象が転んだ

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「博士が愛した等式」が語る、オイラーの真実と数の魔力

2020年12月30日 05時36分33秒 | 数学のお話

 数学が全くダメな人でも、オイラーの公式を知ってる人は多いだろう。映画「博士の愛した等式」(2006)でも登場した有名な公式である。
 (博士が愛した)オイラーの等式とは、”e^(iπ)+1=0”の事であるが、オイラーの公式”eⁱˣ=cosx+isinx”にx=πを代入すれば、簡単に導く事が出来る。

 オイラーの公式の証明は後で述べるとして、公式の名前はレオンハルト・オイラー(1707-1783)に因むが、実は最初の発見者はロジャー・コーツ(1682-1716、英)とされる。
 コーツは1714年に、log(cosx+isinx)=ixを発見したが、オイラーは、この対数関数の形での公式から指数関数での形に注意を向けた。そして、指数関数と三角関数の(テイラー)級数展開を比較する事で証明した(1748年)。
 コーツの公式の両辺をe(ネイビア数)の指数をとれば明らかですが。肝心のコーツは僅か33歳に亡くなったので、もし長生きしてれば、親友のニュートンが言う様に、”人類に重大な発見をもたらしていただろう”
 そう、オイラーの公式は”コーツの公式”だったかもしれないのだ。 

 以下、「博士が愛した数式が語るもの」を一部参考です。


目に見えない数の魔力

 「博士の愛した等式」では、数論を研究していた老数学者(寺尾聰)が数をまるで詩や物語の様に生き生きと話すが、実生活の知恵はまるでないに等しい。そして、この老学者は浮世離れした存在として描かれている。
 実は、オイラーの等式も当時は浮世離れした公式だった。指数関数もネイビア数eも虚数iもπ(円周率)、まだまだ馴染みのない時代だったのだ。

 この作品のテーマは”目に見えない世界”である。この世界は直接的には、概念上の存在でしない。例えば、−1とか0とかの数字を頭で処理は出来ても、目で見る事は出来ない。
 しかし、それらは確かに存在し、目には見えないが必要不可欠なものだ。そして、そういう数が存在するという事は、あらゆる条件下においても決して変質する事のない”永遠の真実”が確かに存在する事なのだ。
 テーマが”目に見えない世界”ならば、その答えは”永遠の真実”となる。
 事実、オイラーの公式や等式を眺めてると、見慣れない記号ばかりが登場する。しかし、この公式は永遠の真実であり、絶対不変の数式なのだ。
 つまり、私達が当り前の様に扱ってる数字は、永遠の美しい真実なのである。

 この数という”永遠の真実”は、決して変質しないが故に、気高い女王の様に美しく孤高であり、悪魔の様に人類を翻弄し、圧倒する力を持つ。ガウスが”数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である”と語ったのも肯ける。
 多くの日本人にとって、数字なんて意味を持たない単なる記号で、数学なんて意味を持たない無機質な学問とみなしがちだ。
 しかし、この作品を通じ、数字の性質に注目すると、壮大な幻想の世界の中に、整然とした秩序によって整列した数たちに翻弄される筈だ。そして、これら幻想から解き放たれ、いきなり意味を与えられ出現する数の世界に、私たちは、ますます圧倒される。
 それこそが、多くの数学者たちを魅了する”数の魔力”なのだろう。

 因みに、原作は小川洋子さんの同名の作品で、早稲田大学文学部卒の才媛が書いた”純文学者から見た数学”の本でもある。
 数学者の純粋さと、数字が持つ魔物のような幻想に多くの人が魅了されたのだろうか、第一回本屋大賞を受賞した。
 以上、アメーバブログからでした。
 

オイラーの美しい公式

 数学を語る時、決まってオイラー(1707-1783)が登場しますが、オイラーを語る時も決まって、テイラー(マクローリン)展開が登場します。この無限級数展開は、バーゼル問題(1735年)の時も大活躍しましたね。

 ”テイラー級数”の概念は、スコットランドの数学者ジェームズ•グレゴリー(1638〜1675)により定式化され、イギリスの数学者ブルック•テイラー(1685〜1731)により、1715年に導入された。
 というから、オイラーが数学に打ち込んだ時は、既にテイラー展開(無限級数)の定義はハッキリとしてたんですね。
 因みに、このグレゴリーという人はグレゴリ級数(arctan(tanの逆関数)のテイラー展開)で有名な数学者です。
 0を中心としたテイラー級数は、マクローリン級数とも呼ばれ、スコットランドの数学者コリン•マクローリン(1698〜1746)に因んでおり、彼は18世紀にテイラー級数のこの特別な場合を、積極的に活用しました。

 ”オイラーの公式”eⁱˣ=cosx+isinx”は、このテイラー展開を使えば、とても簡単です。
 まず、指数関数の級数展開は
eˣ=1+x/1+x²/2!+x³/3!+・・・で、
三角関数の級数展開は、cosx=1−x²/2!+x⁴/4!−x⁶/6!+・・・、sinx=x−x³/3!+x⁵/5!−x⁶/6!+・・・
と表現されます。
 そこで、eˣの式でx=ixと置き換えると、
e^(ix)=(1−x²/2!+x⁴/4!−・・・)+i*(x−x³/3!+x⁵/5!−・・・)=cosx+isinxとなり、あっさりと証明できました。

