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みーちゃんとまーくんの2人言

Mダックス・レオン&みーちゃんとまーくんの日記から、2008.11.27以降、すっかりみーちゃん母の乳ガン日記に移行

1月24日

2011-01-24 20:44:44 | レオン
1月24日

今日は昨日より喋りやすそう。

朝起きて、少し話してそう感じた。

今日から無理しない程度に動いてもかまわない と言われていたので、

看護師さんのいるときに立ってみた。

しかし、20日ほど寝たままで、ベッドから離れることのなかった母。

まず、立ち上がろうとしても、腰に力が入らず立てない。

看護師さんと私とで支えて立たせた。

そこから一歩と言っても、力が入らずぐらつくから、周りの方が見ていて怖い。

背もたれのある椅子に座らせ、座ったまま足踏みを10回、

片足ずつ持ち上げるのを各5回。

看護師さんから、筋肉がなくって、やわらかい足になっているから、

今やった動きを毎日するといいよ、と言われる。

救急車で運ばれた日に、トイレに行った大変さを教えてくれた父と叔母。

その時の母の体を“こんにゃくみたいだった”と表現していたけど、

今日の母を見ていると、その時の大変さが想像できた。

きっと今日よりもっと大変だったはずだ。



胸の浸出液が増えたようで、臭いも少し気になってきたようだ。

新たに左胸の上の方で、皮膚表面がザラザラ、ボコボコしてきた所がある。

右胸みたいにならなきゃいいけど、広がってくる赤さを見ると、

本当に不安になる。できるなら、母には見てもらいたくない。

今日も食事は完食。

点滴も10時19時の二回。


入院してしばらく経って、意識がしっかりとしてきた頃から、

母は消灯で暗くなった時より、部屋が明るい時によく眠るようになった。

明るい方が安心して寝られるのか?

精神科の先生が週に一度来てくれる。

私たちに話せない不安とかがあるなら、先生だけにでも話してもらいたい。

今も消灯前なのに、イビキをかきながら寝ている。

こうなると、夜中も電気を付けて寝た方がいいのかな?

1月23日

2011-01-24 06:29:00 | レオン
1月23日

今日も昨日と同じく、治療もなかったので ゆっくりと過ごしていた。

話し方は、相変わらず少し聞きづらい。

胸の皮膚転移が広がってきている。母自身、気になる箇所が増えたと言っている。

看護師さん達が“赤い所、痒くないですか?”と聞いてくれるけど、

母が最後に自分の胸を見たときよりも、今のほうが赤い範囲が広がってきているから、

そう聞かれることを不思議に思っている。

“そんなに赤い?”と聞いてくる。

うん ちょっとね としか言えない。



10時と19時半から点滴。

昼前、母が寝ている時に、主治医が見に来てくれた。

少し喋りにくそうだと伝える。

頭全体に放射線をあてているから、正常な細胞にまで当たってしまう。

だから、何らかの副作用が出てきてしまうかもしれない。

頭痛が出てきたりしたら、また薬を考えるね と言われた。



今週は、トイレに行くことを目標に 歩いてみることになっている。

今は ベッドで起き上がることも一人で出来ない状況。

でも母も、トイレに行けるようになりたい と思ってるから、

また歩けるようになって欲しい。

1月22日

2011-01-23 08:29:51 | レオン
1月22日

昨日は家でゆっくり眠ったけど、なぜか1時、3時と目が覚めて

しっかり眠れたか?と聞かれると まだ寝たかった と言うのが本音です。

母が食べたがっていたものを作って病院に行く。

従兄弟がケーキを持って来てくれ、みんなで食べる。

点滴も朝10時夜7時の1日2回。

この点滴は、来週までするからねと言われている。


今日の母から、少し話しにくそうな印象を受けた。

リニアックによる脱毛も目立ってきた。

1月21日

2011-01-22 06:24:30 | レオン
1月21日

昨日の夜から、胸に塗る薬がモーズ軟膏からメトロニダゾールに変わった。

出血が治まったから、次は浸出液と臭いを抑える為にだ。

今朝母は、臭いがない と喜んでいた。

確かに臭ってない。

かなり嬉しそうだった。


今日は午前中に体を拭いてもらい

午後から最後のリニアック(10回目)を受けた。

酷い副作用もなく、全10回、無事に終了できて良かった。



夜の付き添いを父に変わってもらい、今日は家で休むことになった。

とは言え、母が食べたいと言っていた物を作っていくから

ただ休めるわけでもないんだけど(^_^;)

