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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

教育編 第7回 公教育を宗教から完全に分離させる

2012-01-08 | 憲法って、面白っ!

 コンドルセは、公教育を宗教から完全に分離させることを求めました。それは、一つには社会的平等のためであり、もう一つは各人の信仰の自由、思想・良心の自由を守るためです。彼は政教分離が徹底されてこそ、特定の人々を排除することなく、各人の信教の自由、思想良心の自由が真に守られると考えていました。

「憲法は各人に自分の信仰を選ぶ権利を認め、フランスの全住民の完全な平等を定めているのだから、公教育において、一部の市民の子供を排除して社会的利益の平等を損ねたり、言論の自由に反して特定の教義を優先したりすることは許されない。したがって、道徳をすべての特定の宗教の原理から切り離し、公教育においてはいかなる宗教的信仰の教育も認めないことが絶対に必要であった。」

「宗教の原理はその宗教の寺院でそれぞれの聖職者によって教えられるべきである。そのようにすれば、特定の宗教の必要性にかんしてどんな意見をもっている親でも、いやがらずに子どもを国立の学校にやることができるだろう。そして良心を啓蒙するとか指導するとかいう口実で、公教育が良心の権利を犯すことはまったくなくなるだろう。」

 コンドルセは、革命権力によって宗教を一掃しようという考えは抱いていませんでした。ただ「道徳を特定の宗教にもとづけることが必要だとまだ考えている人々」に対してもこの分離を認めさせなければならないと考えていました。そうしてこそ、それぞれに異なった宗教を信じている個々の人々の内心の自由を守ることが可能になるのです。

 革命前のフランスにおいては、カトリックが絶大な権威をもっていました。国家権力と結びついて、聖書に基づいて、国王が人々の上に立つことの正当性を説いてきました。プロテスタントにも一定の信仰の自由を認めていたナントの勅令をルイ14世が廃止して以降は、カトリックの儀式に出席しない者に対しては、「異端者」として激しい弾圧をおこなってきました。

 これはちょうど、絶対君主を天皇に、聖書を記紀神話に置き換えれば、戦前・戦中の日本において国家神道が果たした役割と同じでした。教室では聖典に基づいて権力の神聖さが説かれ、それに逆らうことは許されませんでした。だからこそ、そうした精神に対する支配を許さないためにも、戦後の日本国憲法においても徹底した政教分離が定められているわけです。
(鈴)


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