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みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

4月13日

2011-04-14 06:36:38 | レオン
4月13日


熱は37度。サチュレーションは91。

朝ご飯は、お米全部、おかずを8割食べる。

食後にイチゴを3粒。牛乳1本。

体勢は、30度ほど頭を起こして食べさせた。薬も飲んだ。

歯磨きをしようとするも、その元気がないのか、左腕が上がらないのか、磨けず。

私が磨こうか?と言っても、首を縦に振らなかった。結局、ウガイだけで終わらせる。(ウガイもむせた)

床ずれて防止で、ベッドのマットを変えてもった。フカフカなエアーマットになった。

最初 少し寝にくそうにモゾモゾしていた。

10時半。外来予約日だった祖母が病室に来て、11時過ぎに帰った。

あまり話すわけでもなかったけど“何か食べたいものないか?”

“あったかくなってきたし 先月は元気そうだったから、今月には退院できるかと思ってたんだけど、うまいわけにいかないねえ”

“時間かかってもいいから、元気になればいいから”と、落胆いっぱいで帰っていった。

祖母には、母の詳しい病状を伝えていない。何処かでついポロリと言葉に出てしまうから。

祖母が母に会ったのは、先月の外来以来 一ヶ月ぶり。

母の変化を一番感じたのは祖母かもしれない。

しかしながら、昨日あたりからダルさが増し、出来ないことが増えてきた母にとっては

今日の祖母は少し疲れたかもしれない。

思ったことをそのまま言葉にする祖母。ほんの30分の間に、何度“そんな言葉言わないで!”と思ったことか。

祖母が帰ると、目を瞑って寝始めた。

昼食はあまり食べず。お米半分、おかず2割ほど。

食後にイチゴ3粒。パイナップル3切れ。他の果物を勧めても食べず〓

午後3時頃、叔母が来てくれた。

叔母が来ている時は、目を開けたり 閉じたり。

叔母は、一度、緩和の看護師さんに話を聞きたかったようで、今日 聞きに行った。

病室に戻ってきた叔母の目が赤くなっていた。何を言われたんだろう?

戻ってきてからしきりに、花見のことを言っていた。

体がダルかったら無理させない方がいいね と月曜日に言っていたのに。

5時頃、叔母が帰ると、また眠っていった。

夕飯。リクエストしていた親子丼が届いた。

すぐに食べるかと聞いても 返事をせず、また眠っていった。

18時半。父が来た。父が来て目を開けた母。ご飯を勧めると少し頷いた。

思った以上に食べてくれた。やはり珍しい物なら食べてくれるのか?

