象が転んだ

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クロネッカーの夢とカントールの信仰〜神様はどっちに味方したのか?

2022年08月04日 11時46分46秒 | 数学のお話

 「カントールか?神様か?」のダラダラと長い記事が何とか中盤を迎え、(クソ暑い中、こんな記事を書く私にもホトホト呆れますが)少し息抜きをしたいと思います。
 そんな私もカントールとクロネッカーとの確執は大まかには知ってました。でも知らない事の方がずっとずっと多い。
 そこで頭を冷やす為にも、今日はカントール(写真左)ではなく、クロネッカー(写真右)を中心に書きたいと思います。

 数学をポエムの様に美しく表現しようとしたクロネッカーと、一方で数学を神の領域にまで無限に広げようとしたカントール。両者には多くの共通点があり、それ以上に深刻な長い対立もあった。
 超越なる若き天才カントールに嫉妬したクロネッカーに対し、かつては恩師と崇め、その恩師の壮絶な反感を買い、心を病んだカントール。
 確かに、クロネッカーが描く数学とカントールが信じる数学には、有限と無限、離散的と連続的という大きな違い、いや隔たりがある。

 「その3」に寄せられたコメントに、カントールの精神が病んだのも事実だが、”クロネッカーのカントールへの嫉妬がクロネッカーの精神を歪ませ、異常なまでの攻撃性を生んだ”とも言えるとあった。


クロネッカーとカントール

 クロネッカーもカントールも同じユダヤ系で、それぞれ伯父と父親がビジネスで大成功を成した。
 ベルリン大に移る頃はそれ相当の遺産を受け取り、一族の期待を一手に背負うカントールと、一方で伯父の銀行と農場を引き継ぎ、ビジネスでも成功を収めてたクロネッカー。
 つまり二人の生い立ちには多くの共通点があった筈だ。

 クロネッカーは数学の世界でも大きな成功を収めたがっていた。事実、クンマーらと並ぶベルリン大学の黄金期を支える偉大な数学者にのし上がるんですが、カントールの数学はクロネッカーのそれを超えそうな勢いがありました。
 カントールが無限の存在を証明した時、クロネッカーは”超越数(アレフ)なんてのは存在しない”とまで言い切り、更には”奴の頭は病気だ”と彼の人格までをも攻撃します。
 カントールが数学者として独り立ちした27歳の頃(1872)から、二人の断裂は決定的なものとなリ、油が一番乗り切ってた39歳(1884)の夏、カントールは突然深刻な鬱状態に陥り、精神病院に塞ぎ込む。
 勿論、カントールにも問題がない訳でもなかった。ベルリンやゲッティンゲンでのポストが空く度に望みを託し、そして砕かれ続けた。
 彼は神経質で気難しく、激し易い性格であったが為に、”何故俺ほどの数学者が?”と、その都度怒りを爆発させた。一方で家族に対しては心優しい父親であった。数学では主導権を握らねば気が済まない強情一徹な彼も、家庭内では愛情を注ぎ続けた。

 確かに、クロネッカーの攻撃はとても冷静に考え抜かれ、更に悪質な面もあり、外堀を上手く固められ、やがてカントールは孤立無援に陥ります。
 純粋数学者にありがちなクロネッカーの完全無欠主義は”有限こそが数学の真の完全性であり、無限の美しさは虚構である”と、直感に頼る美しい独創性こそが、かつての愛弟子であったカントールを追い込み、自身の精神をも大きく歪ませたのかもしれない。

 クロネッカーの偉業はポアンカレやブラウアーなどに引き継がれる”直観主義”を大きく発展させる基盤となるが、直感に頼りすぎると矛盾や初歩的なミスを生じやすい事も指摘されてはいる。
 一方で、カントールの”(連続体における)無限には次元という概念が存在しない”という発見は数学史上から見ても傑出したもので、クロネッカーの”数学の夢”を転覆させるに十分に強力で斬新なものでした。
 仮に、天才が無限なら、クロネッカーの天才は可能な無限であり、カントールの天才は(自らが証明した)それらを超越した無限となるんでしょうか。
 しかし視点を変えれば、クロネッカーの度重なる妨害が、カントールに無限の研究を注意深く行う事を示唆し、論文の完成度を高めたという点ではマイナスばかりでもない。


