LIFE - music. journey. new york.

ニューヨークとわたしの日々

タイ・カンボジア【6日目】

2005年11月30日 | travel
朝早くのバンコクエア便でカンボジアのシェムリアップへ。1時間くらいのフライトです。シェムリアップ空港でアライバルビザを取り、建物から外へ出ると、カンボジア人の日本語ガイドさんが迎えてくれました。ホテルに荷物を置いて、いよいよ憧れのアンコールワットへ向かいます。



12世紀の前半に創建されたヒンズー教のお寺・アンコールワット。スケールが大きくて、往時の宇宙観と表現エネルギーをいまだに放ちまくっています。ガイドさんはとても上手な日本語でひとつひとつの物語や歴史を詳しく説明してくれます。どこの遺跡もそうですが、アンコールワットを初めて訪れるなら、ガイドさんを雇った方が何倍も興味深く楽しめると思います。私は、これまでに行った遺跡でもいつもガイドさんを付けて見学しましたが、プロのガイドさんのおかげで知ることができた感動というのは本当にたくさんありました。

▼レリーフで埋め尽くされた第一回廊。精緻な浮き彫りでインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」の場面が続きます。回廊のレリーフは長編絵巻のようになっていて、歩き進むと戦闘や行軍の様子が展開していきます。



▼南面のレリーフは「天国と地獄」。閻魔大王が判決を下し、天国と地獄に分かれていきます。特に地獄の責め苦のレリーフはとても詳細な描写で、大変こわい。わかりにくいですが、これは「生前ウソをついたために、地獄で舌を引っこ抜かれる」シーンです。この他にも、串刺しにされる・火あぶりにされる・全身に釘を刺される・ムチで打たれる などなど…。



▼アンコールワットを撮りたかった一之瀬泰造が、地雷だらけのジャングルから抜け出て最初にアンコールワットを目にしたのは、このアングルからだったといいます。同じように、私も下に降りて遺跡からちょっと離れ、振り返ってみました。手前には、7つの頭を持つ蛇神・ナーガがいます。



▼アンコールワットの中央祠堂までに行くには、この崩れかかっているように見える塔をよじ登らなくてはなりません。下から見上げるとほとんど垂直にそそり立っている(ように見える)石段は、風化のためすっかり角が取れてやたらスベスベしている上に、踏みしろが20cmくらいしかなく、高所恐怖症の人にはかなりキツイと思います。



▼石段を登っている途中で下を見下ろして撮りました。



▼とうとう着きました。アンコールワットの中央祠堂です。中央祠堂の周辺には、ガルーダ(聖なる鳥)、ナーガ、カーラ(食いしん坊の怪物)など、ヒンズー教の聖獣たちのモチーフがたくさん見られ、表情やしぐさがとてもユーモラス。



▼中央祠堂のすぐ横にある、王様の沐浴のための聖池。この池は仏像を洗うための池でもありました。しかし何と言っても、こんなとんでもないてっぺんに水をたたえた池を作るという、当時の灌漑技術の高さがすごい。



▼中央祠堂の高みから周りを見渡すと、どこまでも広がる密林の中に忽然とアンコールワットが存在しているという印象。



▼アンコールワットの壁面で微笑を浮かべて並ぶ、表情豊かで美しいデバターたち。その表情も、アクセサリーもしぐさも、みんなちょっとずつ違います。1人ずつ実在の女官のモデルがいたそう…。



アンコールワットをたっぷり見学したので、次はバイヨンへ行きました。バイヨンは12世紀の仏教の遺跡。▼顔の高さだけで2~3メートルはある四面仏がごろごろ(失礼)いらっしゃり、その数と大きさにたじたじ。



バイヨンの回廊のレリーフは、アンコールワットのものと違って、宗教色・政治色・戦闘色が薄く、かわって庶民の日常の暮らしぶりを描いたものが多くあります。漁や調理中のシーン、出産シーン、レスリングやチェスをしているシーンなどなど、とても面白かったです。ガイドさんと一緒に夢中になってレリーフに張り付いて見ていたので、気づいたらあまり写真を撮ってなかったです…

私、バイヨンはかなり大好きです。とってもよかった。四面仏のお顔の、なんとも言えない「ニヤリ」という表情のせいなのかな? とにかく相性がよかったです。

この後、小高い丘の上にあるプノン・バケンという遺跡に行き、360度広がるパノラマからアンコールの密林に沈む夕陽をゆっくりと眺めました。
そして夜は、クメール文化の伝統舞踊「アプサラ・ダンス」を鑑賞しました。アプサラとは天女のことで、アプサラダンスは神への祈りとして奉納されるものでした。今日1日、遺跡内でたくさん目にしたレリーフから、そのまま抜け出てきたかのようなアプサラたちが、非常に優雅な舞を見せてくれます。この、「ゆっくりとした優雅な」ってところがカンボジア、という感じなんです。うまく言えないけれど。





