笑う陰陽師

Breakfast teaを飲みながらベランダから外を眺めても、昨夜の夢を思い出せない・・・・なら、書いちゃえっと!

介護に関わるビックリ-その1

2006年11月29日 | 

こちら(福井県)で仕事を始めて、知ったこと。誤解されていること。


1: 親の面倒をみる義務が子どもにあるという誤解

     両親のいずれかが介護や看護を要する場合、その義務は配偶者にあります。
     親が1人、あるいは配偶者が病気などで介護不能の時、
            初めて子どもに義務が生じます。

     最近の例:
     高齢の妻と夫。 夫が重度の認知症で24時間監視が必要なため家庭では介護不可能。
     高齢の夫は施設入所を拒否し、暴力をふるうため、精神科施設への入院を希望。
     息子夫婦から相談されたが、息子の承諾書では入院は認められず、
                                                                                       妻の承諾書のみ有効。
        ↓   ↓
     これからわかるように、高齢夫の保護義務はその妻にあり、
                                                                                 息子は法的には何もできない


2: 親の面倒を見るために子が犠牲になるのは当たり前と、多くの高齢者が思っている(驚)

     病院へ来るのに、息子夫婦に車で送ってもらわないといけないので
                                                                                       日程がつかないとの訴え。
     年に1~2度くらい基本料金程度のタクシーだから、使ったら?勧めると、拒否。
     タクシー代が問題なのかと思うとちっがっていて
        ↓   ↓
     親が病気なのに、送りもせず仕事に行く親不孝息子の家庭だと思われたくない
           が理由。
        ↓   ↓
     しわ寄せはお嫁さん(この言葉嫌い)にいき、しょっちゅう会社を休む羽目になりリストラ。

     高校の同級生の男性で、地元に残っているのは30%程度。

     「お子さんが地元でないとどうするのですか?」と尋ねると、
        ↓   ↓
     「遠くへ行くのは我が儘! 帰ってくればいい」との答え。    
        ↓   ↓
     もう・・・・言葉無し

     家族共倒れになるのを防ぐための介護制度のはずなのに、
     高齢者の意識が不変では機能するはずがない。  

     その高齢者は、自分の親世代は長命ではなかったので介護の経験はほとんど無し。
     介護経験のある高齢者のかたは、無茶は言わない傾向です


インフルエンザ

2006年11月21日 | 
読者から、インフルエンザの予防注射はどの程度効くの?と質問がありました。

ちょうど日経メディカルに調査があったので、
転記します。

図のように50%以上は期待できるようです。



回数は・・・・・
免疫が少ない13才以下や、人と会う機会が多い場合は、2回が適当です。

冬の感染症情報

2006年11月19日 | 

冬の感染症情報

現在流行中の感染症

【感染性胃腸炎】
 
大流行中です。
例年になく多いようです。

症状は、吐き気、 下痢、 発熱、 風邪に似た症状。
     熱は微熱程度から38℃以上まで。
     原因はノロウイルスを中心にしたウイルスです。

     貝類を中心にした海産物からの感染が多く、人から人への感染力も大変強いようです。

     かなり加熱しないと防げません。
     たとえ加熱しても、調理したまな板や、包丁からでも感染します。

治療法は特になく、乳酸菌製剤(ヤクルトでも)と水分補給です。
下痢止めは、治癒を遅らせるので、使用してはいけません。


【インフルエンザ】
今年は、まだ流行はないようです。

予防注射は、接種してから免疫ができるまで数週間かかるので、遅くとも11月中に
しておかないと間に合いません。

まだのかたは、今すぐに!


格差社会・・・

2006年11月14日 | 

友人のBolgで格差社会のことが取り上げられていました。

 
複雑なことを、なるべく単純化するのが科学者の仕事なので・・・・ちょとコメントしてみました。

さて格差社会については・・・・・・

 

格差に関する問題は、優れた人と、劣った人の間で、得られる利益の差をどの程度にするかということではないでしょうか。

優れた人、という評価基準は、時代により地域により異なります。
例えば平安時代なら出自が、戦国時代なら武力が、ここ数年ならIT能力が評価基準として重要であるし、

   

都心のオフィスでは経営能力が、山中では肉体能力がそれに当たります。
このように、能力は基準によって評価が異なることを認識した上で、優れた人とそうでない人の得られる利益の差をどの程度にするかということではないでしょうか。

 

まず大切なことは、この問題について発言する場合、発言者が能力基準のどのレベルにいると認識しての発言かは、表明すべきでしょうね。それがなければ理解は不可能です。

 

ゲーム理論の分野になるのかもしれませんが・・・・・意見表明は自分の利益のために発言する場合と、社会システムの維持のために発言する場合があると思います。その割合も様々でしょう。

議論のためには、どの立場での発言かを明確にしないと、お互いにかみ合わない気がします。

 

結局のところ、自己利益重視の立場(究極の自由経済)と社会システム維持(共産主義)の立場との間で、ある程度の振幅を持って揺れ続けるのが現実ではないでしょうか・・・。
自己利益重視に振れすぎれば弱者の反乱と社会システムの破綻がおきるし、社会システム維持に振れすぎると破綻した共産主義のように無気力社会になります。
自然に振幅が収束するのに任せるしかないような気がします。社会に意志が存在するのか?という問題もありますが。


