オースターの作品は大半は読んでる様なつもりでいたが、この作品は最初だけ読んでやめた様な気がする。多分、”アメリカンファンタジー”という紹介フレーズに拘りすぎたのかも知れない。
ブログでも、「幻影の書」と「ムーンパレス」を紹介したが、オースターにしては異様に感じた。
彼の作品で毎回強く思うのは、文学作品としての重厚さよりも、物語の濃密さが圧倒してるという事。物語の幾何学と言ったら難しい表現だが、物語に幾重もの特殊な時空が混在する。
”空を飛ぶ少年”が空を飛べなくなった時、少年は悪ガキのまま死に絶えるのだろうか?それとも、”空を飛べなくなった”現実を受け止め、したたかに生きていく事を選択するのだろうか?
ヴァーティゴは何もかもを失い、独りぼっちになるが、人生を悲観する事なく、達観する事なく、過去と現在をありのままを見つめ、生きていく。
師匠が少年に与えたのは、人として生きていく濁りのない純粋な力であった。
一人の浮浪児が一人の男に助けられ、限りない努力を通じて幸福を知る。しかし、血の滲む様な努力の末に獲得した幸福は長くは続かず、あっさりとその幸福は逃げていく。
”死ぬまで生きた物語”と一言で言えばそれまでだが、受け入れたい様で受け入れたくない様なエンディング。軽くも読めるし、重くも読める。
タイトルからすると、おとぎ話の様なイメージだが、フィクションとノンフィクションを行ったり来たり、深刻なようで暖かく、重たいようで軽い。
ほんの少し幸せになりたいだけなのに、様々な不幸を背負う。気がついたら不思議な不幸の連続。笑えそうで笑えない奇妙な人生。
”凶悪なまでの幻想性”とまではいかないが、人生の混沌と人間の醜悪を帯びた軽快なファンタジーと言える作品でもある。
読んだ事はないのですが、アメリカンファンタジーというよりずっとシリアスな物語みたいですね。
オースターの作品は人生密度の濃いものが多いですが、これも結構考えさせる作品みたいですかね。
アメリカンファンタジーとして捉えるとまず裏切られますね。
でも孤独な人生物語としてみれば、しんみり来ますかね。
オースターは詩人としても有名でフランス化けしてるから、合理主義のアメリカではいまいち人気が薄いかもしれないのかな👋👋
でもそのナイーブな所が日本人に人気があるんですかね。