国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

皇国憲法試論(4)

2014年02月08日 | 皇国憲法

大日本帝国憲法の何が問題か。

大日本国憲法は戦争を惹起する欠陥をもった憲法といわれる。

しかしながらその何が問題なのかが正しく分析されていない。

現代の立場からは
・架空の神話を基礎としていること。
・天皇陛下に政治の権限があり、それがあまりにも大きいこと。
・天皇陛下に権限があり責任無答責で責任は輔弼者が担うことになっていること。
・天皇陛下に統帥権があるため統帥権干犯が起こりうること。
・軍部が暴走して政治を総覧した。

などが指摘された。

占領軍および欧米はヒトラーのファシズムを念頭において日本を解体した。そのため日本国憲法では

・天皇の政治権能をないことにし、
・内閣総理大臣と議会の権限で政府が動くようにし、
・内閣総理大臣を自衛隊の最高指揮官とした。
・自衛隊は軍隊ではないとした。

統帥権干犯は、軍統帥部が独立して作戦遂行を行う口実となっていた。

統帥権そのものは天皇の権能の一つであったが、陛下は自ら意見を表示されることは少なく、忠言にとどめ、統帥部の上奏を拒否することなく承認していた。

これには

1、張作霖爆殺事件をあいまいに処理した田中大臣を辞任に追い込み内閣解散、田中は辞任後死亡したことに責任を感じていたということ。

2、陛下ご自身が英国の立憲君主制を模範とし専制君主といわれることを嫌っていたこと。立憲君主の立場を貫らぬこうとされたということ。

3、軍部がクーデターを起こし、日本の秩序が維持できない気配があったこと。(5.15事件 2.26事件)

などがあげられる。

 陛下が軍部の上奏を「意に沿わなくとも裁可する。」ということ自体が組織としてすでに正常ではなく、陛下自身の意思と国民、軍部の行動に乖離が生じてしまう。

 開戦がその一つであった。東条英機という開戦論者がいかに陛下に忠実であってもどれほど本気で開戦を避けようとしたか今日でも議論はある。

 陛下が意に沿わぬものを拒否したらどうなっていただろうか。軍は謀略を用いてクーデターを起こし、自分の意に沿う皇室の皇位継承者を立てただろう。実際青年将校らは秩父宮様擁立など画策されていたといわれ、そのことは後日陛下が記録に残しておられる。

  先に述べたように出口王仁三郎は天皇親裁を主張しており、いわゆる昭和維新を唱える青年将校や秩父宮様と意見が一致している。

 しかしながらそれをクーデターにより実行しようとする北一輝らと出口王仁三郎とは一線を画していた。北一輝は出口王仁三郎に協力を求めたが、拒否している。

 このあたりがわかりにくい。

 5.15事件の背後には大川周明が 2.26事件の背後には北一輝がいる、しかし彼らの説く理論に関しては

2.26事件で統制派に嵌められた皇道派の真崎甚三郎の見識が的を得ている。

「北一輝の『日本改造法案大綱』はロシア革命におけるレーニンの模倣でありそれを基にした国家改造は国体に反する、大川周明の思想は国家社会主義であって共産主義と紙一重の差である、と結論づけた。そして軍人の革新運動への参加は、軍を破壊するだけでなく、国を危うくすると認識し、軍人がそうした思想家に近づくことを警戒していた」

統帥権干犯のアイデアを広めたのは北一輝だった。そして彼はもと左翼活動家だった。

 

 


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