緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2011年5月5日。世に言うダメ人間なので、せめて、前向きさを増やす方向で考えている

2011年05月05日 00時49分06秒 | ネット生活。
まずは
呑気なことを、書く。

ニコニコニュースで
「あなたを世界で誰より知ってるのは友でも家族でもない、グーグルだ!」状態です。

という文章を読んだ。


こまったことに
この台詞が
私を、ちょっとだけ、性的に興奮させた。

・・・
興奮の自覚が、こたえた。ショックだった。


もしかして
人間は、
人間以外にも、
恋をすることが、できるんじゃない? 


グーグル、人間じゃない。
非実在も、いいとこだ。

それどころか、会社だ。
ぜったいに、人間じゃない。


それでも、わくわくした。

そんな私は、
終わっている、と思う。


この手の
わくわく感って、
相手が何であっても、発生するんじゃなかろうか?

他のことでも、書こう。
これ以上は、書きたくない。 ←なにやら、疲れ果てた様子だ!


そりゃ。
「概念萌え」としか、言いようがないんだもんな。
しょんぼり。

勘違いしたままになるよりは、
しょんぼりじゃないけど、
でも、しょんぼり。


--


次。

どこの
サイトだったかに
低所得層の家が、写っていた。


日本の家じゃないけど。
けっこう、参考になる。


というのも
低所得層の家だけど、
楽しそうだったんだ。


何が
どうして、楽しそうだったんだろう? 

当ブログ筆者は、
不思議な気持ちになった。


もしや
人が写っていたら、殺伐とした画像になる?

とにかく
あの写真が、私を打ちのめした。


清潔なだけじゃ、家じゃない。 
病院かも、と思った。

柱が
光ってるだけじゃ、だめかも。
それって、ただの柱かも。


がっくりきた。


そして
なぜ、
あの家は、たのしそうだった? 


貧乏そうだったよ? 

廊下、擦り切れてた。
敷物も、酷かった。
なのに、うれしくなった。


何故だろう? 

手入れのいい家、
ではなかった。


人間、
写っていなかった。

だから
あの雰囲気を、
かもし出したのは、インテリアだ。


もしくは、写真家だ。


なぜ、
あたたかい気持ちに、なれたんだろう。

「大事にされている」
という、気持ちになった。


柱、光ってなかった。

壁紙。
壁紙か。

張ってあるだけだった。


なのに・・・。

低所得層の家が、
なぜだか、ヒントになってしまう。 


ほっとしてしまう。

また、見にいかないといけない。


きっと、
私は
ほっとすることに、飢えている。

( ↑ 地震嫌いが、地震国・日本で、生きてるからじゃない? 少なくとも、あのインテリア感覚、地震国風じゃなかった )


・・・
あのインテリアを、まねようか? 


せめて、ほっとするために。

私が
自身の頭痛を、減らすために。


部屋が、すごいんじゃなかった。

でも
穏やかな、何かがあった。
( たぶん、汚かった )


・・・
そして、面白い写真だった。


また


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