笑う陰陽師

Breakfast teaを飲みながらベランダから外を眺めても、昨夜の夢を思い出せない・・・・なら、書いちゃえっと!

心に火をつける

2005年11月15日 | 

 

今日の日経新聞の交遊抄に、

「凡庸な教師はしゃべる。
 良い教師は説明する。
 優れた教師は示す。
 偉大な教師は心に火をつける。」

という19世紀の哲学者ウィリアム・アーサー・ワードの言葉が紹介されていた。

私が大学の研究室に入った時の教授は、まさに研究心に火をつけてくれた恩師である。

講師時代の次の教授は、凡庸どころか、恫喝し心を凍えさす教師であった。

そのため私は他の大学に移ったのだが、つい最近その教室の教授選挙が行われ、
恫喝教授の教え子は全員落選した。

私が移った先の教授は、やはり心に火をつける人で、それをしたって多くの研究者が集って盛況であった。

最近の教師はいかがであろうか?


木曾街道(旧北陸道)

2005年11月13日 | 

昨日、加賀海岸の旧北陸道跡を探しに行く。
 朝から暖かく、知らない場所へ探検に歩くには今年最後のチャンスかな?と思い、友人を誘って出かけた。

 旧街道は、官製の五街道(中仙道など)については、しっかりした記載が残されていて、現在のどこを通っていたかはっきりわかっている。しかし、ひとたび街道が北陸へ向かうと模糊として見えなくなってしまうのである。

 たとえば、北陸道。木之元あたりで中仙道と分岐するが、その分岐点には今も石碑が立っていて、迷うことはない。そこから北上すると、木ノ芽峠や栃の木峠、今庄、金津を経て細呂木の駅・関所あたりまでは比較的しっかりたどることができる。

 しかし細呂木の関を出た先は、点では街道の痕跡はあるが線としての記載が見あたらず、いつの間にか路が消えてしまう印象である。
 仕方がないので、せめて点でも探してみようと出発した。

 木曽義仲の古戦場があるという黒崎海岸から北上する、海岸線に沿った遊歩道がある。そこを数キロ歩くと、「木曾街道」の看板がある。その看板に従って脇道へ踏みいる。
 晴れて気温も高く、遊歩道は乾燥して歩きやすかったのだが、脇道へはいると雑木がかなり高くまで生い茂り、木漏れ日も地面に届く頃は力尽きているようだ。路面の落ち葉は湿って柔らかく、踏み出すたびに靴が数センチも沈み込む。

 たどり着いた先に、なるほどと思える小道があった。
 ここが、その街道跡・・・・。
 写真と位置を記録して、今日のおつとめは終わり。


データ用CD(DVD)と画像用CD(DVD)は違うのか・・??

2005年11月12日 | 日常

家電量販店へ、DVD様diskを購入に出かけた。
コーナーには多くのブランド名で10を超える種類の商品が並んでいた。
注意深く手にとって見比べていると、大きく分けてデータ用と書かれたものと画像用とがあることに気がついた。
??どう違うのか??と思い店員に尋ねると
  
  「画像用のほうが安心ですが・・」との答え。
  なるほど画像用のほうがやや高価であった。

事情があってその店では購入せず別の量販店へ行くことになり、そこで何となく店員に同じことを尋ねると、

  「データ用は正確さが要求されますから、そういう意味で使い分けてください」との答えであった。
 
  二つの店で店員の説明が違うので、うちに帰ってネットで調べてみることにした。
すると店員の説明は全然違っていることがわかった。

*****************
データ用CD(DVD)と画像用CD(DVD)はモノは全く同じである。
画像用には”著作権のための保証金”が価格に含まれている。
****************

と、言うことである。同じモノを、画像用とすると、保証金の分だけ高くなるだけのことである。
繰り返すが性能に差はない。

では店員の言うことは???。
 知らないのである。
 知らないなら、わかりませんといえばいいものを、
   「嘘」をつくことはないだろう!と思う。

教訓 1 
(何度も繰り返し指摘したが)専門店の人間は専門家ではない

教訓 2  CD(DVD)は迷わずデータ用を購入


小松製作所の狛犬 キーワードは「コマ」 その2

2005年11月11日 | 
高句麗津→小松の続き

 他にも神社の「狛犬」
 こんな文字を当てられると、いったいどんな犬なのだ?
 と思ってしまうけれど、実はこれも「高麗犬」が元々である。

 元々古代オリエントの獅子・ライオンが起源であるが、
 当時の日本人が知るよしもない。
 で、見たこともない、犬のようなものだから、
        今で言う「舶来の犬」
        当時なら高句麗の犬
        高麗犬
        コマイヌ
        狛犬・・である。
 ちなみに狛犬の狛は 形声文字で 牧羊犬の意味であるから
 まったくの当て字。

