きょうはわりと過ごしやすい日。
きのうのダメージがあるかと思ったけど、そんなでもない。
単に疲れてるだけ。
「進撃の巨人」がなんかすごかった。
ネタバレ見る人なのでどういう話かは知ってたんだけど、
こうやって映像で見ると情報量が多いし内容も内容なので、
あっという間だった。
『先祖が犯した過ち』『ご主人様の言いつけを守り嬉々として己の祖先を卑下する姿』
『親が子を自らの思想に染め上げる罪深さ』
こうやって並べると今でも起こってることだけど、
結局、対立する相手どうしが同じようなことやっていて、
相手を悪魔と呼んでいても、よく知ってみるとやはり同じ人間であるということに気づく。
でも、気づいてからでは遅かったりもする。
そのあとの「THE ORIGINE」も似たような感じで疲れてしまった。
拒否できるランバ・ラルはすごいけれど、個人ができることってそれくらい。
指示を出してるドズルも決して悪魔ではない。
でも、そういう指示を出せてしまうのもおそろしい。
歴史の流れは急には個人レベルの働きでは変えられないけど、
ふだんから気づいていければ、変な風に流さないことはできるはず。
民主主義を成立させるには、
気づくための判断ができるための情報がきちんと与えられること。
自由が奪われそうになって抵抗する人々の気持ちは、
もともと自由を知らない人にはわからない。
そもそも抵抗している人がいることも知らされてないのかも。
ドキュメントもやってたけど、
その”楽園”がほんとうに楽園だったのか判断できるだけの報道があったのかどうか。
厄介払いという解釈をする人もいるみたいだけれど、
他国民をかかえる余裕がなければ、
返せという国があれば送り出すのは当然のことではあるし。
国家にだまされた被害者というのも…
むりやり拉致されたわけでもなく自分の意志で帰国したはずの人たちを、
拉致の被害者の方々と同じ扱いにしてはいけないのでは。
いつも思うのだけど、
自己責任というのは選択の自由と対になっているのでは。
自由のないところには自己責任もない。
自分の選んだ結果には自分で責任を負って他人のせいにしないのが、
誇りだったりプライドだったりするような。
親切に教えてくれなかったからと言って、
知らなかった、ということは言い訳にはならないし、
調べようと思えばいくらでも手段はあるはず。
だまされないようにするのなら、自分自身でちゃんと考えるしかないんだろうな。