LIFE - music. journey. new york.

ニューヨークとわたしの日々

炎天下インドネシア [9] ギリメノの宿

2009年01月31日 | travel


▲私のバンガローの目の前の海。
だーれもいない。

ギリメノは、ガイドブックに載っていない宿もたくさん存在するし、基本的にはどこもバンガローなので実際に現地に行って部屋を見てから決めた方がいいんですが、まず選ばなきゃならないことがあります。それは、シャワーが海水か真水かってことです。ギリメノには真水を作る施設がないので、真水はすべて隣のロンボク島から船で運ばれて来ます。だから真水シャワーはすごく貴重品で、必然的にお値段も高くなるってことです。「海水シャワーでいいや」っていうなら、good looking なバンガローが1泊 Rp60,000(6ドル)とかで選び放題。

で、私は真水シャワー有りのバンガローに泊まりました(ホットシャワーはなし)。地元の人はみんな海水でマンディしてるんだし、白人のカップルとかもけっこう海水シャワーの宿に泊まっていたので、意外と平気なもんなのかなあと思ったけど、ヘタレな私にはちょっと無理かなあ…と。

だけど、私の泊まった「Kontiki Cottages」、すごくよかった。1泊 Rp400,000のところ「8連泊するから!」って交渉して Rp250,000。がんばればもうちょっと下がったかな?って雰囲気。ドアを開けたら目の前に上の写真の海が広がってます。この海の美しさに惹かれて決めたようなもの。



▲入ったところは小さなリビング
壁やテーブルだけでなくバンガローの扉も全面この彫刻
とってもすばらしいです
ドアの外にも椅子とテーブルを置いたポーチがある




▲ベッドルーム 蚊帳がついてます

宿のスタッフ全員の名前を覚えて、仲良くやってました。スタッフは全然しつこい感じじゃなく、素朴でナイスな人ばっかり。

炎天下インドネシア [8] 天国に一番近い島、ギリメノ

2009年01月30日 | travel


▲ Gili Meno ギリメノのビーチ

バリを発って、ギリメノへ行きました。バリ島の隣にロンボク島という島があるのだけど、そのロンボク島の横っちょにある小さな小さな3島のうちの1つがギリメノです。歩いて1時間半くらいで一周できちゃうような本当に小さな島で、真っ青な海と珊瑚礁に囲まれた、まさに「天国に一番近い島」。しかも人がほとんどいないので、どこのビーチもこんな感じでひとり占め状態。


南方の絶海ってこんななんだ…と思いながら、毎日飽きずに目にしみるほどこの色を見てた。この水の色と透明度を何とか写真に残せないかと一生懸命撮ってみたのだけど、やっぱりあの感動のキラキラは再現しきれてなかった。

ギリメノには、車やバイクといったエンジンを使った乗り物が1台もない。その代わりに走っているのはチドモ(=馬車)。



▲チドモ

ギリメノには、スキューバダイビングとのんびりビーチリゾート生活の目的で行きました。実際、ほんと~うにのんびりしてます。島には宿もレストランもすべて覚えてしまうほどしかなくて、私はここに8泊したら、すれ違う人全員と挨拶するくらいの顔見知りになってしまった。マリンスポーツはダイビングとスノーケリングだけ、あまりにもプリミティブすぎてやることがないので、もうちょっとパーティーしたい白人たちは皆、隣のギリ・トラワンガンに行ってしまう。そんなわけで、この青い宝石のような孤島で静かに過ごすことができて、幸せでした。

ちなみに、なぜこの島を私が目指したかというと、この島が「ウォレス線」上にあるからです。ウォレス線とは、バリ島とロンボク島の間を走る生物の分布境界線のことで、これより西の生物相は生物地理区のうちの東洋区に属し、東はオーストラリア区に属するというもの。つまり、この境界線をもってしてバリ島は「東南アジアの果て(生態系の)」なのであり、ここより東に行くとオーストラリアの生態系に変わるのだそうです。だから何だって話ですが、東南アジア好きとしては「東南アジアの果て」という言葉に惹かれてしまいました。