タイ・カンボジア【5日目】

2005年11月29日 | travel
昨日やり残したことをまじめに遂行することに。またまたプラトゥーナムへ出て、メガネを買うという目的を持って行動です。タイのメガネは安いし検査もしっかりしているので、バンコクに来たら買うことにしています。しかし、3軒も4軒も回っているのに、なかなか「これだ!」というフレームに出会えず、次第に焦りが…。そこで、今持っているメガネのレンズだけを、現在の視力にアップデートだけしてもらって、諦めました。でも、ふと横の棚を見ると、使い捨てコンタクトレンズが安い! というわけで、1年分購入。1年分で2240バーツ。56ドルでした。…これって安いですか?

さてその後は、昨日の行けなかったナイトバザールです。バンコクの街の頭上を走るBTS(スカイトレイン)を使ってナイトバザールへ。ところでこのBTS、渋滞が関係なくていいんですが、料金が高いです…。乗る距離によって20バーツとか25バーツとか。もちろん乗っている人も、赤バス(一律6バーツ)よりハイソです。

ナイトバザールは、実は思ったほどの活気はなかったためサラっと流し、10時開演のお待ちかね・ニューハーフショーへ。MAMBOっていうショーパブに行きました。

タイは、というよりバンコクは、なのかもしれませんが、本当におかまちゃんが多いです。なぜなんですかね? ちょっと不思議です。聞いた話ですが、バンコクの男子高で、おかまちゃんばっかりが大量に集まっている(集まってしまう?)高校があるそうで、その通学風景は、学校なのにすでにホンモノの風情だそうですよ。



▲全員男です。
MAMBOのショー、すばらしかったです。全員男とは、とてもとても信じられない。きれい過ぎます。足も腕も何故だと思うくらい細い。筋肉が発達しないホルモン剤でも打っているんでしょうか。日本の団体旅行客のおじさんたち、目を細めて本当に楽しそうでしたが、おかまショーに必ずある、デブの3枚目が出てきて、客席に下り、やおら抱きつかれてキスされたときには皆我に返っていました。



でも本当に本当に、男であることを忘れるくらい美しいお姉さんたち、最後に全員が握手してくれるんですが、近くで見てもとってもキレイでした。背は高かったけど。



▲一番人気の「聖子ちゃん」は松田聖子のそっくりさんということになっていますが、あまり似ていないとしても、どこにも男の片鱗がなく、かわいくてステキでした。

帰りは遅くなっちゃったけど、翌朝早いカンボジア行きに備えて荷造りなどでドタバタしていたら、結局15分しか寝られず。なんで国際線の前の晩ってこうなってしまうんでしょうか。まだ真っ暗の朝5時にドン・ムアン空港へ出発しました…


タイ・カンボジア【4日目】

2005年11月28日 | travel
朝食後、2番の赤バスで伊勢丹手前のプラトゥーナムまで行き、プラトゥーナム市場でひたすら買い物。ここは衣料品の巨大市場で、迷路のように続くアーケードの店舗数にも驚くけれど、路上で商売している洋服売りと買い物客でごったがえしていて、すごいことになっています。だんだんどこを歩いているのかわからなくなり、秩序のなさと暑さの中をうろうろしているうちに、数時間の間に1日の体力を使い果たした格好になり(でも買い物はしっかりした)、押し出されるように大通りに抜け出た時はふたりともすっかり朦朧としていました。思わず、外国人しか入っていない冷房の効いた喫茶店で、バカ高いアイスコーヒーで一服。バンコクのエネルギーに負けちゃった感でいっぱいでしたが、面白かったー。

本当はこの日、メガネも買おうかなーとか、ナイトバザールにも行こうねとか、10時からのニューハーフショーも行こう!などと言っていたのですが、あまりに疲れてまったくそれどころではなくなり、5時くらいに早々にタイスキ専門店へ行きました。タイスキ、本当に美味しいです! タイスキとはタイ式のしゃぶしゃぶなのですが、鍋に入っているダシがトムヤムスープなんです! これは本当に夢中になって食べてしまいました。おかげで写真を撮ってくるのを忘れました。エビやカキ、ホタテなどの海鮮類はもちろん、日本のしゃぶしゃぶの具にあるような野菜やきのこ、つみれ、ダンプリング、マロニーちゃん風のものもあります。トムヤムスープで鍋、いいかもしれません。つけダレが要らないし、さっぱりしていていくらでも食べられます。今度家で絶対やろう!と誓いました。こんな時、あらゆる国の食材が手に入りやすいニューヨークは、いいですね。トムヤムスープの素だって簡単に買えます。