食後には果物も食べた。

歯磨きに関して。朝は左手でも力が入らなかったのか、磨けず。

昼は左手で磨いた。でも ウガイが上手に出来ない。

真っ直ぐ起きるのは辛いから45度くらい起こした状態。

ウガイをし、吐き出すのが難しく、むせてしまった。

昼間、ウガイが大変だったからか、夜は歯磨きをせず、お茶で口をクシュクシュして飲み込んで終わる。

夕食を終えると、またすぐに眠っていった。




10時、21時 ガーゼ交換



毎食後必ずしていた歯磨きが出来なくなってきた。

左手の二の腕あたりもムクミが酷くなってきた。

右足も少しむくんできた。

話しもほとんどしない。返事は、微かに頷くだけで、よく見てないと分からないくらい。

今回の入院で、悪い→良くなる状態を体験しているだけに、それの逆再生を見ているみたい。


便意も分からなくなった というのを確信した。

夜寝る前、突然目を開け“お お しっこ”っとたどたどしく言った母。

最近は尿パッドを変えるだけだったから、おしっこって言った!と嬉しくなり

尿器を当てたところ、尿器の下で大便が出ていた。

終わったと言ったので、オムツを替えようと 母の体を少し傾けたら また便が出てきた。

尿か便かも分からず、まだしたいのかしたくないのか?出るのか出ないのか?も分からなくなっている。

前に脳外科の先生に言われていたことだけど、いざそうなると、やはり寂しい。

4月12日

2011-04-13 06:18:20 | レオン
4月12日


今朝は熱もなく元気そう。サチュレーションは94

朝ご飯を食べて、その後少し座っていた。頑張っている様子。

昨日はぐったり寝てたから心配したけど、今朝は目を開けてくれたから安心。

ガーゼ交換の時も、看護師さんたちと話していた。

昨日よりも元気そうで安心。

今朝の外科の回診で、担当医の先生が“みんなが動け動け言うけど

だるかったらそんなに無理しなくていいからね”と言ってくれた。確かに。

外科の回診、ガーゼ交換が終わり、11時頃寝始めた。

お昼ご飯は7割ほど食べた。

その後 しばらくは起きていたけど、リハビリを断った後 すぐに眠る。

途中15時頃にシャンプーをしてもらうときに起きたけど、シャンプー後、また眠り始めた。

18時、夕食が来て 起きて食べよう と言ったけど 眠そう。

後で食べる? と聞いたら頷いてまた寝ていった。

イビキをかきながら寝ていた。

結局、20時少し前、父が来て目を覚ました母。

でも ご飯を食べたいとは言わない。仕方がないので、

ヨーグルトは?と聞くと頷く。ダノンビオを1個、バナナ半分、ネーブル1個半を食べさせ、薬を飲ませた。




病院食が飽きたと言うよりも、食べるのがダルイように見える。

前に主治医が、悪化のサインとして、食欲が無くなる と言っていたから心配だ。



今日は、ずっと眠っている母と二人で病室にいた。

目を開けていれば 返事がなくても話しかけられる。

でも今日は 眠っている母を見つめることしかできなかった。

辛いなあ。

母の食欲がまた戻りますように。

4月11日

2011-04-12 06:38:23 | レオン
4月11日


熱は37.3度。看護師さんがサチュレーションは言わなかったけど、測る機械には94と出ていた。

朝ごはんは完食。昼食は8割くらい。夕食も8割。

思った通り、昨日の疲れが出ているみたいで朝からだるそう。

今日はリハビリを休み、ご飯以外は横になっている。目も閉じたまま。

話しもせず あまり頷きもせず。

さすがに心配になり、今日も叔母に電話。

“前回のお風呂のときもそんな感じじゃなかった?

多分 疲れが出ているだけで、今日どうこうってことではないと思うよ。

もうしばらく様子を見て、もし 明日の昼も同じくらいダルそうなら、看護師さんに言ってみたらどう?”

