3連休というのに、外は朝から雨だし、外出する気も失せたので、アマプラのドラマ(「ファーゴ」)でも見ようかと思ったが、雨が急に止み、虫の知らせか?神の誘いか?はたまた私の気まぐれか?
何だか無性に庭の草むしりをしたくなる。
実は3週間ほど前に除草剤をかけ、1週間ほど経つと全面が茶色になる程に枯れたから、枯れずに残ってる雑草も含め排除した。
早朝の5時頃から1時間ほど2日続けて行ったが、まだ根まで十分に枯れ切っておらず、少し手間が掛かり、途中で投げ出していた。
その後、続きを終えようと何度かトライするも7月に入ってからの猛烈な暑さに跳ね返され、放ったらかしにしておいた。
しかし、ここ数日は雨模様で気温も下がっていたから、草むしりには絶好の機会ではある。それに、地盤も柔らかく、意外にも楽に作業が出来た。それでも自宅の周りをぐるりとカバーする必要があるので、夕方の早い時間帯に重い腰を上げる。
結果論だが、草むしりをして正解だった。というのも強力な助っ人が現れたからだ。
突然の訪問
”ああこれじゃ、今夜の九州北部は豪雨間違いなしだ”
振り返ると、私より一回り小さな中年男が立っていた。誰かはずぐに分かった。
大学時代の同級生だ。高校の教職に就いてるらしく、数学の先生にしては堂々たる風格でもある。
"ああ、君かぁ・・・"
私は(大学を卒業して以来)約25年ぶりの、それも突然の遭遇に不思議と驚く事もなかった。というのも、大学時代と少しも変わってないからである。
"急に何の前触れもなく来たもんだから、驚いたやろ?"
"いや、不思議とそういう予感がしていたんだ。でもあっという間だよな"
”ああ、色々あったけど、気がついたらオジサンになってる”
”君は身体が小さい分、若いよ。昔とちっとも変わっちゃいない”
”アンタだって、白髪を除けば変わってないよ。お陰でホッとした”
私は作業を中断し、男を家の中へ入れようとした。が、気を利かしたのか?男は”手伝うよ。一気に済まそうじゃないか”と言ってくれた。
私は旧友の有り難い救いに、戸惑う事もなく甘えてしまう。
約2.5軒分ある自宅の周囲の中途に広い庭だが、小1時間で片付ける事が出来た。
自分も色々とあり過ぎた事を手短に喋ってたら、すこし日が暮れてきた。周りは涼しくなり、もっと話したい事もあったので、居酒屋にでも誘おうと思うも、男はこれまた気を利かし、”夕方は佐賀の親戚に呼ばれてるから、ここでお暇するよ。今日は会えただけでも収穫だった”
少し残念だったが、ガラスの仕切り板越しに酒を酌み交わすよりも、この方がいいとも思った。それに第七波がそこまで押し寄せている。3連休とは言え(教職という立場)ノホホンともしてられない。彼はそういう慎重な男でもある。
私は男のさり気ない心遣いに感謝し、彼と別れた。どうやら彼は、ブログを見抜いて私の近況を知ってたらしい。
彼とは特別仲がいいとの程でもなかったが、非常にクレバーで状況の本質が読める男だった。高校の先生というより研究者や数学者の方がピッタリだと思う程の男だ。
多分、私の数学ブログを読んでくれてたのだろうか?そう言えば、ここ数カ月ほど数学やリーマンブログへのアクセスが急に目立ってはいた。