炎天下インドネシア [7] バリでチャナンを作る

2009年01月29日 | travel
サテリリ作りと並行して、女性たちはセレモニーで使う大量のチャナン(=お供え物)を作ります。



▲ガゼボ(=あずまや)で作業中のイブ(奥さん)たち
何をしているのか見に行ってみると…




▲流れ作業でチャナン製作中。




▲お米を蒸してお団子にしたもの、バナナ、そして
クルプック(=揚げせんべい、ピンクのやつ)を使ってます
器はココナツの葉を裂いて編んだもの
何をいくつ入れるとか、全部決まりがある
それぞれにちゃんと意味もある




▲こちらでは、左のイブが小さなカゴを作り、
右のイブがその中に甘~いココナツライスとバナナを詰めて
それをさらに緑色のバナナの葉でくるんでひもで結ぶ作業
端でずーっと見ていたら「食べてみる?」と
そのココナツライスを器に盛ってくれました
これがすっごく美味しくてビックリ
こんなに美味しいものをお供えしているのね…
ちなみに、この2人はかなりひょうきん系のイブ




▲大きくて立体的な、夏休みの自由工作のようなチャナン
こんなの初めて見た。
この写真の後、イブたちがはしゃぎすぎてチャナンが倒壊
「あ~あ~」と大騒ぎしながらまたやり直してました

炎天下インドネシア [6] ジャングルでサテ作り

2009年01月28日 | travel
バリ島奥地のジャングルにあるティンガン村に着きました。2日後に大きなセレモニーがある予定で、今日はそのセレモニーで奉納する「サテリリ Sate Lilit 」を作るのです。サテリリとは、バリ風つくねの串焼きのことで、鶏ひき肉にココナツフレークを混ぜて串焼きにしたもの。

サテリリ作りは男の仕事。セレモニーのためにきっちり1,000本のサテリリを作らなきゃならないのでおおごとです。近所の人が集まって大勢で協力して作業するんだけど、ひき肉を作る機械もないし、まずは庭でバタバタ走り回っている鶏を何羽か見つくろってしめるところから始めるので、容易でない。




▲しめて血抜きした鶏を60度くらいのお湯でゆがくと
手で簡単に羽をむしれる




▲骨を取り除き、内臓、足、肉など部位ごとに分ける
内臓は別種のミンチに、足はお昼のスープになった




▲ミンチにするのは手作業。
鉈(なた)でひたすら叩く、叩く…




▲できたミンチを練ってさらに滑らかに




▲一方、こちらはココナツフレーク作り。
このおじさんは延々とココナツを鉈で割ってた




▲殻から出して洗ったココナツを、また延々とおろす
ココナツフレークは2つのたらい一杯になりました




▲ミンチ肉、ココナツフレーク、サンバル、
サトウキビから作った黒いペースト状の砂糖などで味付けて
混ぜ混ぜ




▲スティックだって手作り。
その辺で竹を取ってきて適当な長さにカットし
こうやって鉈で細く裂いていく 端っこはちゃんと尖らせる
どうやら道具は、鉈とさっきのおろしがねしかないらしい

ワヤンは、私とほとんど年が変わらないというのに、この超原始的な作業の全工程ができる。まったく敬服しちゃう。こういうのどうやってできるようになったの?と聞いたら、サテリリ作りは小さい時からセレモニーのたびにお父さんに習ってやってたからね、ということ。でも、もし今後、精肉機械が導入されたり、既製の串を買って来て使うようになったら、こうした技術は次世代ではきっと廃れていくに違いないのだ。それはもったいないなすぎる、と思うほど、皆さんの手作業は鮮やかでこなれていて、感動した。




▲ようやくタネができたので、串を作ります。
1,000本。まったく気の遠くなる作業。




▲そんな気の遠くなるような作業なんだけど、
皆さんずーっと和やかにお喋りしていて(手は動いてる)
とても和気あいあいとしているので、楽しそう。




▲できた串から、このオールドファッションなかまどで
どんどん揚げていきます
毎日の食事もすべてここで調理。
ティンガン村には、電気もガスも水道も電話も、何にもない