と言われた。今日も冷静にしてもらった。

ただ今日は看護師さんが母の状態を私に聞いてきた。

最近、少し様子が変わってきたんじゃないか と。

尿をしたいとも言わない。ズボンの上げ下げのとき、腰を浮かせられなくなってきた。

便も知らない間にオムツの中でしてしまう。

話さなくなった。今日なんて、ずっと目を閉じたまま。

手のムクミも酷く、ご飯は私が食べさせている。

看護師さんに、娘さん、大丈夫ですか?と聞かれ なんだか悲しくなってしまった。





電話で叔母が言っていた。私たちは 花見花見と騒いでいるけれど、昨日の40分で それだけ疲れている。

少しの変化が 大きな負担になってしまうのかもしれないねえ、と。

本当にそう思った。こちらがしてあげたいことは、

ここまで状態が変わってしまった今の母にとっては、どうでもよいことなのかもしれない。

母のことを思って と言いながらも、こちらの“してあげたい思い”を押し付けていたのかもしれない。

最近は看護師さんたちも 桜桜と言ってくるから、母には負担になっているかもしれない。

食べたい物はないかと皆から聞かれ、桜だ花見だと皆から言われる。

もっと普通に、もっと穏やかに過ごしたいのかもしれないなぁ。

こちらが 後悔しないように と思ってるだけなのかもしれないなぁ。




18時過ぎ、ご飯を食べるのに起き上がった母。食べ終わっても しばらく起きていると言い、

結局 消灯時間まで起きてテレビを見ていた。ただ、凄く元気というわけではなく、

少しでも何かしなきゃ!と言う風にも見えた。

でも、母がしたいと思うことをさせてあげないと。


母がどうしたいのか、私たちが何をしてあげたいのか、そのギャップが本当に難しい。




10時、21時 ガーゼ交換

4月10日

2011-04-11 06:49:53 | レオン
4月10日


今日は体温も血圧も、看護師さんと話しをしていたので聞かなかった。

目覚めはまあまあな感じ。少し話した。

今朝も主治医が来てくれ、“今日は天気いいから 散歩に行かなきゃ!

なんなら車でドライブでもいいよ”と言ってくれた。

朝食は介助をし 完食。


今日は、東京から従姉妹が来てくれる日。(母には内緒)