勿論、思い込みに過ぎないが、都合のいい旧友の来訪は、(失われた20年に埋没しそうな)私を勇気づけてくれたのは確かである。
別れ際に、旧友がボソッと口にする。
”唐突な相談で悪いが、君のブログの一部を授業の参考にしたい。いや、参考というよりテーマにしたいんだ”
私は苦笑した。
”そういう事だったの?出来過ぎてると思った”
”やっぱりダメかな・・・”
”いやいや、大歓迎だよ。但し、責任は持たんよ。訴えても俺は知らんふりするからね”
男はホッとした様子だった。
私は、相変わらずの旧友のセコい性格を思いだし、笑いを堪えるのに必死だった。
4回目のワクチン
新型コロナの第七波がすぐそこまで来ている。
福岡県も(連休に入る前に)既に過去最高の感染者数を記録し、毒性は低いものの感染者が増えれば、保健所や検査現場を混乱させ、入院者が増えれば病院は麻痺し、現場は疲弊する。そして未だに、その後遺症と傷跡は生々しく残る。
いち早く4回目のワクチンを打ちたいが、なかなかその順番が回ってこない。
1回目は8月(ファイザー)で2回目は9月(同)、3回目は3月(モデルナ)だったが、本音を言えば、第7波が猛威を振るう前に接種したかった。
ワクチンに関しては(以前程ではないが)未だに賛否両論が一部では噴出する。しかし、ウイルスが変異する様にワクチンもアップデートが必要である。それに未知のウイルスが故に油断は禁物だろう。
奴らは幼い子供や持病持ちの高齢者など弱者を標的にする。健全な若者に対しては大人しくして健丈な体内に棲み付き、侵入の機会を伺う。チャンスと見れば獲物を一気に抹殺し、最期は潔く自らも死に絶える。
まるで、現代民主主義の非情でもある。
弱者は次々と抹殺し、凡庸で健常な大衆は宿主として利用する。利用し終われば、切り捨てる。自民党と同じで、選挙で票を集める時は優しく穏やかな顔で近づき、過半数を獲得した途端、(週に2回搬出の)生ゴミの如く焼却炉に放り込む。
私には新型コロナの変異株が知能犯の様にも思えてならない。それに彼らは確実に学習する(多分)。
それは経験からではなく、先を見通しながら本質を見抜き、その本質から学習する。事実、彼らは長年に渡り、ホモサピエンスの凡庸で脆弱なる体質を学習し、用心深くかつ巧みにその体内に紛れ込み、変異を繰り返し、見事に市民権を獲得してきた。
油断させては繁殖し、日常生活や経済を麻痺させる。事実、コロナ感染の増幅度は時を重ねる毎に飛躍的に大きくなる。まるで、正弦曲線に指数関数をかけ合わせたかのようだ。
勿論、彼らに正弦関数と指数関数の違いがわかる筈もないが、人類が(ウイルスとは異なり)学習能力の乏しい生き物である事だけは理解してるようだ。
最後に〜砂山のパラダクス
コロナ渦が繁殖する度に、人々は陰謀説やワクチン不要説を撒き散らす。ウイルスはそうした混乱に突け込み、いとも容易く繁殖する事に成功する。
連休になれば人は密集の中に群れたがる。そうした凡庸な習性を知ってるかの如く、タイムリーにウイルスを拡散させる。ただ、連休後にコロナが繁殖するのなら理解できるが、連休の前から大衆の行動を予見するかのような振る舞いを見せている。
これは偶然か?必然か?神のお告げなのか?はたまたウイルスの単なる気まぐれか?それとも綿密な計画か?
