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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

教育編 第8回 公教育の彼方先を見つめて

2012-01-09 | 憲法って、面白っ!

 これまで紹介してきたコンドルセの報告はその最後でも、公教育の公権力からの独立について再度強調しています。

「われわれは公教育をあらゆる公権力から独立させた」

 「あらゆる公権力」というのは、もちろんコンドルセ自身がその一員である革命政府の権力をも含んでいます。せっかく絶対王政を打ち倒しても、その革命の成果が全ての人々のものになることなく、再びそれが後戻りしてしまうことを彼は危惧していました。

「人間精神がある程度の段階に達していても、何らかの権力がその進歩を押しとどめるならば、以前よりもっとひどい誤謬に逆戻りするのであり、そうならない保証は何もない。人間精神は立ち止まれば必ず退歩するのだ。そして検討することも評価することもできない対象が人間精神に対して示された瞬間から、人間精神の自由に最初の終止符が打たれ、そうなればやがて、もはや精神の隷属にはとどまらないことを危惧せねばならないであろう。」

 しかし、それと同時に、こうして彼自身が心血を注いで提起した公教育制度が不要になる時代が到来することを期待していました。

「権力によって設立された学術団体が余計なものになり、したがって危険なものになる時代、あらゆる公教育制度さえも無用になる時代が、おそらく到来するだろう。よく見られるような誤謬がもはやまったく恐れるに足りないものになり、利害や情念に訴えて偏見を助けるような主張が全て影響力を失うような時代、啓蒙がすべての地域と階級に平等に普及し、科学とその応用もあらゆる迷信や有害な学説の軛(くびき)から解放される時代、各人が自分の正しい知識と正しい精神を身につけ、それを武器にしてペテン師のあらゆる悪巧みを十分に退けることのできるような時代――このような時代がおそらく来るだろう。しかし、その日はまだ遠い。われわれの目的はこの時代を準備し、その到来を早めることにある。われわれはこれらの制度の確立に力を注ぎ、そのことによって、これらの制度が無用なものになる幸福な瞬間の到来を早めることに、たゆまず取り組まなければならなかった。」

 ここには理想主義と現実主義が見事に結合した革命家コンドルセの面目躍如とも言うべきものがあります。フランス革命の時期には教育に関する多くの議論がなされましたが、彼ほど深く遠くまでこの問題を提起した人はなかなかいません。
 次回は、コンドルセの追随者と批判者についての概観を示して、このコンドルセの部を終了します。(鈴)


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1 コメント

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教育への権力の介入に反対することの意味について (ヒデ)
2012-01-10 10:55:31
二百数十年も前に「公教育の、あらゆる公権力からの独立」とその意義を非常に明瞭に主張したことに、驚嘆しないではいられません。
私自身は、現在の反動的な権力による教育への介入に反対しながら、社会変革を成し遂げた後にはどうなるのか、どうするのか、ということに揺れる思いを抱いてきました。
ようやく最近になって、教育への権力の介入を排除するということが持つ重大な意義に気づくようになりました。つまり、教育に公権力が介入しないということによって、子どもたちは最も純粋な形でその時々の社会状況をありのままに反映するような意識を獲得していくのだ、ということに気づいたのです。
その時々の権力は、子どもたちがその時代の意識を最も純粋に反映するような形で成長していくことが、利益なのか不利益なのか、それが根本問題だと思うのです。歴史の流れに逆らう反動的な権力は、当然ながら、子どもたちが時代精神を最も純粋な形で体現していくことに脅威を抱くに違いありません。社会変革を目指し未来へと前進しようとする権力は、子どもたちが時代精神を最も純粋に反映するような形で成長していくことにこそ、もっとも重要な意義を見出すでしょう。
子どもたちは、大人たちのこざかしい介入を最も排除した形での教育によってこそ、時代精神を最も純粋に反映しながら育つことでしょう。
(ヒデ)

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