母は、食べること、作ることが大好きな人。

本当は、自分で料理したいと言っている。

でも今はまだ無理なので私が代わりに。


母が家に戻って、料理できるようになればいいなぁ。


来週は、体力の回復を見つつ、歩く、そして自分でトイレに行くことを目指そう と主治医は言ってくれた。

1月20日

2011-01-21 02:43:51 | レオン
1月20日

リニアックの効果か、それとも夜中 起きる度に、リンゴや飲み物を胃に入れてるのがいいのか、

母の吐き気、嘔吐はおさまっている。

いつ吐き気が来ても大丈夫なように、ビニール袋を常に片手に持つ生活をしていた母。

今でも寝るときには、枕の両端に袋を挟んで寝ているのだけど、

それを使わない日が続いていることが嬉しい。




さて、今日は 前に書いたモジモジしている若い看護師さんが担当になった。

不安はあっても、やはり少しでも打ち解けたいと思ったので、明るい雰囲気を作るようにしたのだけど…

皮膚転移の処置をしてくれていたときのこと。

浸出液のついたガーゼをめくって、そのガーゼを母の顔の前でヒラヒラさせながら、

出血していないかよーく観察している。

母、そのガーゼに染み付いた浸出液の臭いが嫌だと言ってたんですけど(x_x;)

そういう話をしながら処置してもらってたんだけどなぁ。

この処置に使う薬は、二種類の物を混ぜて作るんですけど、

この方は混ぜる時間が長く、5分間ほど母は病衣の前を開けっぱなしにされ、看護師さんはネリネリ。

他の看護師さんの対応とは、何かが違う(x_x;)

それと、今気付いたこと。毎回使う、痛み止めのスプレー麻酔?を使ってなかったなぁ。

母に痛みがないと分かったから、使わないようになったのかな?

ただ忘れただけだったのなら…母は痛みのない人だから大丈夫だったけど、痛みのある他の患者さんなら大変!


そんなこんなで、他の看護師さん達より時間がかかってるなぁ と思っていたら

病室に先輩看護師さんが入ってきて“それが終わったら、一度 こちらに来てね”と呼ばれていた。

処置が終わり、病室を出ていった若い看護師さん。

その後しばらくは 若い看護師さんが戻ることはなく、先輩看護師さんが母の手当てをしてくれた。

先輩看護師さん、手際良かったです。

先輩看護師さんが一言“どこから出血したか分からないほど塗りまくってあるね”と。



9回目のリニアックは午前中に終了。明日が最終日。

昼食を食べた後、午前中の疲れが出たようで、昼からすぐに眠っていた。

昨夜は22時~0時まで、3時から5時頃までは寝ていた。

私が眠っているときも寝ていたかもしれないから、まあまあ寝ている。

昼寝するのは、治療で脳も疲れるからなのか?単に昼寝か?