お昼ご飯を一緒に食べる予定で来てくれると言う。

昼食の時間。ご飯のタイミングぴったりに来てくれた。

母は驚き顔。最近の母は 少し表情がわかりにくい。

でもきっと 喜んでいたと思う。

叔母と従姉妹が三色丼を作ってきてくれた。

従姉妹は お土産やお花まで持ってきてくれた。

お昼ご飯は、母も三色丼をいただきながら 病院食を完食。

食べるとすぐに横になったけど、ずっと目を開け 話を聞いている。

15時前になり、母を散歩に誘ってみた。

この二日間、車椅子に乗らなかった母だったけど、今日は乗ろうか と言った。

叔母と父と私とで 母を車椅子に乗せた。

病院の前の桜が咲いていたので そこまでお散歩。

病院に入り、いつもの席で いつものココアを飲む。

今日は車椅子に40分も乗っていた。

でも、私と二人で散歩に行っていた先週までとは座る感じも違っていたし、

話さない。でも、明るい叔母に明るい従姉妹の話を聞いて 時々笑っている。

今日 車椅子に乗ったのは 多少無理していたのかもしれないけど、

それでも 皆で散歩ができて嬉しかった。

病室に戻り、ベッドに横になった母。

その後すぐに叔母と従姉妹は帰った。

私は駐車場まで見送りに行った。

叔母はやはり全身状態の悪化を気にしている。

話さなくなったし 上半身のムクミも酷い。

そして怖いのは、肺なんかに転移していたら呼吸が苦しくなったりするから困るなあ。可哀想だなあ と言った。

もし 本人の調子が良さそうなら、散歩に誘ってあげて。

あと気にするのは呼吸。これは、本当に最後の最後の話だけどね。

脈拍は、呼吸が止まっても脈をうってることもあるから、とにかく呼吸を気にしてあげて。

たまに家に行った時に泣きなさい。何か不安なこと、変わったことがあったら電話してきなさい。

と言われた。従姉妹も、背中をバシッと叩いてきて“頑張れ!もう頑張ってるけどね”と言ってくれた。

今日、二人の顔を見れて、話せて本当に良かった。


叔母達が帰った後、直ぐに眠った母。

少しして、母の友達が綺麗なお花と手作りのおかずを持って 顔を見に来てくれた。

今日は叔母たちが来ていたことを伝えてあったから、顔を見てすぐに帰った。

今日はさすがに母も疲れたようだった。

夕食も全部食べたんだけど、いつも以上に元気がなかった。




東京から(別の理由をつけて)来てくれた従姉妹。

きっと母も、会えて嬉しかったと思う。小さいときから、看護師の叔母に代わり、

夏は一緒に旅行に連れて行ったりしていたし、最近でも 毎年夏は一緒にバーベキューをしてたし。

母にとっても 本当に可愛い存在の 私の従姉妹。

気のつく従姉妹と 明るい叔母のコンビは、居てくれるだけでパッと明るくなる。

本当に良かった。

もしかしたら、突然従姉妹が来たことで、母の不安を煽ることになったかもしれない。

でも、今日、母は散歩に行き、話をきいて笑っていた。

久しぶりに 母がたくさん笑っていた。

嬉しかった。



ガーゼ交換 10時半、21時

4月9日

2011-04-10 06:34:49 | レオン
4月9日


今朝の体温37.0度。

今朝は昨日より元気そうで、目をあけ、少し話しもした。

ご飯は介助をして完食。

その後すぐに横になったけど、今日はテレビを見ていた。

11時にガーゼ交換が終わって、少ししてから寝始める。

お昼ご飯も介助をして完食。

今日は気分がいいのか、食後にはテレビを見る。

夕食も ほぼ食べたらしい。(父と交代していた)



〈気になること〉

今朝、4時過ぎに尿パッドを変えた時、

茶色っぽいような黒っぽい(グレーっぽい?)ような尿を1回していた。臭いもきつめ。

その1回だけで、その後は 普通の黄色い尿をしている。

看護師さんには伝えたけど、良い変化ではないだけに 心配になった。


今日は父と交代し、病室の花や、母が食べてくれそうな和菓子やパンを買ってきた。

こんな物を買いながら、黒い靴を買っている自分が嫌になる。

仕方のないことなのかもしれないけど、使う機会がないことを祈るばかり。



母には内緒なんだけど、明日 東京の従姉妹が病院に来る。

母は驚いて 自分の体のことを心配するだろうか?

楽しんでくれるといいのだけど。



今日も車椅子での散歩はしなかった。


ガーゼ交換 11時、20時半

4月8日

2011-04-09 06:37:28 | レオン
4月8日


〈朝、いつもと様子が違い少し焦った日〉


今朝の体温36.9度。

朝、すごくだるそうで、話しも頷きもしない。

首をコクコク振るわけでもなく、目で返事をする感じ。

いつもと違う様子に不安になり、むくんだ右手をさすりながら 脈を確認したほど。

いつもは朝食の一時間前に飲む薬も 朝食前に飲むからと言って、ご飯の時間まで寝ていた。

朝食は私の介助で完食。

朝のガーゼ交換をしてもらうと、すぐに眠る。お昼ご飯の時間まで眠っていた。

お昼も私の介助で完食。歯を磨き、すぐに横になる。

今日は やたらと眠そうで、リハビリと車椅子はお休み。

昼食後もずっと眠り続けていて、あまり目も開けず、話しもしないので心配になり看護師の叔母にメール。

叔母からの返信には“傾眠にならなきゃいいけど”とあった。

さすがに私も不安になり電話をする。

“傾眠になっていかなきゃいいけど、食欲はあるもんね”と言われ 少し安心。

前に主治医も、脳で突然 ってこともあるんだけど、

悪くなる前兆として 食欲がなくなったりするからね と言っていた。

母が食べることが好きな人で良かった。

横になっているときはだるそうに眠り続け、座って食べる時は私の話に返事をしたりと、まだ元気な感じ。

ほとんど私の介助で食べているんだけど、毎回食事は全て食べてくれるから、

何よりも それが私に安心感を与えてくれる。

15時過ぎ。父が来る少し前に目が覚めて、その後おしっこをしてから ずっと目を開けて起きていた。

朝から15時まで、ずっと眠っていたから、さすがの私も心配になったけど、

体がだるかったのか?ただ眠かっただけなのか?