▲できたぁ~▲
手前の赤い小さな串は、血抜きした時の血を固めたもの。
セレモニーで使う。サテの色にも宗教的な意味があって
黒い串、白い串、赤い串を作るのだ


この日集まってた近所の人たちは本当に和やかで優しくていい人ばっかりで、誰ひとり英語が話せないのに一緒にいて心からくつろげた。楽しかった。最初に書いたようにこのサテ作りは男の仕事なんだけど、では女性たちはというと、セレモニーで使う膨大な量のチャナンを作ってた。これがまた、かしましいイブ(奥さん)たちが集まって、お喋りが止まらず超楽しそう、そっちの進捗状況をチェックしたりこっちのサテに戻ってきたり、ホントこの日は楽しかった。

ずいぶん長くなってしまったので、奥さん連中のチャナン作りの様子は次回。

炎天下インドネシア [5] バリの葬列に出会った

2009年01月27日 | travel
ペジェンから山奥のジャングルにあるティンガン村へ移動中に、バリ・ヒンドゥーの大葬列に遭遇しました。



警察まで出動して交通整理をしているから、いったい何事かと思ったら、運転していたワヤンが「おー、向こうから葬列が来るよ。見たい?」というので、私たちはわざわざ車を横道に停めてしっかり見物しました。




▲すごい数の人々がずーっと歩いてきます。
列の最後は全然見えないくらい


バリ島のお葬式はクリメーション(火葬)で、この葬列はバリ語で「ガベン」っていいます。おみこしが何台も続くし、あまりに大きいのできっと公人のお葬式かなあと思ったら、プライベートのものだそう。ワヤンいわく、このくらいの規模はけっこうあるらしい。ちなみに、しんみりしている人も誰もいない。




▲女性たちは、いつものようにいたってカラフル




▲ガムラン音楽隊も続きます。賑やか




▲ライオンの張りボテの乗った山車。
この張りボテは「パゴタ」という。後でこれも燃やすとか。
カーストが高位だと牛だったり、身分によって違う。
ライオンの人の身分は「?」 …聞き忘れました


こういう葬列には、かなり費用がかかるらしい。想像に難くないです。そのため死者が出るととりあえず土葬し、費用が準備できたら、再度墓から掘り起こして火葬します。その火葬のための葬列がこれです。バリ・ヒンドゥーでは、死者の魂は火葬で清められることによって死体から離れることができるとされています。だから、火葬されないかぎり、死者の魂は行き場がないということです。このあたり、2年前に行ったカンボジアでもまったく同じ事情でした。カンボジアは今は仏教国だけど、アンコールワット時代の13世紀頃はヒンドゥー教だったわけで、その名残というか土着信仰というか、現在でも死後1年とか経ってから墓を掘り起こして火葬にする、というのはごく普通に行われています。




▲おみこしはかなり大きい。そのキラキラしたデザインや
上に人が乗って担ぎ手を煽っている様子も
日本とまったく一緒。いや「日本と同じ」なのではなくて
アジアは実は、どこも同じなんだよ~




※バリ島はヒンドゥー教なので火葬ですが、インドネシア全体で見ると80%近くがイスラム教徒なので、一般的にはイスラム式に土葬が主流です。ちなみに、イスラム教では死後できる限り早く埋葬することが良しとされています。質問をいただいたので追記しました。

炎天下インドネシア [4] ペジェンでお買い物

2009年01月26日 | travel
マデ、コミン、私でスクーターに3人乗りして、近所へ夕食の買い出しに出かけました。



▲スクーターで5分くらい、ペジェンの商店エリア
ここがペジェンで一番のセンターかもしれない…




▲そしてペジェンのパサールへ。
パサールは市場、Traditional Market。
やっぱりパサールは楽しい! 大好き!