昨日の夕方、エレベーターに乗る主治医と一緒になった。

主治医は“お父さん大丈夫?”と父の心配をしてくれた。

“正直言って、私より参ってる”と伝えると“そうやよなぁ”と言った。

胸の赤みの範囲がどんどん広がっていることを伝えると、

リンパの流れが滞っていて、溜ってくるとそこが赤くなる と教えてくれた。

母の今後の治療について尋ねると、来週一週間は休んで再来週から抗がん剤を考えている。

でも、抗がん剤の種類をどうしようか、体力的に 使える抗がん剤と使えない抗がん剤があるし と。

再来週までに、考えておいてくださいね! とお願いし別れる。



今日は母と一緒に夕食を食べ、病室でのんびりと過ごす。

19:30 点滴開始

20:30 ガーゼ交換

21:20 点滴が外れる

就寝




明日まで頭の治療、リニアックがあるから、怪我をしないように、

安静にしなきゃいけなかったけど、来週からは少しずつ動かなきゃいけない。

不安だけど、また歩けるようになって、家で普通の生活が出来るようになって欲しいな。

1月19日

2011-01-20 04:05:29 | レオン
1月19日

昨夜は吐かずに過ごせた。

夜中に定期的に、リンゴとイチゴを食べさせたのがよかったのか。

朝食が白米になってから、また一段と良く食べるようになった母。頼もしい。

今日、いつもと違うことをしてもらった。ストレッチャーに乗せられ、

そのままシャワー室へ。そして寝たままシャワーしてもらった。

頭も体も、さっぱりすっきりで母は喜んでいた。

ここで、私は一度 祖母の様子を見てくることに。

外来に行って、整形の診察の話を一緒に聞く。

90年使ってきた体だし、骨粗しょう症気味だしで、

腰の痛みは ピタッと止まるものじゃない。

長いコルセットでも作ってみますか と言う話になる。

そうこうしていると、12時が過ぎ 母から電話が。

ご飯もそうだけど、寂しいの? と聞くと そうやねぇ と答える。

慌てて サンドイッチやココアを買って病室に戻る。

祖母も病室に戻り、三人でランチタイム。

ここで私が気付く。

あれれ?午前の点滴してないんじゃない? 母は してないよ と言う。

ここでは、こちらから言わないと点滴もしてもらえないのか?

午前中、シャワーをさせてもらった有り難さから、強くも言えない。

あと、言うことで、母が嫌な思いを受けるんじゃないかと思うと、何も言えない。

脳圧を下げる点滴なのだけど、この点滴は こんな扱いでよいものか?

この病棟の良さ、良いスタッフを見つけてきたけど、

またこんなところでゲンナリとしてしまう。

前の病棟で、夜する点滴を夕方されたことがあった。

そのときは、謝罪があり、主治医にも報告しておきました との連絡をもらった。

いくら脳転移ありで、書いてしまうと ステージ4のがん患者だけど、

母は今も治療を受けて頑張っている。

スタッフと患者側の温度差を感じずにはいられない。

看護師が忙しいのは承知のうえで、どこにぶつけようかないので、ここに書いてしまった。

昼食後、点滴開始。

14:45 リニアック

母がリニアックから戻ると、祖母は家に帰った。

しばらく母娘の、漫才会話が続く。

少しすると母は、イビキ付きの睡眠タイムに入った。

イビキが鳴り響く中、主治医が登場。

これだけ寝ていたら、夜寝られないわ、と言って笑っている。

母が少し起きたようで、ウンウン頷いている。

が、母は主治医が来たことを覚えてなかった。中途半端に起きていたらしい。

17:50 夕食

そうこうしていると、兄が来て、父も来る。

私は 兄と共に家に行き、ご飯を食べ、お風呂に入る。

21時に病室に戻る。

私が幾度、夜の点滴はもう終わっていた。

さすが、この病棟で私たちが信頼している看護師さん!

少し話して22時、眠る。

20日、0時くらいから眠れず、起きていたみたいだけど、3:10から寝息が聞こえてきた。

今日も吐いてないし、順調だ。

昼間のトークも絶好調。

リニアックも、残り2回。

どうか効いてください!と祈らずにはいられない。

おやすみなさい。

ばあちゃん現る!

