LiveInPeace☆9+25

「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

教育編 第12回 「食人種について」

2012-04-03 | 憲法って、面白っ!

 モンテーニュの生きた時代から半世紀を遡った頃にヨーロッパ人はアメリカ大陸を「発見」し、新大陸の住民との交流が始まりました。
 ヨーロッパ人は、アメリカ大陸に住む住民を“野蛮人”と決めつけて、奴隷にしたり、インカやアステカのように彼らのコミュニティを破壊してしまったりしました。

 アメリカ大陸の住民の中でも、「食人」の習慣を持つ人々について、モンテーニュは次のように述べています。

「新大陸の民族について私が聞いたところでは、その民族のうちには野蛮なもの、未開なものは何もないように思う。ただし、各人が自分の習慣にないことを野蛮と呼ぶならば、話は別である。事実、われわれは自分の住んでいる国の意見や習慣を実例とし理想とするほかには、真理と理性の照準を保たないように思われる。新大陸にも、やはり、完全な宗教があり、完全な政治があり、すべてのことについて完成された習慣がある。」

 その民族の間には、近隣の部族との争いにおいて捕虜になった者はしばらく優遇した後で殺し、その肉をみんなで食べるという習慣がありました。捕虜になった者もそのことを承知していて、死を前にしてもそれを自分の勇気を示す機会と捉えていました。

「われわれは理性の基準にてらして、彼らを野蛮と呼ぶことができるにしても、われわれ自身に比べて彼らを野蛮と呼ぶことはできない。われわれの方があらゆる種類の野蛮において、彼らを超えている。」

 宗教的、民族的偏見が渦巻いていたと思われる四百年も前の時代にあって、モンテーニュはどうしてこのように考えるようになったのでしょうか。
 それは彼の屋敷の使用人がアメリカ大陸の出身であったことが大きく作用していると思われます。モンテーニュは彼と親しみ、彼らの風習や食事について知ることになったのです。それに加えて、こんな経験もモンテーニュに大きな影響を与えたと思われます。

 ある時、フランスの宮廷が、彼らの代表者をフランスに招くことを思いつきました。国王は彼らにフランスの儀式や立派な都市の様子を見物させました。もちろん、宮廷は彼らを平伏させるつもりでそうしたのでした。
 しかし、彼らの感想はといえば…。

「まず第一に不思議だと思うのは、王様のまわりにいる、髭を生やしたたくましい、武装したおおぜいの大男たちが一人の子供に甘んじて服従していること、どうして大男のあいだから誰か一人を選んで王様にしないのかということである。」

「第二にあなたがたのあいだにはあらゆる種類の安楽でいっぱいになっている人たちがいるかと思うと、その半分たちが(彼らの言語では、たがいに他人たちを自分の半分と呼ぶならわしがある)飢えと貧しさに痩せおとろえて、彼らの門前に物乞いをしていること、しかもこれらの窮迫した半分たちが、このような不正を耐え忍んで、他の半分たちの喉をしめたりその家に火をつけたりしないことが不思議である。」

 モンテーニュはその場にいて、彼らと直接言葉を交わしたりもしました。モンテーニュはこれを彼らの言葉として記録していますが、彼自身、これらの考えに共感を持つことになったのは間違いないでしょう。

 一般のヨーロッパ人から「野蛮人」と低く見られている人々に対して、モンテーニュは対等の人間として敬意を払い、ヨーロッパの社会が持つ欠陥を指摘する人々として彼らの意見を尊重しました。この人間主義こそは市民革命思想の源流であるといえるでしょう。(鈴)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。