クロネッカーの夢

 クロネッカーの”青春の夢”には、”虚2次体”という超越無限にも似た非常に難解な言葉が登場します。
 「その3」でも少し触れましたが、2次体とはQ(√d)の任意の元αがα=a+b√d、a,b∈Qとして表されます。但し、Q(√d)とは√dを含む有理数体Qの拡大体の事で、平方因子を含まない0,1以外の整数をdとする。
 この時αは、整数係数で出来る2次方程式の解の形をしてる為に、2次体(quadratic field)と呼びます。
 つまり、2次方程式(quadratic)の解を集めた体(field)と考えれば単純ですね。
 虚2次体とは、2次体Q(√d)のd<0の時を指しますが、「クロネッカー=ウェバーの定理」を2次体から虚2次体へと拡張したケースを”青春の夢”と呼びます。
 この定理は、KをQ上のアーベル拡大とした時、正の整数nが存在し、Q⊂K⊂Q(ζₙ)が成立する。但し、ζₙは1の原始N乗根(1のべき根)の1つで、ζₙ=e^(2πi/n)となり、Q(ζₙ)の元となります。

 このクロネッカーの定理を平ペッたく言えば、”e^(2πi/n)を全てつけ加えた拡大を考えると有理数体Qの最大アーベル拡大を得る”となる。因みにクロネッカーは、”それは我が愛する青春の夢です。(整係数アーベル方程式が円分方程式によって尽くされるのと同様に)有理数の平方根を係数に含むアーベル方程式は、e^(2πi/n)を持つ楕円函数の変換方程式で尽くされる”と美しい表現で説明しました。
 いい直せば、”有理数体上のアーベル拡大(可換なガロア群)は円分体に含まれる”となり、これは”円分体が1のべき根により生成される”事を示しています。
 クロネッカーとクンマーは、ガウスの疑問”円周をn個の相等しい弧によって分割するには?”という代数的数体の難題に取り組みます。但し、ガウスは”全ての2次体Q(√d)が円分体に含まれる”事を既に示してました。
 因みに、半径1の円をn個に分割するn次方程式xⁿ−1=0は円分方程式と呼ばれ、その解を”1のべき根”と呼び、xⁿ−1の分解体を円分体と呼びます(「人生の答えは1つじゃない」も参照です)。但し、”1のべき根”が円分体の元になる事にも注意です。

 しかし、この証明は非常に厄介でかつ困難で、私には近づく事も勿論、理解事すらも出来ません。
 ただ(こんな異次元の発見をやってのける)クロネッカーの矛盾は、この美しい定理には√という無理数やiという虚数が登場する。
 つまり、無理数や虚数はカントールが発見した非可算無限、つまり超越無限の概念に直結するものです。
 一方で彼は、(有理数を含む)整数しか認めませんでした。しかし、代数的数体の未解決な難題を解き明かすには、無理数や虚数という未知の(神の領域の)概念が必要でした。
 数学をその神の領域にまで押し広げたカントールに、責められる覚えは全くなかったと言えますね。故に、クロネッカーの攻撃には(正当化される部分もあるが)悪意があったとされても不思議はない。


2次体の考察

 ただ、”楕円関数”という敵対してたワイエルシュトラスの分野にまで歩み寄ったクロネッカーの貢献も見逃すべきではない。つまり、代数学の難題は解析学なくしては解けなかったし、逆も真なりであろうか。
 クロネッカーのカントールに対する執拗な嫉妬は必然であろうが、代数学の解析学への歩み寄りもこれまた必然であるとしたら、これほどの皮肉がどこにあろう。
 つまり、代数学が離散的なものから非離散つまり連続的なものへとその対象を拡張した時、解析学への融合は始まっていたとも言える。 
 しかし、カントールの(自ら創り出した)集合論による無限の考察は、クロネッカーにとって認める事のできない”歩み寄り”だったかもしれない。
 ”そこまで飛躍したら数学は数学でなくなる”とでも叫びたかったのだろうか。
 が、カントールが打ち立てた集合論は今や現代数学の公理的体系の基礎となり、カントールなくして現在の数学の発展は無かったとも言われている。

