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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

「死」の概念

2009-07-04 | 脳死臓器移植問題
身体を作る約60兆個の細胞の1%程度が毎日死んでいると言われている。毛が抜ける、皮膚の細胞が垢になるというような日常茶飯事の出来事が、いわゆる1%程度の細胞の死の形だ。しかしこれは一人の人間の死とは全く違ったレベルのものである。
そして、逆に一人の人間の死は、全ての細胞の死と同じではないらしい。だからこそ、死体から腎臓や角膜を取り出して移植できるのだそうだ。心臓が止まり、各臓器への酸素供給が無くなっても、数時間生きていることが可能な臓器があるということである。

ということは、私たちが「死」と規定している概念は、一体何を意味するものなのだろうか…と、とても大きな疑問となってきた。

死は、生命維持ができないことであり、「生命維持機能が不可逆的に停止したことを意味する」ということなのだ。決して後戻りできない状態ということ。生命維持機能の根本の最も重要なポイントは、血液の循環であり酸素の供給である。
それは、例え意識がない状態にあっても、心臓が動いていれば不可逆的ではなく、肺が機能していれば不可逆的ではないということになるはずだ。

一つ一つの細胞からできあがっている私たちの身体は、その一つ一つの細胞が死んでしまった時に、完全に朽ち果ててしまう。
不可逆的な生命維持の停止から、全ての細胞が死んでしまうまでどのくらいの時間がかかるのか、それは分からないが、少なくとも血流が途絶え酸素供給が無くなれば、即刻脳はダメージをうけ、脳細胞が死を迎えはじめるのだろう。肺や肝臓、小腸も脳と同じように酸素がなければすぐに死に絶えはじめる臓器だと言われている。

こうして考え続けていく中で、今問題になっている「脳死臓器移植法改正案」には、大きな疑問を感じるようになった。「脳死」という状態がはたして脳細胞の不可逆的な死を示すのかどうか、そしてそのことがその個体、つまり一人の人間の死を示すことなのかどうか。

「長期脳死」と呼ばれている子どもたちが何人も存在するということを知った。その子どもたちはそれぞれ医師から「脳死」だと診断されている。それでも人工呼吸器をつけながら、心臓は鼓動し、確実に「生きて」いるのだ。
「脳死」状態から生還した米国の青年ザック君は、交通外傷で「脳死」と診断され、臓器提供の説明を自分の耳で聞いていたと語っている。
これらのことは、何を証明しているのか。
「脳死」という状態──少なくとも現在の医学で診断される「脳死」は、脳細胞の死でもなければ、決して一人の人間の死ではない、そういう状態だ。

──2009年現在の「脳死」という概念は、ヒトの死をあらわしていない──

もし「脳死」が人の死なのだとすれば、決してザック青年も「長期脳死」の子どもたちも、存在しないはずではないのか。

そもそも「脳死」という概念は、臓器移植をすることが目的で作られた言葉である。心臓が動いている間に取り出さないと機能しない臓器-心臓・肺・肝臓・小腸を移植するためには、「脳死」という状態で摘出するしか方法がない。これらの臓器移植を可能にするために、脳の機能が低下もしくは休止した状態にあるだけかもしれない人をも「脳死」とし、心臓が動いている間に新鮮な臓器を取り出そうとするために、まさに作為的に作られた概念である。
ではなぜ、脳移植はないのだろうか。脳死があるのに、肺死や肝臓死はないのか。というところに行き着く。
同じ身体の一部でありながらも、脳はとりわけ区別されていて、脳の機能が落ちれば、一人の人間としての存在さえも否定されかねない。

これは、生きるということはどういうことなのか、一人の人間はどう生きるのか、そしてどう死ぬのかということにも大きく関わる問題でもある。

法律で簡単に「脳死は人の死」などと決めることができるものではないのだ。


By あゆむ


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (ロットン)
2009-07-04 14:51:29
 これは、とても重要な指摘だと思いました。僕も「脳死」は一人の人間の死でもないし、また脳細胞の死でさえもないのではないかと思っていたからです。また、「脳移植」に言及されていますが、人体をパーツの集合体としてみるならば、脳もまたパーツの一部であり、「脳死」患者が「脳移植」を要求することも否定できないのではないかと思っていたからです。脳機能不全に陥った患者だけが、さまざまな器を提供するように要求される、こんな理不尽はないと思います。
 リブインピースのホームページに、テレビ番組スーパーニュースアンカーの「“脳死”になっても8年間生き続ける少年」が紹介されていますが、6月29日にも特集で「臓器移植法改正案 A案衆議院通過の波紋」がありました。ここでは、脳死の子どもを世話するお父さんが、「なんで臓器提供をしないのか、なんで無駄な延命をしているのかと言われる可能性も出てくると思う」と言っていたのはとても切実に感じました。子どもが「脳死」状態でもがんばって生きているのに、バッシングされ、社会的に抹殺されかねない、追い詰められていく、そんな恐怖を覚えました。

アンカーズアイ/臓器移植法改正案 A案衆議院通過の波紋(スーパーニュースアンカー)
http://www.ktv.co.jp/anchor/feature/2009_06_29.html
[投稿]脳死臓器移植法「改正」問題で考える、「人間の尊厳」とは何か、「生きる」とは何か(リブ・イン・ピース☆9+25)
http://www.liveinpeace925.com/poverty/ishokuho090604.htm
[投稿]「脳死」になっても生き続ける男の子。やっぱり「脳死」を人の死にしてはいけない(リブ・イン・ピース☆9+25) http://www.liveinpeace925.com/poverty/ishokuho090603.htm

(ロットン)
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「脳死」はやはり人の死ではないと確信 (あゆむ)
2009-07-04 22:47:23
ロットンさん、コメントありがとうございます。この内容は少し堅くてわかりにくいかもしれないと思いながらアップしたので、ロットンさんのコメントで励まされました。

本当にこの問題は、考えれば考えるほど答えは「脳死は人の死ではない」という確信が大きくなっていきますよね。

脳死だと診断されても頑張って生き続けている子どもたちとそれを支える家族の方々が、追いつめられ存在を否定されてしまうようなそんな世の中には絶対してはいけないと強く感じています。このお父さんの言葉に胸が痛みます。

色んな形でこの問題を広め、またさまざまな角度から考えを深めていきたいと思います。
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