疲れて2人ともボ~っとしていたし、ビールを飲んですっかりいい感じになってしまったので、ナイトバザールもニューハーフショーも全部「明日、明日!」ということにして、さっさと赤バスで宿に帰って、寝てしまいました…



タイ・カンボジア【3日目】

2005年11月27日 | travel
私たちの泊まっているホテルには1階にレストランバーがあります。毎朝ブレックファストを食べに降りていたので、そこで働いているヨックくんというウェイターと仲良くなりました。ヨックは、大学で日本語を習ったとかで、日本語を話します。年齢は聞かなかったけれど、多分23~24歳くらいでしょう。アユタヤ生まれだそうで、ぜひアユタヤに遊びに行ってね、とおすすめされました。

ヨックは頭がよく、とても素直な性格で、私を見かけると遠くからでも大声で名前を呼んでくるのはまだいいとして、うちの母にも「ママー!!!(超大声)」と叫んでくるので、母は大ウケでした。だいたいうちの母は、「ママ」なんて呼ばれた経験がないので、むずがゆかったそうです…
ヨックは朝8時から夜10時までという強烈なシフトで働いていて、いつ行っても働いている感じでした。「ヨック」とは、タイ語で「翡翠(ヒスイ)」の意味だそうです。すてきな名前です。

で、3日目ですが、今日は歴代の王様の住まいだった王宮と、タイで最も格式の高い王室寺院である「ワット・プラケオ」を観光です。ホテルの近くからトゥクトゥクに乗って向かいました。トゥクトゥクは、風を切って走るので涼しくて気持ちいいんですが、かなりの排ガスを素で浴びる感じなので、顔や身体が薄汚れます(そんな気がする)。



これら2つの観光名所は、入り口で服装チェックがあり、タンクトップ、半ズボン、サンダル履きなどはすべてアウトです。半袖、長いズボン(ジーンズでも大丈夫)、そしてちゃんとかかとのある靴を身に着けていないと、入場できません。私は全日程タンクトップで通す服装予定だったけど、この日のためにちゃんと半袖のTシャツを持ってきていました。靴はニューヨークから履いてきたものを。暑かったです…。この時期、タイは日中は35~36度、朝晩の最低気温も25度くらいだし、湿度も65%以上はあるので、体感気温はもっともっと高いです。暑いのは大好きだからよかったですが、本当に暑かったです…。

ワット・プラケオは、タイのお寺らしく、とことんまで金キラキンです。細かい上にド派手な金キラ装飾が、広大な敷地内をどこまでも続きます。古いものに歴史を感じるとか価値を見出すという感覚は、無くはないのでしょうが、タイのお寺は常に修復作業を続け、輝かせているのだそうです。神社仏閣の類は大好きだけど、年月の流れを感じさせるような古びたものに惹かれてしまう私としては、なんというか、テーマパークみたいに見えます。もしくは、古いお寺の復元模型…。いやいや、そんなこと安易に言ってはいけません、タイにおいてはこれが尊い感覚で、なにしろタイ人の宗教心は日本人になぞ文句を言われる筋合いはないくらい篤く、市井の隅々まで熱心なのですから、いいのですこれで。





あるお堂で、偉いお坊様がお経を唱えているところに地元の人々が集まって、熱心に唱和していたので、私たちも混じってお堂に上がり、お経を聞いてきました。タイ語なので雰囲気しかわからなかったけれど、とても厳かで落ち着いた気分になれました。母は、サンスクリット語のナントカという言葉が何度も出てきたね、とか聞き分けていましたので、すごいです。

王宮を出てから、徒歩10分くらいでワット・ポーに着きます。ワット・ポーには、巨大寝仏がおられます。寝仏様は、全身金キラキンと光っておられ、すんげーでっかくて、本当にインパクト大です。私のデジカメではどうやっても全身をファインダーに収めることができませんでした。



▼寝仏様は大変にハンサムです。



足の方へ回ってみると、巨大な足の裏に、螺鈿彫りで須弥山図、捧げ物、神々の図など、バラモン教の真理が彫りこまれています。足は偏平足で、これにも仏教的な意味があり、この方が超人であることを示す32の特徴のうちのひとつとされています。



