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ニューヨークとわたしの日々

炎天下インドネシア [1] ペジェン村の生活

2009年01月23日 | travel
2008年12月7日から2009年1月7日までの1ヶ月間、インドネシアに行ってきました。バリ島 → ロンボク島 → ギリ・メノ → ジャワ島とまわり、最後に数日間だけまたバリ島に立ち寄ってきました。

インドネシアという国はとても大きな海洋国で、世界第4位の人口と1万7,500もの島々を擁し、民族や文化や言語などあらゆる面で非常に多様性に富んでいます。そのようなわけで、私が見てきたことがインドネシアのすべてとはまったく思っていませんが、それでも今回、できる限りローカルの人々と同じ行動範囲、同じ移動手段、同じ食生活をしようと決めていたので、観光旅行ではなかなか見えない人々の姿が少しは垣間見れたかなあと思っています。その素顔を少しずつ紹介していこうと思います。

最初に訪れたバリ島ではホテルには泊まらず、ずっとバリ人の友人宅に居候してました。そこはウブドから車で10分くらいのペジェン(Pejeng)という村で、旅行者は誰も来ない、地元民のみのエリアです。家族は6人、友人のワヤン&マデ夫妻と3人の子供たち、そしてワヤンのお母さん。毎日彼らと同じ食事を食べ、ガユン(=手桶)でマンディ(=行水)し、バリ人にとって欠かせない毎日の仕事・神さまへのお供え物作りを手伝って、バリ人の標準服・サロンとスレンダンを身につけて過ごしていました。




▲ワヤン家のリビングルーム(赤いタイルのお座敷)。
バリの家のリビングは基本的にこんな感じの屋外スペース。
開放的すぎて「蚊に刺される」という難点がありますが、
異様に居心地がよくて何時間でもぼんやりできちゃう




▲バリ・ヒンドゥー道を貫く友人・ワヤン(右)と
次男・アリス(7歳)、長女・コミン(3歳)




▲家の裏へ回るとすぐにこんなジャングル
川でマンディする人もペジェンにはまだけっこういる




▲近所の川で洗濯する人




▲家の裏の田んぼ。手作業で脱穀中
お米は1年に2回収穫できるとのこと


こんなペジェンで終始まったりと過ごしていたため、観光地ウブドには2回しか行かずじまい。ウブドに行ってみたら、あまりにも賑やかでおしゃれなシティぶりと白人の皆さんの多さにドギマギしてしまいました。