 この単純なオイラーの公式こそが、現代数学のキッカケを作ったとも言えます。
 というのも、指を折り曲げて数える自然数しか知らなかった古い時代から、この単純なオイラーの等式”e^(iπ)=−1”の中に負の数(−1)と、e(ネイビア数)とπ(円周率)の共に無理数と、それにiという虚数が登場したのです。
 農耕島国族の日本人が見たら、この数式は黒船どころかUFOみたいに思えた事でしょう。
 つまり、1748年というチョンマゲ結ってチャンバラごっこしてた時代に、ヨーロッパでは、無理数(πとe)や虚数iの世界に足を踏み入れ、近代数学の図面が既に出来上がってたんですね。
 しかし、個人差はあるだろうが、eやπやiという記号も驚くものでもなくなります。
 つまり理解をイメージできれば、数学はそんなに怖いものでもなんんですが、それでも農耕族の日本人は脊椎反射的に数学を怖がる所がある。

 勿論、オイラーの異次元の勇気にも頭が下がります。事実、オイラーの公式に登場する指数関数と三角関数は、グラフで見ると、形も性格も全く違うのですが、”複素数”の領域では繋がります。ここに”オイラーの公式”の真の偉大さと絶対の真実があります。
 つまりオイラーは、最初から複素数の世界を意識し、この指数関数と三角関数の繋がりを直感的にイメージしてたんですね。
 

最後に〜美しい数学を生み出すために

 数学といえど何度も言ってきましたが、直感的なイメージが大切なんです。
 故に、”永遠の真実”はイメージによって形作られるのでしょうか。
 でも大半の数学者は、そういった美的直感(センス)がないから、ややこしい計算に逃げちゃう。だから、論文もやたら汚い。単なる無機質な数と関数の羅列で終わる。

 数学が美しい学問で終わるのか?哀しい学問で終わるのか?
 それには、こうした直感がもたらす美学の差にあるのでは?と思ってしまう。

 数学の天才を生み出す土壌の1つとして、”美意識が育まれ易い土地で育つ”というのがある。
 これは数学が美意識に支配される事がよくあるからだ。一見無秩序で、無味乾燥に見える記号や数に隠された定理や公式に、美しさを覚える感性は勿論、その完全無欠な証明には、より簡素で無駄が一切ない単純なものであるほど美しいものとされる。当然、簡潔で美しい証明ほど、それを解読するチームにとってこれほど困難なものはないのだが。

 数学者が狂った様に、何度も数の世界を語るのは、数の魅力が厳然たる秩序に支えられた美しさにあるからなのだろうか?
 それとも数学は元々悪魔に支配され、証明する事が不可能だと信じられてるからだろうか?



2 コメント

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ヴィークル(数の言葉ヒフミヨ) (「初めて語られた科学と生命と言語の秘密」(カオス×編集工学))
2024-08-05 07:28:40
 本書と「i」西加奈子著に捧げる。

 ≪…「体とはなにか」…≫について、数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】から眺める昭和歌謡の本歌取りを見つける。

「愛のさざなみ」の本歌取り[ i のさざなみ ]

この世にヒフミヨが本当にいるなら
〇に抱かれて△は点になる
ああ〇に△がただ一つ
ひとしくひとしくくちずけしてね
くり返すくり返すさざ波のように

〇が△をきらいになったら
静かに静かに点になってほしい
ああ〇に△がただ一つ
別れを思うと曲線ができる
くり返すくり返すさざ波のように

どのように点が離れていても
点のふるさとは〇 一つなの
ああ〇に△がただ一つ
いつでもいつでもヒフミヨしてね 
くり返すくり返すさざ波のように
さざ波のように

[ヒフミヨ体上の離散関数の束は、[1](連接)である。]
            (複素多様体上の正則函数の層は、連接である。)

数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[岡潔の連接定理]の風景が、多くの歌手がカバーしている「愛のさざなみ」に隠されていてそっと岡潔数学体験館で、謳いタイ・・・


「戦争を知らない子供たち」の本歌取り「カオスを知らない子供たち」

カオスを知らずに
僕らは数えった
カオスがあるのに
僕らはコスモスした
おとなに(おとなに)
なって(なって)
カオスを知らされ
ヒフミヨの(ヒフミヨの)
歌を(歌を)
くちずさみながら
ヒフミヨの数え方を
覚えてほしい
カオスを知らない
子供たちさ
カオスを知らないと
許されないなら
分数が分からないと
許されないなら
今の(今の)
私に(私に)
残っているのは
涙を(涙を)
こらえて(こらえて)
歌うことだけさ
ヒフミヨの数え方を 
覚えてほしい
カオスを知らない
子供たちさ
コスモスが好きで
いち に さん が好きで
いつでもコスモスの
好きな人なら
誰でも(誰でも)
一緒に(一緒に)
ヒフミヨしよう
きれいな(きれいな)
まあるい(まあるい)
輝く(円を)
ヒフミヨの数え方を 
覚えてほしい
カオスを知らない
子供たちさ
カオスを知らない
子供たちさ
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ヴィークルさん (象が転んだ)
2024-08-05 23:19:05
昔の記事に
コメント有り難うございます。
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