ワット・ポーは、タイ古式マッサージの発祥の地であり、総本山でもあります。タイ最初の大学(医学=タイ古式マッサージ)なのです。いくつかのお堂には、古式マッサージを解説している古いレリーフが何枚も残っていて、全身のツボが示してありました。この解体新書風のツボ図式がとても面白かったのです▼



▼タイ原産のシャム猫を見つけました。ワット・ポーの境内で普通に飼われていました。



ここから、水の都バンコクらしい、チャオプラヤー川を上下するエクスプレスボートに乗って戻りました。このボート、風流でとってもいいです。川沿いには川床カフェやレストランがいくつも出ていて、それらをのんびり眺めながらバンコク名物の夕方渋滞も関係ナシ、運賃も8Bと安いし、気に入ってしまいました。▼隣にいたのは若い僧侶でした。



今日の夕ごはんは、船着場からほど近い川べりのレストランで、タイのちょっと高級料理を。外国人仕様なのかと思っていたら、どっこい外国人は全然おらず、タイ人のお金持ち御用達の店でした。なので、ものすごく美味しかったです。白身魚の塩焼き(タレは超辛い)、小鍋に入ったトムヤムクン(ダシが効いててとても美味しい、そしてとてつもなく辛い)、青菜と海老の炒め物など。店員さんたちに全く英語が通じなくて苦労したのが本当に美味しい証拠でした… シンハービールを大ピッチャーで2杯も飲んでしまいました。

いやー 楽しい1日だった。



タイ・カンボジア【2日目】

2005年11月26日 | travel
あまりに疲れていたので(私が)、いきなり旅の日曜日。カオサン近辺でぶらぶら過ごす。昼前にやっと起きれたので、裏カオサンの私の大好きなおばちゃん屋台へ行ってみました。▼エプロンをしているのがおばちゃんです。



おばちゃんは健在で、道端でジャーっといろんなものを作ってます。パッタイ(20B)、イカチャーハン(20B)、トムヤムクン(30B)をオーダー、ものすごく美味しいですー!▼食べかけでごめんなさい…



とりあえず疲れを取らないと明日から動けないし、ということで、タイ古式マッサージへ行きました。2時間30分コースでたっぷり身体中揉みほぐしてもらいました。極楽ごくらく。

裏カオサンや、カオサンの先にあるワット・チャナソンクラムの周囲をブラブラと散策したり、地元スーパーでお買い物したり、焼きバナナを買い食いしたり、まったりと過ごしました。▼焼きバナナ屋台。ねっとりと甘みが増して美味しいです。



「ワット」というのは、タイ語でお寺のことで、「ワット・~」と言えば寺院のことです。有名な「ワット・プラケオ」「ワット・ポー」「ワット・アルン」などもすべて「~寺」という意味です。▼左手に見える建物がワット・チャナソンクラム。カオサンの喧騒から一呼吸おけるトランキーロな通りです。



私は以前、このワット・チャナソンクラムのすぐ隣の安宿に2週間も滞在していたんですよね。とっても懐かしかったです。


タイ・カンボジア【1日目】

2005年11月25日 | travel
11月24日(木)、またまた徹夜のままJFKへ向かうことになってしまいましたが、予定のJAL便に無事乗り込み、14時間のフライトで成田へ。成田で待っていた母と落ち合いました。成田からバンコクへは7時間のナイトフライト。バンコクに着いたら夜中12時前でしたが、飛行機を降り立った瞬間からムワ~ンと蒸し暑く、気分が盛り上がります。ちんたらちんたらやっている入国審査に1時間以上も並び、空港から出たときはすでに午前1時に。エアポートバスが終わってしまっていたので、タクシーでカオサンの宿に向かいました。(エアポート→カオサンエリア 350バーツ)

今回は「母もいるんだからホテルは予約していこ」と思って予約して行きましたが、こんな時間にカオサンに到着するなら、たとえ1人旅でもホテルは予約していくべきだなあと思いました。私たちがチェックインしている間に、何組かのバックパッカー
が「部屋はありますか?」とフロントに訊きに来ては満室だと断られていて(バンコクはナイトフライトが多いです)、こんな夜更けに重い荷物を背負っての部屋探しはしんどそうで、気の毒でした。