2011-01-19 22:29:51 | レオン
1月19日

我が祖母、今日が外来の日だったらしく、病院に来ることになっていた。

昨日から父に“明日 ばあちゃんが朝来ると思うから、部屋で待たせてやってくれ”

と言われていました。

がっ、ばあちゃん、私たちが寝ているから悪いと思ったらしく

6:50でまだ暗~い受付で待っていると言ってきかなかったらしい。

そのことで、出勤前の父と祖母がバトル。

イライラ声で父から電話が入る。ばあちゃん、病室に行かんと思うわ と。

ところがしばらくして、祖母が病室に来た。“ママとみーちゃん、もう起きとると聞いたから”と。

病室に来るなら、父とバトルしなきゃいいのに。

やっぱり頑固な90歳だ。

結局祖母は、リウマチ科と整形外科を受診。

強気全開じゃなきゃ、かわいいばあちゃんなのに。

12:00 まで診察がかかり、コルセットの型を作り、更に杖を勧められていた。

祖母の、腰の痛そうな姿を見ていると、長生きするのも大変だなぁと思ってしまう。


このばあちゃんの気の強いエピソードは、去年の1~3月頃の記事に書いてあると思います。

興味のあるかたは読んでみてくださいませm(__)m

朝ごはんやら病棟スタッフやら

2011-01-19 09:47:07 | レオン
書き忘れていましたが、朝ごはんのこと。

看護師さんが何度も何度も聞いてくださった結果、

火曜日から、母の朝食が白米の和食になりました(^O^)

しかも、お盆に乗っている 母の名前が書かれた紙には

“パン禁止”の文字が(笑)

母は苦笑いしていますが、母の希望通り、ご飯になってよかった。



病棟看護師について

私たちも病棟に慣れてきて、そしてスタッフの皆さんも

私たちのペースを理解してくれるようになり、

それに何より、優しく真面目に的確に看護してくれる、

母お気に入り(私もお気に入り)の看護師さんもでき、

少しずつ 居心地が良くなってきました。

ただ、まだ連絡が上手くいっていないこともあり(リニアックの時間変更を、担当看護師が知らなかった とか)

