笑う陰陽師

Breakfast teaを飲みながらベランダから外を眺めても、昨夜の夢を思い出せない・・・・なら、書いちゃえっと!

厄年→役年

2009年03月17日 | 

お勉強ノート

1 厄年

  厄年ってなに?
  厄年について書かれた記事は多いけれど、殆どが厄払いで商売をしているものかその関係者が書いているので、当然どのようにするのか、如何に大切かが強調されている。しかしその起源についてはどうもあやふやだ。後出しじゃんけんのように、後からとってつけたような屁理屈ばかり。

  では本当のところはどうなんだろう。

    話は、まだ葬儀を寺院が行う前にさかのぼる。
  葬式は誰がするかというと、これは習俗だから一家の長、すなわち大家族制度の一家の主が行っていた。一家の主は氏族の長でもあり、実は神主でもあった。当時は神社に神主がいたわけではなく、氏族の長が兼ねていたのです。
 後の時代になると、この職を当番のように決めていて、これは当番神主とか一年神主とか呼ばれ、いわゆる「役」だったわけです。
 
  「役」につく適齢期を「役年」と言いました。これはそろそろお前も役につくころだから、身を慎めというくらいの意味です。

  ところが例によって、悪のりする連中がいて「役年」を「厄年」に言い換えて、お祓いをしなければ祟るぞ!と言うあの論法で商売の種にしてしまったのです。

 もし、「役年」ではなく最初から「厄年」であるなら「前厄」とか「後厄」という概念は上手く説明がつきません。しかし本当は「役年」なのです。役年なら説明がつくというか、当たり前の話です。
 「前役」とは、役に就く前に見習いをする期間。習わなければ神主はつとまりません。
「後役」とはこんどは次の役の人に引き継ぎを行う期間です。
悪のり連中は、こんな「前役、後役」まで「前厄、後厄」として商売にしてしまったのです。

と言うわけで、「厄年」とは実は「役年」のことでした。
お「役」は確かに大切で、緊張を強いられるお仕事ですが、どう解釈しても「厄払い」してもらうべき対象ではありません。逆に神事に関わる誇らしい一年なのです。
これを払ったら、それこそ罰当たり?

 

 

 

 

 


習俗

2009年03月17日 | 
二年間で二回も喪主を務めると、いくら世事に関心がないといってもいろいろとフリーズする「儀式」に出くわしてしまいます。
 頭の上あたりを「?」マークが無数に飛び交うのでちょっと調べてみました。

 そもそも天才的な哲学者であるお釈迦様が、日本の仏教のように、先祖をまつらなければ祟りがある等と脅しを言うはずがない。ある理由で始まった習慣を、強引に宗教的な理由にすり替えたりするはずがない。だしたお金の多寡で法名(戒名)に差をつけるはずがない。

 いくつかわかったことを思いつくままにメモしてみます。
 孫引きまではしていないので100%正しいとは断言できませんが、多分あたっているだろうなぁと思ってます。

 最初に、葬式は宗教行事ではなく民俗学的に言うところの習俗である。

 本来の仏教(日本の腐り果てた仏教とは違い)ではお葬式はしないのです。
 岩波文庫の「ブッダ最期の旅」によると、お釈迦様に従者のアーナンダが、お釈迦様が死んだらどうすれば良いのか尋ねるくだりがあります。お釈迦様は、そんなことを気にせずお前達は修行に励めばよい、と答えています。葬儀は一般人の習慣に任せておけばいいと言うことです。仏教は葬儀に関わりません。

 さて、日本。
 お葬式は仏教伝来以前から行われてきました。
 その頃からすでにお通夜、葬儀、火葬などは今と同じ形式だったようです。

 仏教伝来後も、坊主は一般人の葬儀は一切行いませんでした。それはそのはずで、仏教の教義にそんなものはないからです。一般人の葬儀は一般人が行っていました。坊主の葬儀は一般人に任せるわけにはいかないので、坊主同士で行ったようです。

 ところが江戸時代に大変革が行われます。
 幕府が、隠れキリシタンの摘発を目的に、戸籍の管理(宗門人別帳、檀家制度)と葬儀をお寺にだけ許可することにしたのです。キリスト教の場合、死に際して死の秘蹟と言うものを行います。これは大変大切な儀式です。ですから、隠れキリシタンならお寺では葬儀を行えず、それを契機に発見できるだろうという仕組みです。ここからお寺での葬儀というものが始まりました。