 しかし、クロネッカーに対する誤解をなくし、その偉大さを少しでも理解する為に、彼の青春の夢の基盤となった”2次体”について、わかりやすく説明します。
 「その3」に寄せられたUNICORNさんのコメントをそのまま抜粋します。

 a,b∈Qとすれば、a+b√5はQ(√5)という代数体(2次体)の任意の元を表します。
 ここでは(簡単に記す為に)√5を使うが、実は、√5=e^(2πi/5)−e^(4πi/5)−e^(6πi/5)+e^(8πi/5)ー①という摩訶不思議な等式が成立する。
 この等式こそが、2次体を理解するのキモとなります。
 まず、円を5等分する点が、e^(2πi/5),e^(4πi/5),e^(6πi/5),e^(8πi/5)となる事は、この4つの点が円分方程式(円分多項式)であるx⁵−1=(x-1)(x⁴+x³+x²+x+1)=0の(x=1を除く)4つの解となる事から言える。
 e^(2πi/5)=cos(2π/5)+isin(2π/5)というオイラーの等式を知ってれば、これらの解が複素平面上の半径1の円周上の5等分した所に置ける事を直感で理解できますね(図参照)。
 つまり、この5つの点(解)は複素平面の極座標で表せば、(1,0)、(cos(2π/5),sin(2π/5))、(cos(4π/5),sin(4π/5))、(cos(6π/5),sin(6π/5))、(cos(8π/5),sin(8π/5))となる。
 因みに、複素数の点をz、その点までの距離をr、偏角をθとすると、zの極座標はr(cosθ,sinθ)、Zの極形式はr(cosθ+isinθ)で表され、更にオイラーの公式を使えば、z=re^(iθ)=r(cosθ+isinθ)となります。

 そこで、e^(2πi/5)とe^(8πi/5)のベクトルと、e^(4πi/5)とe^(6πi/5)のベクトルをそれぞれ加え、その差をとると何と√5になるというトリックです。
 つまりこれは、前述した①式であり、a+b√5=a+be^(2πi/5)−be^(4πi/5)−be^(6πi/5)+be^(8πi/5)が導け、2次体Q(√5)の任意の元が円分体の元を使って表せる事を示してます。
 そこで、円分体のある元をζ₅=e^(2πi/5)とおけば、Q⊂Q(√5)⊂Q(ζ₅)が言え、ガウスが証明した”2次体がある円分体に含まれる”事が分かる。


最後に

 これは”Qの2次体が円分体に含まれる”という法則ですが、クロネッカーはこれを更に飛躍させ、(2次体ではなく)”Q上のアーベル拡大が円分体に含まれる”事を発見しました。
 Q上のアーベル拡大体をKとすると、前述した様に、Q⊂K⊂Q(ζₙ)という形となりますね。

 この定理は、最初にクロネッカーにより発見され(1853)たが、次数が2のべきの拡大に対して不完全でもあった。後にウェーバーがが証明を出版した(1866)が、これは幾つかのギャップや誤りを含み、Neumannにより指摘・修正されてる(1981)。因みに、最初に完全な証明をしたのはヒルベルト(1896)であった。
 そのヒルベルトは、有理数体Qのアーベル拡大Kではなく一般的な代数体のアーベル拡大K’がどの様に構成できるかを問うた。
 この問いは、K’が虚2次体の時に答えが与えられ、クロネッカー=ウェーバーの定理は”指数函数の特殊値e^(2πi/n)を全てつけ加えた拡大を考えると有理数体Qの最大アーベル拡大を得る事ができる”と言い換えれる(ウィキ)。