少々不安もありますが、優しい看護師さんもいるし、なんとか馴染めそうです。

香水の人と、必要以上にモジモジしている若い人、その人たちは

まだ母の担当にはなっていないので、担当してくれる日はどうなることやら。

ちなみに、モジモジする方、二十代前半~半ばくらい。

マンガで見るようなモジモジっぷりで、手をお腹の前で組んで、

揉み手をしているような、そんな感じで“何でも言ってくださいねー”と モゾモゾ言う。

看護師の叔母も“あの子、ちょっと酷なぁい?”って言うくらいに

小声でモジモジ。う~ん、担当になってくれる日は、どうなることやら。

それだけは少し気がかりです。

8日

2011-01-09 06:44:06 | レオン
昨日の夕方からボヤッとしていて食欲もなく 夜に吐いてしまった母。

大丈夫か大丈夫か?と思いながら夜を過ごす。


8日 朝

前日の夕方のことを覚えてなかった母。

夕食を食べなかったよ、と言うと“そうやった?もったいない~”と。

朝食6割を食べる。

朝10時から点滴。

11:30に イチゴ あまおう(母のお気に入り)を2粒食べる

昼食に間に合うように、叔母(父の妹2)が お弁当を作って持ってきてくれた。

保温の容器に豚汁まで入れて。

母は 病院食に叔母のお弁当にと、美味しそうに食べた。

私も叔母のお弁当をいただいた。

少しして、叔母(父の妹1)も来てくれた。

私の従姉妹が 赤ちゃんを連れて新しい家を見にきていたので、会いたくって、私も一回家に帰る。


暫くして病院に戻る。

すると今度は 母の姉が来てくれた。

今日 母は忙しい。私のいない間に お友達も来てくれてたし、

看護師さんに 足浴をしてもらったし、そのついでに ベッドサイドに座ってみた。

母の前には父、後ろには私がついていて、安全に。


そしてこの後 兄と私は再び家に帰り、救急車騒動が起きたのです。



その間の母はというと、夕食を完食したそうです。

消灯ギリギリに私は戻り、祖母が腰痛だと母に嘘をつき 眠りにつきました。

22時から点滴。

23時に吐いて、シーツや病衣を交えてもらう。



病室に戻った私に母は、右か左の手の動きがおかしい。

どんなリハビリすればいいかなぁ と聞いてきた。

心配になり、看護師さんに知らせておく。

あっちもこっちも、どこも全て大変だ。

初めて本当に疲れたと思った。

救急車 2

2011-01-09 00:21:00 | レオン
5日の母の救急車に続き、今日の夜、祖母が救急車で運ばれました。

同乗したのは私。

現場にいたのは祖母、兄、私。


偶然が重なった出来事でした。

今日が休日で父がいたので、父に母の夕食の世話を託し、

お風呂に入る為、私は家に連れていってもらいました。

祖母が夕食の為に たくさんゴハンを炊いたと言うので、三人で食べることに。

最近、祖母は一人で食べなきゃいけないことが多かったので、寂しかったろうなぁと思い。

そのとき お風呂は後にして 先にゴハンにしようと ふと感じ そうしました。

ゴハンも味噌汁もよそい、後は食べるだけ。

祖母は 下に置いてあった漬物を取っていました。

“ばあちゃん、ゴハン食べよ”と言うと、漬物を持って立った祖母の様子がおかしい!

扉の方で フラッとした祖母。

いつもと違う!と思ったので その場にいた兄に

“ちょっと ばあちゃんがおかしい!座らせて!”と伝える。

キッチンの椅子に座った祖母の意識が どんどんなくなっていく!

祖母を支えていた兄が“ああっ!ダメだ!救急車!”と叫ぶ!

私は携帯を取り119番を押す。場所を伝え、救急車の誘導をするため家の外に出る。

電話をしているすぐ後ろで兄が“ばあちゃん!ばあちゃん!”と叫ぶ!

私は叔母達に電話をする。

母に悟られないように、母から離れて と頼み、父にも伝える。

救急車を待つ間、叔母二人に電話。

そして一度家に入る。

中に行くと 意識を取り戻した祖母がいた。

そこへ救急車が到着。

隊員3人が家に入ってくる。

祖母は酸素マスク?を付けながら 隊員の質問に答える。

私と兄は 隊員の人に言われ、飲んでる薬を探す。

薬も見つけ、私も救急車に乗る。兄は車で。

母の病院だと都合がいいので聞いてもらうが、今日の当番は泌尿器の先生。

仕方がないので別の病院に。

運ばれる途中、何度も目を瞑っていく祖母。

隊員の方が できるだけ 目を開けてて と。

病院に到着。緊急の前の長椅子に通される。

私ひとり。

怖くて不安で号泣。

叔母たちが到着。父も到着。

検査に入る祖母。

時間が過ぎる。



結果が出て 緊急の部屋に呼ばれる。

私はその時の様子を医師に話す。

結果として、CTや血液検査を見ても、特に重篤な問題は見つからない。

少しの不整脈がある と。

しかしながら 今発作だとか意識消失があるわけではない。

点滴して休んで、ふらつきなく歩けるなら 家に帰って休み中を安静に過ごし、

週の始めにかかりつけの病院で見てもらうといい と言われる。

祖母が休んでいる間に私は母の付き添いに戻る。

母の病室に着いたとき、消灯の五分前だった。

父が突然どこかに消え、付き添いが兄に変わったことを不審に思っていた母。

私は“ばあちゃんが動きすぎて 腰が痛くなっちゃって、それでお父さんに来てもらったんだ”

と嘘をついた。そしてベッドを作って横になった。

暗い病室の中で、父からのメールを受け取った。

“ばあちゃん、今家に着きました”



もし今日が平日だったら…

もし私が 先にお風呂に入ると言っていたら…

もし お風呂に入りに家に帰らなかったら…



祖母は一人で家で倒れていたかもしれない。


今日のその時間、兄と私が家にいてよかった。


今日から父と母の寝室に 祖母のベッドを運んで 父と祖母で寝るという。

明日は叔母も来てくれる。心強い。




ただひとつ、祖母は救急車の中で隊員の人に言っていた。

“あのまま逝かせてくれればよかったのに”


兄と私、当然のことをしたんだよね?

90の祖母に 悪いことしてないよね?



まさかすぎる出来事で、今も夢の中にいるみたい。