国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

皇国憲法試論(3)

2014年02月03日 | 皇国憲法

日本皇国憲法

1、憲法は神律を敷衍するものなり。

2、カミがオオミタカラのためにたてたるものをキミという。

3、統帥権、行政権、外交権、経済権は天皇に属す。

4、天皇が議会によりこれらの大権を行使する。しかし、議会を経ずして大権を行使するも可なり。

5、天皇の意思により、万機公論にて決す。

6、議会は天皇の意思を現実に照らし合わせて実現せしむる機関なり。

7、議会が機能しがたい時においては天皇が直接裁可することあり。

8、天皇が主にして憲法は従なり、臨機に応じて運用するものなり。

9、神を祭り、国教を定め、歴史地理を明らかにし。身を修むべし。

 

 問題は、議会にこれをゆだねた時に、それで間に合うかということである。特に軍事の問題は早急を要する問題が多く、和戦いずれかというときには議論することも必要であるが、刻一刻と戦況が変わっているときには議会ではなく天皇陛下を中心とした組織ができなければならない。そのために大日本帝国憲法では統帥権は独立できるようにしていた。

 ところがほかならぬ統帥部がこのシステムを利用して暴走してしまった。これを抑えることができるのはほかならぬ陛下のみであったが、こうした軍の意向に反対すれば責任者が辞めてしまい、反乱を起こして2.26事件のような反乱を起こす気配があったという。

 立憲君主制の下、陛下はベトーを発せず、そのために戦争に突入したが、ベトーを発したとしてもかえって政府組織は混乱して日本がめちゃくちゃになったというのが昭和天皇の見解であった。

 昭和天皇は、「この事件あつて以来、私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持っていても裁可を与える事に決心した」「田中に対しては,辞表を出さぬかといったのは、ベトー(=天皇の拒否権)を行ったのではなく、忠告をしたのであるけれども、この時以来、閣議決定に対し、意見は云ふが、ベトーは云わぬ事にした」「昭和天皇独白録」

これは陛下の姿勢の問題と言われるかもしれないが、昭和天皇の意見に反してまで戦争を遂行しようとした臣下の責任であり、そういう臣下しか要職に残っていなかったという、政治体制の問題でもある。

結局は人なのだが、木戸が東条英機を総理したのは誤りであり。真崎甚三郎が木戸を批判したのも当たっている。

「万一皇族内閣の決定が、開戦ということになった場合を考えると、皇室をして国民の怨府たらしむる恐れなきにあらず」と述べ反対した木戸が東條を推す。ということだったらしいが、これは責任回避でしかない。

木戸幸一は昭和20年3月3日、宗像に対して、ソ連は共産主義者の入閣を要求してくる可能性があるが、日本としては条件が不面目でさえなければ、受け入れてもよい、という話をしている。さらに「共産主義と云うが、今日ではそれほど恐ろしいものではないぞ。世界中が皆共産主義ではないか。欧州も然り、支那も然り。残るは米国位のものではないか」とし、「今の日本の状態からすればもうかまわない。ロシアと手を握るがよい。英米に降参してたまるものかと云う気運があるのではないか。結局、皇軍はロシアの共産主義と手をにぎることになるのではないか」と述べている。

これはまったく世事に疎い、秘書の発想でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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