目覚めてからはポツポツと話しもしていたから 一安心

夕食も 私が食べさせて完食。



今日はどうなることかと心配した。一人で母のそばにいるのが怖かったくらい。

ああ、本当に良かった。

4月7日

2011-04-08 04:01:32 | レオン
4月7日


今朝の体温37.2度。
起きた時の顔はまあまあ。

朝食は完食。

右手のむくみのせいでご飯が食べにくくなっていて、後半2/3は私が食べさせる。

今日も胸からの浸出液が酷く、シーツがぐっしょりと濡れていた。

浸出液の量がだんだん多くなってきている。


昼食は2/3食べる。こちらも私の介助あり。

午後から叔母が来てくれ、リハビリ後の散歩に付き合ってくれた。

リハビリはストレッチだけで、その後すぐに車椅子に乗る。

叔母が帰るとき、見送りに行き話した。

叔母は右手のムクミと 上半身の重さに驚いていた。

確かに、前回来てくれた時よりも右手のムクミは酷い。上半身も重くなった。

上半身が重いから、自分で体を支えられず、車椅子からベッドへの移動のとき、

すぐに後ろにもたれていき そのまま横たわる感じ。

あまりの不安定さに叔母が驚いていた。

夕食は完食。食後にはプリンを食べる。やはり夕食も私が介助をする。




ガーゼ交換 10時、20時半

今日は叔母が来てくれたおかげで たくさん笑った。

いつもより長く車椅子にも乗っていたし 良かった。

ただやはり、口数は少ない。食欲が落ちず、食べてくれることだけが救いになっている。

4月6日

2011-04-07 05:41:50 | レオン
4月6日


今朝の体温36.7度。

朝起きても あまり話さず、私が話しかけ それに対して頷くだけ。


朝ごはんは全部食べる。食べにくそうで少し疲れたように見えたから、途中から介助する。

食後におまんじゅう半分を食べる。

朝起きると 胸からの浸出液で背中がびっしょりと濡れていたから、

看護師さんにお願いして ガーゼ、病衣、防水シーツを早めに取り替えてもらう。
その後は、お昼まで眠っていた。

昼食は9割ほど。

リハビリはストレッチだけして車椅子に乗る。

今日は暖かかったので車椅子に乗って 30分ほど外、20分ほどロビーで過ごす。

部屋に戻ってから洗髪をしてもらう。

金曜日にお風呂に入れてもらって以来だから、すっきりした様子。

その後また眠る。

夕食も9割食べたけど、おかずは食べにくいみたいで ほとんど私の介助で食べた。



胸の浸出液の量が増えている。ただでさえだるそうなのに、ガーゼ交換の回数が増えたらイヤだなあ。




ガーゼ交換 9時半、20時半。

4月5日

2011-04-06 06:33:06 | レオン
4月5日


今朝の体温36.7度。サチュレーションは97。

気になっている大便のこと。今朝おしっこを取っている時、終わった?と聞いても

なかなかうんとは言わず、おかしいな と思って尿器を外してみると大便をし始めていた。

大便をしたい と言わないのが気になった。

今日のリハビリも 立つ練習はせず、ストレッチをしただけ。

その後、車椅子に乗せてもらう。

車椅子に乗っている時 ちょうど母の友達が会いに来てくれ、

外で5分ほど、ロビーで30分ほど話した。

ご飯はしっかりと食べているけど、右手のむくみが酷くなり、思うように食べられなくなってきた。

最初は自分で食べてもらい、疲れてきたら 私が介助する。

箸も使いにくそうで、軽いプラスチックのスプーンも使っている。

夜のガーゼ交換の時、左の胸の外側~下の方を気にしていた。

どうしたの?と聞くと、この辺、腫れているのかな?と思って と言う。

腫れているような感覚があるのか?確認してみても、外見上は変わったことはない。

前にあった、右胸の突っ張り感みたいな感じ?と聞いてみると

そんな感じではなく、また別の感覚だと言った。

母の体が がんに乗っ取られていくように思えて、それが悲しい。



母が一番辛いはずなのに、何も言ってこない。



今日は叔母に電話をして、いろいろ話を聞いてもらった。

母の状態や、父が言った言葉のこと。叔母も気持ちは同じだった。

父には 言葉に気をつけるようにしてもらわなきゃダメ。

お母さんの不安を少しでも取り除いてあげたい。穏やかに過ごしてもらいたいからね と。

ちょくちょくお見舞いに来てくれ、たまに泊まってもくれる叔母。

父よりも誰よりも、今の私の気持ちを理解してくれている。

また近いうちに行くからね と言ってくれ、心強かった。



ガーゼ交換 10時半、20時半。

4月4日

2011-04-05 06:02:12 | レオン
4月4日


今朝の体温は36.5度。サチュレーションは97。

でも少し、だるそう。

朝はいつも通り、窓の外を見ながら食べる。

最近は、長い時間座っていると おしりが痛くなるらしく、長く座っていない。

足の肉やらおしりの肉が落ちているから 痛いんだろう。


右手のムクミは引かず。それどころか、左手まで 少し腫れている。


だるそうだったので、お昼食べられる?リハビリできる?