コロナ変異株がどれ程の高度な知能を持ってるかは、今の私達にはわからないし、現代の最先端の科学技術を持ってしても理解するのは不可能かもしれない。しかし、ウイルスの方は(屈辱的な事だが)どうやら人類がどれほどの知能を持つかは学習してるみたいだ。
”砂山のパラダクス”とは、砂山から砂粒を取り去っても砂山のままだが、それから何度も取り続けて、最終的に一粒だけが残った時、それだけで砂山であると言えるのか?という問題(矛盾)である。
言い換えれば、墓地には死体が沢山埋まってるが、死体が1つずつ消え、全てなくなったら、墓地と言えるのか?確かに墓地と言えるかもしれないし、跡地にマンションが建てば墓地とは呼ばなくなる。
つまり、定義や境界値が明確でなく曖昧な概念をどう扱うのかという問題であり、主に論理学の哲学や言語哲学にては大きな問題になる。というのも、論理学や数学などの科学の分野では、全ての概念が明確な必要があり、通常の方法では曖昧な概念を扱えないからである(ウィキ)。
これは、コロナ渦でも同様で、(バートランド・ラッセル風に言えば)明確な規格が存在しない未知のウイルスには、明確な論理が通用しない。
故に、曖昧な陰謀論や不透明なマスク&ワクチン不要論が賑わうのも当然であり、単に毒性だけで言えば風邪と同じとなる。
こうした矛盾を取り除く為に、”(固定の)境界値の設定”という手法があるが、学力テストや100球肩などの様に、明確な線引きは解決法としては非論理的である。
例えばコロナ陽性検査でも、30サイクルで発見されれば感染と見なし、31サイクルでは否とするのなら、それこそが矛盾である。
単に、感染数ではなく”サイクル数を公表する”事でウイルスの濃度や強度のモデルやマッピングが作れ、コロナ感染の流れを可視化出来た筈だ。
つまり曖昧な概念とは、こうやって論理的に1つ1つ排除すべきであり、単に集めたデータを見つめるだけでは問題は問題なままである。
曖昧さを排除する方法は、他にも”多値論理”や”履歴現象”や”集団的合意”を使う手法があるが、解決に直接結びつくかはともかく、矛盾や曖昧さの多い主観的な定義から誤解や問題の少ない客観的な定義に変えるものである事には違いない。
事実、数学や自然科学の難題も、こうやって解き明かされてきた。
少し堅いテーマに傾斜したが、慢性的に起きるコロナ渦を考える際、こうした論理的思考を活用するのも、コロナ撲滅に有効な手段だと私は考える。しかし、こうした論理的思考が苦手なら、せめて最低限の対策を練る事は国民のあるべき姿なのかもしれない。
いや、”論理的”という点では、我ら人類よりもウイルスの方がずっと進んでるのかもしれない。
というのも彼らは、半分は生き物ではないし、半分は設計図なのだから・・・
今はスクワットよりも”踵落とし”という軽い運動をやってます。お陰でヒザが丈夫になった様な気がします。
草むしり自体は苦痛でもないんですが、普段の運動不足からか、汗をかきすぎるのが苦痛です。
庭に砂利を敷き詰める予定ですが、SNSやスマホよりもこっちの方がずっと楽しいですよね。
コメントありがとうです。
草取りは膝が悪い為、杖を左手に支えてやっています。😁
私って、2日続けての草取りが出来ないです。 かなり気まぐれな每日を過ごして来ました。
虫に、少〜し慣れる迄、何十年もかかっています。
ブログは、ちょっと昔、非公開で10回分程書いて辞めました。😂
コメントも偶にしかしてないです。
近所も姉妹もパソコンの話しが出ないので、他の立ち話だけでは、つまらない時があります。
では、失礼します。
そんなウイルスが人類よりも知能が劣る筈もないんですが、我らは文明とか文化にばかり目をとられ、人類こそが一番進化した生命体と自惚れがちです。
ウイルスの研究はまだ始まったばかりですが、人類を絶滅させる程の驚愕の発見もなされるかもですね。
今回テキサス大で発見されたアスガルド古細菌に感染するウイルスは、自身のDNAをコピーする能力や宿主のタンパク質修飾システムを乗っ取る能力など、真核生物に感染するウイルスと類似した特徴を有してることがわかったとあります。
これは従来の知られた微生物とは全く違う20億年以上前に進化した変異ウイルスとされます。
転んださんがテーマにしたウイルスの知能ですが、私たち人類が想像するよりもずっと歴史が長く、神秘性が深いものですよね。