載せていざナイフで命を絶とうという瞬間、天から神の御使いが現れて「息子を殺してはいけない。あなたが神を畏れる気持ちは十分証明された。」と伝える。そのとき後ろを振り向くと、木の枝に角をとられて動けなくなっている羊がいるのに気づく。アブラハムは息子の代わりにこの羊を神への生贄とした。」
タバスキの日は、まず朝モスケに正装ででかけ、お祈りを捧げることから始まります。続いて自宅に帰り、早速容易しておいた羊を押し倒し、喉を切って締めるのですが、この時流れ出た血は、地面に掘った穴に流し込む等して大地に返すのが正式なのだそうです。10年以上前、中国の北京でやはり羊を飼っているアラブ人がいて、「さすがアラブ」と噂していたところ、ある日、そのアラブ人の階下にあった日本の某新聞支局の天井から血が滴り落ちてきたため、「すわ、殺人事件か!」とばかりに記者が飛び込んでみたら、アラブ人が自宅の風呂場で羊を殺していたところだったとか・・・。タバスキの日だったんですね。血を完全に流し終わると解体作業がはじまり、皮や内臓まで捨てずに利用します。
タバスキの儀式に招待されたことがありますが、ここの羊は耳のたれた山羊のようなもので、肉も固くて、およそ日本で想像する肉汁のしたたる羊の丸焼きとは程遠いものです。大きさも、丸々1頭のままでも大皿に乗り切るサイズですから、本当に子山羊といった方が正しいイメージを持っていただけるかも・・・。でもダカールの街角で撮影した上の写真の羊はなぜかすごく大きいので困っています。こんなに大きいのはイスラム教の偉い人用で、庶民は肉のついていないような小型ばかりなんですよ。
あと、犠牲になった羊たちは、1/3は貧しい人にあげるそうです。だから太ってればそれだけ貧しい人がおいしいお肉を食べられます♪
>イスハークじゃなくて、イシュマイール、ですよね?犠牲にされそうになったのは。
ご指摘、ありがとうございます。
早速こちらでも確認してみます。