と聞くと“うん”と言っていたのに、ご飯を食べ終わる頃、

リハビリはやめておこうかな と私に言ってきた。

たぶんリハビリをしてもしても前進しないから、不安や落胆が出てきたのだろう。

立ち上がれないと 立ち上がれない数だけ不安が増える。

それを避けたかったのだろう。

結局リハビリは、膝の曲げ伸ばしやストレッチをしてもらっただけで

立つ練習はしなかった。


練習をしないと決めた母も、いろんな葛藤やショックがあったんだろうけど、

そう言われたとき、私も寂しく悲しい気持ちになった。

この感情を、文字にするのは難しいけど“出来るようになることを諦めた母”。

この母を、どう受け止め 励ませば良いのか?何て言葉をかけよう?

これから起こるかもしれない、予測できる全てのことを母には話してはいない。

でも確実に 出来ない事が増えている。

立つことも歩くことも出来ない。そうなると、もちろんトイレもベッドの上で。

3ヶ月かけて、それが“普通”のようになってしまった。

それなのに、また、母が諦めなきゃいけなくなったのかと思うと、そばにいて辛かった。



昨日は書かなかったけど、実は黒のフォーマルを買ってきた。

検査の結果を聞いて以降、父が気にしていたから。

黒のスーツよりも、一着きちんとしたフォーマルを と。

思うことを何でも言葉に出してしまう父。昨日 何を思ったか、付き添いを変わってもらうときに

母の前で、黒とかフォーマルとは言わないものの“10年でも使えそうな物にした方がいいぞ”と言ってきた。

私は週に半日ほど付き添いを代わってもらい、母には申し訳ないが自由な時間をもらっている。

春物の服を見たり、母に必要な物を買ったり、マッサージを受けたり。

昨日もそんな感じで出掛けようとしていたのに、

突然父が 母の前でそんなことを言ったから私はビックリした。

今のこのシチュエーションで買って 私が10年先でも使える物って何だろう?



母がフォーマルを買うとき“生地の良いもので、10年くらい使えそうな物を”と言っていたらしい。

勘の良い母。その言葉で何か気付いたかもしれない。

だから今日、立つ練習をしないと言われ、余計に悲しくなった。


もう一つ。ムクミが酷くなった。右手は甲からではなく、指から腫れている。

左手も、少しむくんできた。そうなると上半身が重くなり、バランスが取りにくくなってきた。

指のむくみ、腕の重さでご飯を食べるのも辛そう。

夕食時、久しぶりに食事の介助をした。

こうして、食事も一人でとれなくなるのか?


最近、無意識で大便をしたのが2回。

良くないいろんなことが起こりすぎて、さすがに少しまいってきたのかもしれない。母も私も。

でも母は、プクプクに膨れた右手をギュッギュッと握り“ムキムキ”と言っていた。

私が“きん肉マンみたいに?”と言うと“そう”と言って和ませてくれた。


もしかすると、母の方が いろんなことを受け入れているのかもしれない。

私はまだ受容できずに、否認の気持ちで溢れている。


きっと、今ももっと何かしてあげられる事があるだろうし、

これまでも 娘として母を安心させたり喜ばせたりできたんじゃないかと思うと、

自分のことが情けなくもあり、哀しくもある。




今日は長々と書いてしまいました。

またしても暗い内容になってしまいましたが これが本音です。

読んでくださって ありがとうございます。

ガーゼ交換 10時、20時半。