 ”解析的数論の父”と称されたディリクレの後輩であるクンマーは、フェルマーの大定理の研究に端を発し、xⁿ−1=0の根で生成される円分体を詳しく研究し、理想数(後のイデアル論)の発見などにより、円分体と整数論の関係では多くの重要な結果を遺した。
 元々、代数体の整数論は、ガウスが4乗剰余の研究の中で”ガウス数体”と呼ばれる体Q(i)(iは虚数)における整数論を考えた事に始まる。
 その後、クンマーの円分体の研究や、デデキントによるイデアルの理論などにより、形が整えられ、ヒルベルトによってその基礎が確立した。また彼が提出した類体論の構想は、その後の代数体の発展に重要な役割を果す事になる(「代数的整数論」より)。

 この様に、カントールに真っ向から反発していた(ガウスやディリクレらの流れをくむ)クロネッカーやクンマーも偉大な仕事を成し遂げたという点では、カントールの神憑りな偉業と同列に語られるべきである。
 それでもカントールに肩入れするのは、神の情けというものであろうか・・・それとも神の領域に触れたカントールの偉業は、クロネッカーの嫉妬を呼び込むに十分すぎたのだろうか。



4 コメント

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ハレ大学 (腹打て)
2022-08-05 02:10:18
僅か1年でハレ大学の教授になれたのは
もちろんカントールの傑出した才能もあるけど、当時は既に大御所数学者であったクロネッカーの助力も大きかったんじゃないかな。

そのクロネッカーも、愛弟子のカントールが自身の専門分野である数論や代数学を引き継いでくれると大きな期待をしてたんじゃないかな。
それがあろう事に、敵対するワイエルシュトラスにカントールは傾斜していった。
さすがのクロネッカーも裏切られたと思っただろうね。

でもあまりに悔しくて精神的に歪んだのかもしれない。 
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腹打てサン (象が転んだ)
2022-08-05 07:41:05
そうなんですよ。
私もウッカリしてました。
それだけクロネッカーはカントールを後継者としても高く評価してたんですよね。

それに、クロネッカーの鶴の一声って当時は凄かったんでしょうか。敵に回したカントールの苦悩は、我々には計り知れないものがあります。
しかしクロネッカーもカントールへの憎悪を重ねる度に自らの精神を歪ませていくんですよね。
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失われた正気 (paulkuroneko)
2022-08-05 23:25:28
数学者って
基本的に内向的に出来てるから、鬱なんかの症状が発生しだすと止まらない傾向にあるかもしれません。

特にカントールの場合は
2種類の濃度の無限の発見と証明までは、クロネッカーの執拗な攻撃を受けても何とか持ちこたえてたはずですが、連続体仮説に取り組み始めた頃にうつ病が発生します。
個人的には、連続体仮説の研究がカントールには大きな精神的負担になったのかなとも思います。

証明したと思ったらその論文を取り下げたりと、その繰り返しでカントールの元々は優しく出来ている心は疲弊しボロボロになっていく。
勿論クロネッカーとの決裂も大きな誤算ではありましたが、カントールの天才をもってしても失われた正気を元に戻すことは不可能でした。
数学者の人生とはそういうものだと言えばそれまですが・・ 
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paulさん (象が転んだ)
2022-08-06 02:15:48
カントールの連続体仮説とは
可算無限と連続体(非可算無限)の間に中間の濃度の無限が存在しないという事ですが。
そのカントールも非可算無限の先にもっと大きな無限が存在すると信じてました。
でもそれが真であれば、彼の連続体仮説は成立しなくなり、矛盾が生じます(多分)。
勿論、集合論には矛盾が付き物で、カントールの集合論も”素朴的”と皮肉られてました。

結局、自らが生み出した連続体仮説とその矛盾という壁に挟まれ、信仰強い優しい心が折れたとも言えますね。
現実だけでなく数学にも矛盾は不可避ですが、カントールの生まれながらにしての純朴で強い信仰心が彼を追い詰めたとしたら・・・
これ程の皮肉がどこにあるでしょうか?

答えのないコメントで、申し訳ないですが、paulさんのコメントにはとても考えさせられます。
コメントありがとうです。
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