▲このお姉さんのところで空芯菜(Kangkung)を買いました
それに、トマトとレッドチリも。
つまり Cah Kangkung(空芯菜炒め)の材料です




▲このお店に見える トマト、レッドチリ、ライム、
シャロット(=小さな赤タマネギ)、にんにく
はすべて、
インドネシア料理に欠かせない辛いソース「サンバル」の材料。
あとはエビの発酵調味料「トラシ Terasi」があればOK。




▲パサールでは、チャナンを作る材料も売ってます。
実はこんなふうに、出来上がったチャナンも売ってる。
マデに「この出来合いのチャナンを買うこともあるの?」と聞くと
「うん、忙しい時だけたまに…」というバツの悪そうな返事、
やはりきちんと毎日手作りするのがヨシという雰囲気みたいね。

炎天下インドネシア [3] ペジェンの月

2009年01月25日 | travel


▲ 今からみんなでウパチャラに行くの。

12月12日~13日にかけて、Upacara Tumpek Wayang(ウパチャラ・トゥンプッ・ワヤン)という大きなウパチャラがありました。ウパチャラというのはバリ・ヒンドゥーの祭礼、儀式のこと。ウパチャラそのものは毎月あるのですが、今回のは6ヶ月に1回という大きなウパチャラなのです。夕方、お供え物とお祈りセット(上の写真でコミンが持ってるのがそれ。お皿・お線香・花弁を人数分用意します)を持って、バリ・ヒンドゥーの正装でチャンディに向かいます。

ところで、ペジェンと言えば 「ペジェンの月(Fallen Moon of Pejeng)」。ペジェンに有名なものなんて唯一これしかありませんが、私は以前からすごく興味があって一度見に行ってみたかった。で、今回ワヤンの家にお世話になってみたら、「ペジェンの月」はワヤン宅からほんの目と鼻の先、歩いて10分くらいのところにある大きなチャンディの中にあるというのです。なんてラッキー!

ちなみに、「ペジェンの月」とは何かというと、巨大な鋳造の銅製ドラムです。直径が186センチあり、1ピースの鋳造ドラムとしては世界最大のもので、1000年から2000年前の製造と推定されています。




▲「ペジェンの月」 Moon of Pejeng
Pura Penataran Sasih という大きなお寺にある




▲表面は細かな模様が美しく彫刻されています

バリの伝説によると、昔、月が強く輝いていて、泥棒が悪さをすることができないほど明るかったので、1人の泥棒がその光を拡散して弱めようと思い、おしっこをかけた。すると月は爆発して地球に落ちて来て、このドラムになったということらしい。

夕方、私たちが支度をして通りに出てみると、村中の人々がぞろぞろとチャンディに向かって歩いています。







▲バリの正装とお供え物が溢れ、街はとても華やか




▲ウパチャラの様子。司祭がお経を唱え(←マイクで)
全員がお花と線香を使ってお祈り。
その後、司祭がひとりひとりの前に来て聖水を振りかけ
最後にお米を数粒くれるので額と喉にくっつけます
3歳のコミンもすべてのしきたりをマスターしている


バリ・ヒンドゥーにとって大変重要な祭礼に偶然にも巡りあうことができ、しかもそれが憧れの「ペジェンの月」のお寺のウパチャラだったなんて、本当に感激してしまいました。

※「ペジェンの月」を見に行くには…
ガイドブックにはあまり詳しく載っていないようなんですが、見に行きたい場合は、ウブドからタクシーかベモに乗るとよいと思います。「Pura Penataran Sasih」って地元では有名なので、「プゥラ・プナタラン・サシィに行きたい」って言えば確実にチャンディの前で降ろしてもらえるはずです。ウブドからだいたい10分か15分くらいで着きます。ベモというのは乗り合いバンのことで、地元用の小さなバス。買い物中のおばちゃんとか乗ってます。乗り合いなので他の客もいて安全だし、運賃も安いので(Rp3,000~5,000、30~50セント)、ペジェンとか Tampak Siring 方面のベモを見つけたらぜひ乗ってみてください。もし正確な地図を持っていたら、ウブドから散歩がてら歩いて行くこともできます。1時間半くらいはかかりますが。しかも途中で車に轢かれそうになる道が多々ありますのでくれぐれも気をつけてください。