 漢字にだまされてはいけない!よい例である。

 ついでに、ブンブン回すコマ(独楽)
 古来、日本ではツブリといっていたが、立派なものは
 舶来のツブリで高麗ツブリ・・・・・コマツブリ・・・・
 がいつも間にかコマ・・・なのである。
 独楽は当然完全な当て字で、やはり文字に意味はない。

 漢字にだまされてはいけない。
 言葉の意味は「音」なのである。

小松製作所の狛犬 キーワードは「コマ」 その1

2005年11月08日 | 

 旧街道を探しながら、見つけては写真を撮るという
           「街道を行く」もどきを楽しんでいる。
 旧北国街道にはいくつか異名があって、旧北陸道という呼称もあれば
              木曾街道という、本物の木曾街道の地元の人が
              聴いたら目をむきそうなものまである。

 その旧北国街道沿いに、小松市という街がある。
     建機の小松製作所の地元、ヤンキース松井の出身地、
     義経が登場する勧進帳の舞台などでかなり名前は通っている。
 もっとも、勧進帳の話は歌舞伎のための全くのフィクションなのであるが、
                   史実だと誤解している人が地元でさえ多い。

 小松の意味も、誤解されることが多い。
 海に面していて、松の防風林があり、しかも漢字で「小松」などと
 記載するものだから、「松」と関係があるように思うことが多い。
 
 実は全く「松」には意味が無く、
  「高句麗津」・・・・・・「高麗津」・・・・・・・「コマツ」・・・??・・「小松」
  なのである。
 当時の高句麗と海上交通がある場所を、高句麗の港くらいの意味で
 「高句麗津」と呼んでいたのが、本来である。
 それを例によって、奈良時代の官僚が(官僚はいつだって良いことは決してしない)
    地名は漢字で二文字で!などと命じたものだから、こうなってしまったのである。

 


ブレーメの丘公園:安藤忠雄

2005年11月05日 | 
安藤忠雄さんの建築があると聞いて、滋賀県の「ブルーメの丘」公園をたずねた。
安藤氏の建築はもともと好きだから、ネットで検索していて見つけた。

 北陸方面からは、八日市ICで高速を降りて、約20分でブレーメの丘公園に着く。
  
http://www.blumenooka.jp/museum/mu_frame.html
秋の暖かな日差しを浴びて、季節はずれの半袖シャツでも汗ばむくらい。
バラの公園を抜けて、ローズマリーの生け垣の建物を過ぎると、入り口から約10分で、目的の織田廣喜ミュージアムが見えてくる。

美しい建築はどれもそうだけれど、水面とガラスの壁面の組み合わせで構成されている。この美術館は、人工照明がない。作家が制作したのと同じ、自然光で絵画を鑑賞して欲しいという企図である。写真のように天窓からの明かりのみだから、開館時間は日没で暗くなるまで、と季節によって移り変わる仕組みである。

そんな深遠なたくらみとは裏腹に、私と言えば、奥の窓から顔を出して、絵画になった気分。罰当たりである。

読書の秋だけれど、街に出るのも良い季節。

書く・・・才能について

2005年11月01日 | 

才能・能力について考えることがある。

きっかけは、自分の分野の研究であるが・・・・。

優れた仕事を数少なく発表する人もいれば、
それほどのものではないけれど、数多く発表する人もいる。

では、能力ってなんだろう?と考えたとき思いついたのが


 才能・能力= 成果の質 X 生産量
  (成果の質は-10~+10:たとえば、並の質なら、0だから、どれだけ生産しても数字はあがらない)

 いってみれば、才能というものはどんどん生み出すエネルギー(あるいは熱量)も必要条件ではないか、ということだ。

たとえば、小説。

 中学の頃感激した、芥川賞の「赤ずきんちゃん気をつけて」(庄司薫)。
 あの村上春樹がおおいに影響を受けたという、青年の物語は
 いわゆる「赤黒白青四部作」のあとは、殆ど作品を眼にしない。
 数は少ないけれど、10代の記憶に残る本をあげるとすれば、
 絶対にはずせない作家である 

 それに対して、大好きなミステリー作家 森博嗣
 読んでいる間は、おもしろく感心するのだけれど、
 読み終えると、何が書いてあったか覚えていない、不思議な作家。
 しかも、とにかく多作。月に一冊出版しているのではないか?と思うほど。

どちらも大好きだけれど、能力という意味では、森博嗣に分があるような気がする。

どの分野でもそうだけれど、やはり才能というものは圧倒的な熱量を伴うもののような気がする。