緑の紙片BLOG

「緑色した軽いもの」に、なりたい。ゲーム日記はネタバレあり。引っ越して、添削中でした。格闘中に、クラスチェンジしました

2011年8月13日。世間が、韓流だ中流だ米流だ仏流だと、いそがしい。しかし、それ以前の問題だ

2011年08月13日 20時02分03秒 | ネット生活。
よく、わからないんだけど


韓流だ中流だ米流だ仏流だと
世の中が、
騒いでる様子を、見てると
「それ。つまり、どれも『商売のやり方。商売のスタイル』の話なんだけど」
って思って

憮然としてしまうんだな。


--


そして
スタイル以前
多少は、同じものもあって
それが「資本主義」なんだ。

どの国も、
多少は、資本主義やってる。


一応
資本主義の国だ、ってことになってる。

一応、ね?


--


そして
資本主義には、
とんでもない問題点がある。

定期的に、バブルがはじける。


さらにいうと
アフリカ大陸の大部分が、
超貧困状態に、
固定してしまっていることから考えるに

資本主義社会の継続には
定期的
犠牲者が、必要なんじゃなかろうか? 


それも、大量に。
大量の、カモ。


--


だから
・・・

考え込んでる。


韓流だ中流だ米流だ仏流だの、
問題じゃなく

ずっとずっと、続いてきた、
資本主義社会、継続のための
定期的犠牲者・・・。


そういう問題として、考えると

どこの国も、
その国ごとの、サイズに応じた、
アフリカ的苦痛を、
自国に、引き受ければいいんじゃなかろうか?



そうすれば
資本主義社会、継続のための
定期的犠牲者が、もう必要じゃなくなる
と、思うわけなんだが。

それって
アフリカ問題が、国内問題化してるだけなんだな。


これを
思った瞬間、
まずいな、って感じたんだ。


国内の問題になったら、
とたん、
目を閉じてしまうタイプの人が、いるわけで・・・。


そういうふうに考えると
資本主義も
社会主義も
「見たくない現実を、遠くに遠くに追いやろう。見たくない、貧困なんか」
的な、話でしかないよね? 


違いは、
ほぼ、ないよね?
資本主義も
社会主義も


--


それでも、
考えてしまう。

どうすれば
資本主義社会、継続のための
定期的犠牲者が、
もう、必要じゃなくなるんだろう?


--


・・・。
人間は、どうしても競うし
一番になるため、争う。

でも、
争いを禁止しても
下からの、突き上げがないと、
上の人が、だらける。
サボる。むさぼる。
何も、考えなくなる。だめになる。


だったら
競う機会が、なくなること自体は、
決して、いいことじゃないよね?


人間は、どうしても競う。
考えても、しょうがない。
競っても、いいよ。
世界が、
だらけきるよりは、マシ。


ぜったい、争うんだから。
止めても、意味ない。
無理、とか思ってしまう。


しかし
もう、あきらめよう。
資本主義社会、継続のための
定期的犠牲者が、必要なんだ。

儀式なんだ、って。
・・・
思っちゃうのは。


禍々しくてね!

それとも
儀式という響きが、
勝手に、
禍々しくしてしまったんだろうか? 


資本主義社会、継続のための
定期的儀式。

犠牲者。


怪物の名は、「バブル」
誰にも、止められない怪物。

たまに、崩壊するよ
「バブルの崩壊」


・・・
嫌な話になったな。


--


計算するだけで、
ほぼ
想像できてしまう。

バブルの崩壊。


もちろん
バブルの崩壊、という怪物がいても、
現れないようする方法
それ自体は、あるはずなんだ。


だが

「バブルの崩壊」という
怪物の存在自体が
資本主義社会、継続のための
定期的儀式で、あるような気がして・・・。


だったら、
正しいのかな? もしや? 


「バブルの崩壊」が起きること。


( それでも、ここで、犠牲は正しいとか、言っちゃうと。ミノタウロスの物語が・・・。「定期的儀式だから、いい」ってことになったら、ミノタウロス、倒されなくても、いいじゃない? 定期的儀式だもの。「定期的儀式だから、いい」ってことになったら、ミノタウロスが、生きなくてはならなくなる。なぜ、彼は、倒されたのか。そして、なぜ、倒したのか。儀式だからで、了解するのなら、儀式だからで、もう、いいじゃない? ・・・。でも、混乱する。・・・。だから。・・・。そういう意味では、難しいよ! 難しすぎるよ! ここまでくると、何もかもが、難しすぎて嫌になるよ! )


犠牲者が必要で、
各国が、
犠牲者を
内在化しようとすると、国内の貧困問題になって
貧困は、誰もが見たくなくて。

近くのひとのことでも
見て見ないふりするから、
見て見ないふりされたひとが、精神的に爆発して・・・。



こう考えると、
まともな方法で
解決できるのかどうか、
もう、わからないな。

・・・。


この世に
スーパー・コンピューターが、あっても
もし
その
スーパー・コンピューターが、
安価で、
誰にでも
利用できるものであっても

人の心に呼びかけて
バブルをつくらないよう、
バブルを崩壊させないよう
お金を適度に使って、回して
生きることを
進言すること、強制すること、ほぼ無理なんだな。

生活の中の、細かな台詞や、行動を、
スーパー・コンピューターが
全て、決めてくれたとしても、
それでも。

人は、
見たくないものは、見ない! 
聞かない。理解しない。嫌う。


・・・。


--


定期的犠牲者。

儀式。


・・・。
考えれば、考えるほど、
現代も
中世と
実質的には、
かわってないような、気がしてきて、


だから、
自分は
スーパー・コンピューターに、憧れてる?

↑ 脳内が、中世暗黒時代なのか?


--


暗黒時代を、
暗黒じゃない時代にしたひとが
いたはずなんだが・・・。


資本主義自体が、
中世と
それほど、かわっちゃいないから。

いまいち、
開放された気分が、しない。


--


やっぱ、難しいな。
今日は、ここまで!

いっぱい、考えました! 


おわり。


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