炎天下インドネシア [2] バリ・ヒンドゥー

2009年01月24日 | travel


▲ペジェンの名もなき小さなチャンディ(=寺)
バリのよくあるお寺風景




▲マデがチャナンを家のあちこちにお供え。

チャナン(canang)とは、バリ・ヒンドゥーのお供え物です。お花、刻んだ葉っぱ、お米、米粉を用いた練り物、線香などを組み合わせて、ココナツの葉やバナナの葉で作った小さなお皿に入れます。大きいものから小さいものまで種類はいろいろ。毎日毎日新しい物に取りかえなければならないし、すべて手作業だから、正直大変な手間だなあと思いますが、バリ人にとってはもう生活の一部。マデに「何歳くらいからチャナンを作り始めたの?」と聞いたら「…そんなの忘れちゃった」そうで、みんな小さい頃からお手伝いで始めるらしい。




▲チャナンとは、こういうもの。
この入れ物はココナツの葉を細く裂いて編みます
ひとつひとつ手作り。手伝ったけどけっこう難しいです




▲たくさんのチャナンをお盆に載せて家中をまわります

外の歩道や交差点などにもお供えします。だからバリでは街中のいたるところにチャナンがあるというわけ。商店の入り口なんかにも必ずあるので、外国人がうっかりして足元のチャナンを踏んでしまっているのをよく見かけます。




▲私の家族が正装してウパチャラに行くところ。
左が長男のグデ(12歳)、マデは供物を頭に載せて歩く。

全員ビシッと正装して参詣するウパチャラ、
その行き先は……次のエントリーで。

炎天下インドネシア [1] ペジェン村の生活

2009年01月23日 | travel
2008年12月7日から2009年1月7日までの1ヶ月間、インドネシアに行ってきました。バリ島 → ロンボク島 → ギリ・メノ → ジャワ島とまわり、最後に数日間だけまたバリ島に立ち寄ってきました。

インドネシアという国はとても大きな海洋国で、世界第4位の人口と1万7,500もの島々を擁し、民族や文化や言語などあらゆる面で非常に多様性に富んでいます。そのようなわけで、私が見てきたことがインドネシアのすべてとはまったく思っていませんが、それでも今回、できる限りローカルの人々と同じ行動範囲、同じ移動手段、同じ食生活をしようと決めていたので、観光旅行ではなかなか見えない人々の姿が少しは垣間見れたかなあと思っています。その素顔を少しずつ紹介していこうと思います。

最初に訪れたバリ島ではホテルには泊まらず、ずっとバリ人の友人宅に居候してました。そこはウブドから車で10分くらいのペジェン(Pejeng)という村で、旅行者は誰も来ない、地元民のみのエリアです。家族は6人、友人のワヤン&マデ夫妻と3人の子供たち、そしてワヤンのお母さん。毎日彼らと同じ食事を食べ、ガユン(=手桶)でマンディ(=行水)し、バリ人にとって欠かせない毎日の仕事・神さまへのお供え物作りを手伝って、バリ人の標準服・サロンとスレンダンを身につけて過ごしていました。




▲ワヤン家のリビングルーム(赤いタイルのお座敷)。
バリの家のリビングは基本的にこんな感じの屋外スペース。
開放的すぎて「蚊に刺される」という難点がありますが、
異様に居心地がよくて何時間でもぼんやりできちゃう




▲バリ・ヒンドゥー道を貫く友人・ワヤン(右)と
次男・アリス(7歳)、長女・コミン(3歳)




▲家の裏へ回るとすぐにこんなジャングル
川でマンディする人もペジェンにはまだけっこういる




▲近所の川で洗濯する人




▲家の裏の田んぼ。手作業で脱穀中
お米は1年に2回収穫できるとのこと


こんなペジェンで終始まったりと過ごしていたため、観光地ウブドには2回しか行かずじまい。ウブドに行ってみたら、あまりにも賑やかでおしゃれなシティぶりと白人の皆さんの多さにドギマギしてしまいました。