簡単な例を持ち出すと・・・・・

          無人島の生態系を思い浮かべればいいのではないでしょうか。

ヤギが食欲のまま草を食べ続けるとヤギの個体数は増えますが、いすれ食料が無くなり飢餓により個体数が減少する。
そうするとまた草が増えまじめ・・・・というように、増減を繰り返しある振幅内で揺れ続ける。


グローバリゼーションとは無人島の間に橋が架かった状態で、これまで一つの島のなかだけで収束していた揺れが、否応なしに隣の島の影響を受けることです。
隣の島にはヤギの他にオオカミがいるかもしれません。
あるいはもっと美味しい草があるかもしれません。
柵が低ければ引っ越しもできますが、ヤギを嫌う動物がいるかもしれません。

橋が狭ければ影響は少ないですが、陸続きになれば殆ど一体化する。


結局、振幅を決定するのが、一つの島内だけの条件から、他の島の条件も含めたものになるだけです。

ですからグローバリゼーションがいいか悪いか?という議論は、橋を外して鎖国するかどうか?という意味となり、現実的にはあり得ない問題なのです。

 

いろいろ書きましたが、格差社会の議論は、発言者の社会的パワーがどのレベルであるか、自己利益と社会利益をどう配分して発言するかをあらかじめ、明らかにしていなければ意味がありません。

政治は、特定の利益の代弁者に過ぎないし、民意という言葉は実態がありません。

おそらく、意志の力ではなく、無人島のヤギ状態で、上下に揺れながら自然収束するしかかない問題のような気がします。

でも・・・・単純化すると、自説の間違いも見つけやすくなるという、欠点がありますね。ごまかせない・・・・(笑)


サはサダコの・・・さ

2006年11月13日 | 

友人が僕のBolgにつけてくれたコメントに
「ドアを開けたら貞子が・・・」は怖いですねって書いたら、

「貞子で検索したら・・・・」と返していただきました。

貞子で検索か・・・と思い、やってみると、結構怖い。

http://www2.plala.or.jp/ivjkiz/sada/
は心霊写真。

踊る貞子は
http://heli.boy.jp/02ufo2/2006/04/post_37.html


http://page.freett.com/omosiroz/omosiro/sadako.htm
これは拡大

逝って欲しい人に見せるには
http://www.inetmie.or.jp/~kawagita/image/flash/flash03.htm

週の真ん中は、独り暮らしだから、結構怖いわ・・・・

それにしても・・・・貞子ネタは尽きないですね(笑)


忙中閑

2006年11月11日 | 日常

ずっと多忙。

最近CPUの処理能力が落ちてきたのかと思うほど、時間がない・・・。

来週は:
 月  保育園の健診
 火  医師会
 水  病院へ出張
 木  面接 + 心血管内分泌学会の評議委員会
 金  心血管内分泌学会

で、時間があるうちにと、近くの海岸の露天風呂へ。
あるのは知っていたのだけれど、なかなか行ってみる機会がありませんでした。

アクティブハウス越前

500円で、ゆっくり露天風呂です。

こういう、波打ち際の温泉に一度入ってみたかったのです!
満足。



↑ 満足な顔。。。。

露天風呂は、天気の好い日もそれなりに楽しめますが、好みとしては天気が悪い方が好き。
一番好いのは、雪の降るなかの露天風呂。
暖まってのぼせても、ちょっとお風呂からでると雪の冷たさが新鮮な酸素のように気持ちよく体にしみこみます。

・・・しかし・・・この後、豪雨に・・・・・
さすがにこれは困りました。

風呂上がりに一杯と行きたいのですが、飲酒運転はできないので、カワイク炭酸飲料で喉を湿して、帰宅です。

さぁ来週も・・・・乗り切るぞ!!!


生徒は子どもか?

2006年11月01日 | 日常

いじめ、自殺、単位ごまかし・・・・・学校を巡る事件の報道が続いていますね。

教師が生徒(児童)のことを「こども」とか「こどもたち」と呼ぶことが殆どですが、これが気になります。
言葉遣いには必ず使う人の意識があらわれます。

「こども」という言葉は「大人」に対する「子供」=未成年という場合と、「子供」=「我が子」の場合の二通りがあります。
教師が使うのは、どちらの意味でしょうか?
「うちのこどもたち」の間にはいじめが・・・や、「今日の子どもたちは元気でした」という表現を見ると、、「子供」=「我が子」の意味で使っているように思います。

教師には「子供」=「我が子」は使って欲しくないと思います。
  「我が子」なら他の子よりかわいがるのは当然であるし、時には正義より愛情を優先させることもあります。
しかし、学校では、生徒(児童)は公平に扱わなくてはいけないし、情を優先して教えるより正しいことを第一に教えるべきだと思います。
だから、教師が生徒を呼ぶときには「子供」=「我が子」ではなく、生徒(児童)と表現すべきなのです。

さらに「こども」と表現する現場を見ると、なぁなぁのいい加減さも感じます。

もっと嫌な気がするのは、決して「子供」=「我が子」と思っていないのが見て取れる教師に限って、「こども」を連発するのです。
いじめを放置して、さらに発覚後もしらを切る教師に限って「こども」・・・を連発するのは、後ろめたさの裏返しでしょうか?
真摯な愛情の欠如を言葉でごまかしている匂いがプンプン。


教師としての責任感があるのなら、はっきり生徒(児童)は・・・・と発言して欲しいと思います。