笑う陰陽師

Breakfast teaを飲みながらベランダから外を眺めても、昨夜の夢を思い出せない・・・・なら、書いちゃえっと!

言葉  履歴

2007年02月10日 | 日常

言葉、について何度か書いています。

いつの頃から「言葉」を意識し始めたのかな・・?と考えてみると中学時代の二つの本が思い浮かびます。

一つは、高橋和己の邪宗門
その中の 「幼くして親無しを孤といい、老いて子無しを独という」という一説です。
孤独とはどちらもいないことなのか・・・と考え込んだ記憶があります。
そういえば「孤児」は幼くして親無し、「独居老人」はそのまま老いて子無しだな・・っと。

同時に、今現在両親がいる自分は「孤独」ではないのだ・・・・・「孤独」という感傷的な言葉遣いは良くないのだな、とも思いました。


もう一つは、三好達治の測量船の詩の一節。
あわれ花びらながれ

おみなごに花びらながれ

おみなごしめやかに語らいあゆみ

うららかの跫音 空にながれ

おりふしに瞳をあげて

翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり

み寺の甍みどりにうるおい

廂々に 風鐸のすがたしずかなれば

ひとりなる  わが身の影をあゆまする甃のうえ 」

この唐招提寺をうたった詩は、言葉の美しさに、ただ唖然とする他なかった。

以後、自分に文章力が無いことは嫌と言うほど思い知らされていたし、一方、他の文章の良し悪しを見る目は養われてきたと思う。

こういうと、言葉を細かく詮索するかのように思われがちだけれど、それはありません。
僕ら・・・普通の人がどんな言葉遣いをしようが、言葉は常に変化するものですから、耳障りが悪くてもそれは仕方がないことです。
ただ・・・言葉のプロ、例えば文章書き、マスコミ等の場合はちょっと腹が立ちます(笑)


例えば、堺屋太一が連載中の一説。
赤線の部分、意味がわかりません。もしかして関西弁????