最近、しゃべる家電が多くなってきた。
うちで話してくれるのは、
給湯器とICレコーダーくらいだけど、
レシピを教えてくれる電子レンジもあるらしいし、
しゃべる冷蔵庫もたぶんあるんだろう。
意思の疎通ができることと、
自我があること。
うちにいたインコとは、
なんらかの意思の疎通はできてた気がするけど、
会話ができてたのかどうかはわからないし、
エサガホシイとかアソンデホシイ以外のことを、
望んでたのかどうかもよくわからん。
でも、AIだろうがなんだろうが、
話し相手にできればなんでもいいのかも。
生身の人間相手でも、
自分の望みどおりの答えしか認めないような、
まともな会話ができない人は、
いくらでもいるんだし。
なんだったか忘れたけど、
とうに滅んでる世界で、
それに気づかないひきこもりの人が、
AI相手にずっとやりとりをしてる、みたいのがあったっけ。
知らないなら、それはそれでしあわせなのかも。
まあ、それもちゃんと動いていてくれればこそ。
うちは、なんかTVが映らないみたいで。
このへんは、とくに雨風がひどいってわけでもなかったんだけど…
HDDレコーダーもおむずかりで、
空きはあるのに録画してくれなかったり。
「録画したタイトルを保存してHDDを初期化しろ」とか、
メッセージが出るんだけど、
DVDドライブも壊れててダビングできないし。
なんとかしないとなあ。
「黄金夜界」あれで終わり?
やっと盛り上がりかけたところだと思ったのに。
結局、誰にも感情移入できないままだった。
うまいこと現代に置き換えて、
お金とか愛とか変わらない問題について、
新しい答えを出してくれるのかと思いきや、
ぜんぶ投げてしまった感じ。
この人にとって現代社会は、
生きるには値しないところってことなのか。
「ひそねとまそたん」は、
ずっと続いたきた慣習でさえ、
人間の心や技術の進歩で塗り替えることができるっていう終わりかた。
いろいろわからないままのことはあるけど。
3か月たって帰ってくるっていうのは、
別の次元に行ってたかなにかで、
二人にとっては一瞬だってことなのかと。
なおさんヘッドは笑ったけど、
ミタツサマのどっかに引っかかってたってことなのかな。
考えてみれば新聞小説って、
終わったときに、あれ?って、
印象が残ったもののほうが多いかも。
植物の研究のもそうだったし、
親子で逃げるやつもそんな感じ。
映画化された、逃亡する殺人犯のもそうだった。
というか、続きは気になるけど、
読むのがイヤになるくらい、
自分からは読まないジャンルのものだから、
そういう印象が残ってるのかな。
好きで読んでて、切抜きまでした、
恩田陸さんとか北方謙三さんのは逆に覚えてないくらい。
保坂和志さんのもよかった。
リストを見ると、
むかしから読んでたつもりだけど、
意外と読んでない。
読んどけばよかったなあっていうのもけっこうある。
連載小説によって、
この新聞をとろう、っていう人は、
今でもいるのかな。
たまに図書館なんかで見る、
いま毎日にのってる高村薫さんのなんか、
そこだけ読んでもよくわからないし、
ぜんぶ読みたいなとかもならない感じ。
それはそれですごいのかもしれないけど。