午前2時、ともかくホテルにチェックインし、さっぱりと夏服に着替えて久々のカオサンへ出てみました。お腹が空いていたので屋台のパッタイ(20B)を買い食いし、ホテルの1階にあるバーでシンハービールで乾杯しました。シンハービール、美味しいです!ところで、バンコクは前からそうだったのかどうか知りませんが、2時以降はビールが買えないことになっているそうで、他のどこのバーでもビールは出せないと断られてしまいました。でも、うちのホテルでは、宿泊客だったからか、飲めました…。カオサンロードは、常に外国人バックパッカー天国なんですが、以前よりもずっと地元の若者が増えていて、ちょっと変わったなあ…という印象。



私自身は、いったい何時間寝ていないのか自分でもわからないくらいになっていたので、シャワーを浴びてあっという間に寝てしまいました。

髪を切りました。

2005年11月21日 | life
今日髪を切ったの、と友達に電話したら、「…また切ったの?!」って素で驚かれました。そんなにしょっちゅう切ってますか。2ヶ月経たないうちに行くようにしているんですが。髪が短い場合、そのくらいのペースになります。

髪切るの、好きです。今日はまた一段と短くしてもらって、とっても気に入ってます。私はカットは完全に美容師さん任せで、もう3~4年くらいずっとその方に切ってもらっています。毎回微妙に雰囲気を変えてくれるけれど、気に入らなかったという経験は一度もないので、ホントすごいと思います。今日は、これからどんどん寒くなるNYで、敢えてこの季節に、かつてないほど短くしちゃって楽しい!という感じです。

今度のバンコクでは…、電圧が合うドライヤーも変圧器も持っていないので、ドライヤーなし生活なんですが、それがちょっとイヤです。バックパッカーしていた時って、どうしていたんだっけ。忘れてしまいました…。ま、タイでは暑くてドライヤー使う気にならないだろうし、仮にドライヤーを使ってちゃんとセットしたとしても湿度が高いのであんまり意味ないのでは、と思うことにします。

Happy Giving Birthday

2005年11月19日 | life
今日11月19日は、わたくしの誕生日です。
お誕生日のお祝いの言葉をくれた方々、ありがとうございます。
今日は、誕生日になるといつも思うことを書いてみようと思います。

今日のブログのタイトルは「Happy Giving Birthday」。この言葉はなんとなく英語的に間違ってる気がしますが、つまり私にとって誕生日とは、私をこの世に産み落とし、健やかにまっとうな精神で育ててくれた両親に対する、感謝の日なのです。

両親は、愛情に溢れ、きちんとしつけてくれ、楽しく恵まれた子供時代を私にくれ、なおかつ私のパーソナリティの形成にもっとも多大な影響を与えた人々です。心身の端々に、両親の影を感じます。

友人がどんどん子持ちになっていく今日この頃、彼らからの赤ちゃん誕生報告や写真を見るたび、私は自分の両親のことを思い出します。両親が若かった頃、生まれたばかりの赤ちゃんを、どんなに愛で、自分の身に代えても守ろうとし、心配し、大切にしてくれたかを考えます。友人たちが、生まれてきた自分の子供に対する初めての愛情や親の気持ちの「現実感」を、私に教えてくれたんだと思います。「今あなたがその子に感じている愛と、まったく同じものを自分に感じてくれていた人がいるんだよね」と、気づかされる。

私が6歳くらいのころ、父親は一時期、アメリカ・ミズーリ州のキャンサス・シティに単身赴任で駐在していました。その時代、固定相場制で1ドル360円、国際電話代や郵送費も、今からは考えられないくらい高かったので、父と手紙をやりとりするときは、ポステージを抑える目的でオニオンスキンの軽くて薄いエアメール用レターパッドを使っていました。手紙といっても、私は当時、たった幼稚園生とか、小学校に入学したてなので、ひらがなばかりのまさに子供の手紙です。

その子供の手紙に、父は、本当にまじめに返事を書いてくれました。父の方も、私が読めるようにとひらがなばっかりの手紙で、日々の出来事や、私たちがアメリカに引っ越してくるのが待ち遠しい気持ちとか、私たちのためにベッドを買ったとか、そういう話を書いていました。

数ヶ月あと、母や姉と一緒に私もキャンサス・シティに移り住みました。それ以前の時代にやりとりされた父からの大量の手紙の束が、私には残されています。これはすごい代物で、一生の宝物です。めったに開けて読むようなことはありませんが、30代の若い父親が書き記した幼い娘への手紙なんて、なかなかいただけるものではないと思って、心から大切にしています。

…で、今現在の私は、父とはほとんど何の交流もないわけなのですが、その手紙のことと、楽しく恵まれた子供時代を過ごさせてくれたことに対する感謝の気持ちを、表していない気がするのです。私に感謝されているということを父に知ってほしいと思い始めたのです。これって、どうやってしたらいいんでしょうね?