オバマ大統領 就任式

2009年01月20日 | new york
本日 2009年1月20日、第44代バラク・オバマ米大統領が就任しました。ワシントンDCの体感温度マイナス10度(とテレビで言ってた)という寒さも厭わず詰めかけた大海原のような群衆を前に、大統領就任式が行われました。

就任式では、新大統領が聖書に手を置いて宣誓するんだけれど、オバマさんが使ったのは尊敬する第16代エイブラハム・リンカーン大統領が1861年の宣誓に使った聖書。赤茶色の装丁の、まさに骨董品のその聖書を、かたわらに立ったミシェル夫人が持ち、大統領はその上に左手を置いて宣誓しました。意外なことにリンカーンの聖書を使って就任の宣誓をした大統領はオバマさんが初めてだそうで。ちなみに17日、オバマさんは、1861年にリンカーンが列車で就任式に向かったという事実にならい、フィラデルフィアから約220kmを鉄道で移動してワシントンDC入りしたらしい。2009年はリンカーン大統領の生誕200年の年にあたる。オバマさんと同じイリノイ州選出で「奴隷解放の父」であるリンカーン、彼もまた「分断なき国家」を目指していた。組閣人事にもリンカーンのポリシーの影響が色濃く見えるというし、強くインスパイアされているのがわかります。まったく関係ありませんが、私が幼少の頃に人生で初めて読んだ評伝はリンカーンのものでした…

この宣誓のシーン、2回くらいつっかかっちゃって、見ているこっちが本当にハラハラドキドキしてしまった。宣誓の時、連邦最高裁長官の最初の呼びかけは "Senator Obama," だったんだけど、 "So help me God." で宣誓が終了したら、長官の呼び方が "Congratulations, Mr. President." に変わっていて、これで公式に大統領になったんだなあってわかりました。

↓で、この就任演説のビデオは、その宣誓のシーンから始まります。ああ、何度見てもドキドキする…。ロバーツ長官、一節が長すぎると思うよ。もっと細かく区切ってあげて。

▼オバマ大統領就任演説


日本語で読みたい方はこちら。
オバマ大統領就任演説 全文 (毎日新聞)
(1)~(4)までありますので続きをクリックしてください。

私の個人的な感想は、「これまでの(アメリカの)エネルギーの使い方が 敵を強め、地球を危険に陥れてきた」という認識と、それに代わる「風力や太陽光発電、低燃費車の増産といった代替エネルギーへの切り替えに取り組むこと」が改めて語られたことが特にすばらしいと思います。石油によって何よりも自らが潤ってきたテキサス出のブッシュ政権ではまったくできない発想なわけで。


就任式が始まってわりとすぐに1つ目のミュージックパフォーマンスがあり、それはアレサ・フランクリンでした。驚いた! ソウルの女王は "My Country, 'Tis of Thee" を熱唱しました。


My Country, 'Tis of Thee の歌詞は こちら。


2つ目のミュージックパフォーマンスは、ヨーヨー・マとイツァーク・パールマンら4人による "Air and Simple Gifts"(violin Itzhak Perlman, violoncello Yo-Yo Ma, clarinet Anthony McGill, piano Gabriella Montero)。司会者の上院議員のお姐さんは「composition arranged by John Williams,」って言ってましたけど、ジョン・ウィリアムスって「スター・ウォーズ」の音楽やった人です。ヨーヨー・マとイツァーク・パールマンって、私が紹介するまでもないようなものすごいビッグネームなんですけど、このビデオの冒頭部分をよく聞くと、司会者がカルテットの紹介で演奏者の名前を読み上げている時、3人目の「Yo Yo Ma,」のところで明らかに大きな歓声がどっと上がります。そんなことがチラっと嬉しかった私でした。

それにしても。この演奏、本当に本当にすばらしかったです。
感動しました。ヨーヨー・マってすごいね。

▼Air and Simple Gifts by Yo Yo Ma and Itzhak Perlman