国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

皇国憲法試論(2)

2014年02月02日 | 皇国憲法

いわゆる軍の統帥権の問題は別のところで論じたように陛下の統帥大権とすべきか。総理大臣を司令官とするかという問題になる。

太古の原則を言えば兵馬の権は陛下の属する。それだけでなく、経済権も陛下に属せしめれば、日本は世界最強の国家になる。だけでなく、戦いか和平かの判断に間違いがなくなる。陛下が神の意思を奉じればだが。

そこに至るためには、国民の道徳性と信仰心が磨かれて、国内に反対の声が聞こえなくなるほどに陛下を中心の考え方が浸透しなくてはならない。また陛下と神がひとつになって天皇神政が実現していなければ、軍が暴走する。

天皇と国民の意思が同じ方向を向くこと。これを上下(かみしも)そろうという。

実は先の戦争は実は国民の多くが望んだから起きた。国民の生活が窮乏して餓死者が出、娘を売らなくてはならない状況があったということもあった。

陛下は戦争がむごいことがご存知であったので反対であったが、その状況をいかんともしがたかった。

この時経済権を陛下にゆだね、陛下の御稜威で紙幣をどんどん発行し、コメの価格を公定にし、土地の所有権を拝借権と名称を変えて私有財産制の思い込みをひっくり返してしまえば、困ることはないというのが、かの出口王仁三郎が示された皇道経済である。

実は出口に先立って、出口の師である大石凝真素美の師 山本秀道が「我が所有の地所はじめ金銀財貨の類残らず大君へささげ奉ってくれ」と郡役所を通じて、県令に申し出た行為にその根本的な考え方がみられる。

これは国家にゆだねるのではなく天皇陛下にゆだねるというところが、共産主義と違う。実は共産主義はそのモチーフを古代の原始共産制から得ている。

つまり原始共産制は太古の経済体制から唯物論に基づいて神と天皇を除いてシステムだけを国家という法律上のシステムに結び付け一部の人間が支配できるようにしたシステムである。

専制も共産も神を見失い、欲におぼれた為政者がこの太古のシステムを悪用して生み出したものである。

我が国の天皇親政のシステムは専制にあらず共産主義にあらず。民を主にするにあらず。

タミを本にしつつ、君主を中心として国家を形成し、家族を細胞単位としてそれを国家大に押し広げ、タミの父母としての天皇皇后をたて、万機公論にて決し、君もタミも心の中にカミを思って君はタミを想い、タミは君の意思をシルことで意思が統一される仕組みである。

現代人より見ればそれは民主主義と君主主義と共産主義の折衷合体と思われようが、実は逆なのだ。

太古の理想的政治形態がもともと存在し、それが部分的に都合よく運用されて共産主義や専制主義や民主主義が生まれた。一部の人間が自分の利益のために政治形態を利用している。

政治的原理の根本は国家論にしめされている。多くのバリエーションもいくつかのパターンに集約することができる。

世界の指導者や権力者はこのプラトンの国家論を知っている。

かつて世界的な大金持ちがこのプラトンの国家論を読んでいると聞いたことがある。その時は金があって余裕が出てくると教養を身に着ける努力をするのだと思っていた。

そうではない。プラトンの国家論には政治学の原理が記されており。それは21世紀の今日にあってもさしてかわらないのだ。

民主政治は統治形態の中で最下位に評価される。

大富豪はそれがわかっていて、この原理を利用する。民主政治にはリーダーが必ずいてそれが大衆を先導する。そのリーダーを富豪がコントロールすればよいのである。

選挙に金がかかる。金の出せるものが選挙を左右できるようになる。

 

 

 

 

 


 

 


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