 

 ここでお寺の反応は二つありました。
 ひとつは、葬儀をどうするかです。幕府から命ぜられたとはいえ、一般人の葬儀などしたことがないのだから、困り果てました。そこで思いついたのが、それまで坊主同士で行ってきた葬儀の形式を一般人にそのまま当てはめてやれ!ということです。
 しかし、坊主同士の葬儀を一般人に当てはめるためには、一般人にも坊主になってもらわなければなりません。
 だから、お経を上げ、おかみそりとかも発明し、法名などと言う仕組みができたのです。

 つまり、葬儀をする前に、一般人が坊主になるために、お経をきかせて勉強させるわけです。
 確かに言われれば不思議です。どうして葬儀にお経を上げるのか?それも日本語訳ではなくサンスクリット語の発音のままで。理由は上記のとおりで、一夜漬けでお経を学ばせて、出家させるためなんですね。
 出家したからには、一般人のままの名前では都合が悪い。だから法名(戒名)と言うものをつける。これも理解。

 浄土真宗で言うところのおかみそり。これも剃髪して坊主になるための作法なんですね。

 ということで、お寺の行う葬儀の儀式の大半は、一般人を坊主にするためのものでした。



 次に、お寺の二つ目の反応。
 それは悪のりです。
 葬式が終わればそれで終わりというふうにはしないで、一回忌~三回忌~百回忌などという年忌法要を制度化しました。
 三十三回忌などは本来仏教の概念ではなく、神道の概念なのです。神道では三十三回忌を期して、亡くなった人は神になると考えられていました。こんな他の宗教の概念までひっくるめて商売の種にしてしまったんですね。このように財政の基盤を確立していったのです。その企みは見事に成功して、今ではこういう儀式に疑問を持つ人も少なくなったようです。


 江戸時代以降の仏教は、世間に先祖供養を植え付け、先祖供養をしないと祟るぞ!たたるぞ!と脅す宗教になったようです(ひろさちや より引用)。

 昔、オウムと浄土真宗(ほかの宗派は身近にないので)はどこが違うんだ?と尋ねてひんしゅくをかったことがあります。しかし、いろいろ調べてみるとますます違いがわからなくなります。
本来、宗教とは一般人には優しいもののはずです。
先祖供養をしないと祟るからとか、宗派の作法に従わなければ困ったことになりますよ、と言うふうに脅して従わせる手法は共通です。はっきり言葉にして脅さなくとも、33回忌はしないの?へぇ。。。。という無言の態度もしっかり脅しの一種です。


 死んだ人の供養(形式化した)より、生きている人の幸せを願うのが宗教の本質だったと思うのですが。


 そういえば、臥せって苦しんでいる人のもとを何度も訪れて気持ちを楽にしてあがる坊主は見たことがない。本来、それが宗教の大切なつとめでだと思う。
ところが、イザ人が死ぬと、呼ばれてもいないのに押しかけてくる坊主は大勢いる。
 

 不思議だ。

 こういうことを不思議に感じていない社会も不思議だ。

お休み

2009年03月08日 | 日常
休日。

日曜日は何度もあったけれど、本当の意味での休日は何年ぶりだろう。

近くのホテルへ出かけて、梅の花を見て、春なんだなぁって思い、夕暮れの雲を見て冬は終わったんだって。



2000年の秋に大学での20年間の研究生活をやめて福井へ戻り開業。

数年前に父を見送り、先月2年間にわたり入退院を繰り返していた母を見送った。

両親を見送るために地元に戻ったようなものかな?




認知症や癌の問題で、この間は二泊以上うちを空けることはできなかった。
いつ、すぐに戻って、って連絡があるかもしれなかったので。

どうしても欠席できない会合は、専門医試験の札幌以外はすぐに帰れる東京までだった。
もちろん海外の学会なんて「夢」。
携帯電話を持ち歩いたのも、これだけが理由。



さてようやく身軽になったのかな?
子供達ももうじき自立してくれそうだし。

高橋和巳邪宗門秘曲の中で(おそらく白川静からきいたであろう)語った
 ”幼くして親無しを 孤 と言い
  老いて子無きを 独 と言う ” という一文があるけれど、 今の世情ではそういう意味の孤独は少なくなっているような気がする。

やはり身軽になったのでしょうね。
出かけるときに、携帯電話を持たなくても良くなったし!

さぁ 明日から体重も減らして、もっと身軽になって、どっか行ってこようっと!