LHFトーク"GONDLA"

LHFの二人のだらだらトーク。

そうか、あれがおれか

2009年06月25日 | 過去の記事
『なあ』
『あん?』
『お前はなんでそんなに優しくないの?』
『優しさが内包する矛盾を無視できないからさ』
『矛盾?』
『誰かに優しくするってことは、誰かに優しくしないことだ。アフリカの募金箱にお金を入れたら、ケニアの募金箱にはお金を入れられない。入れられないほうは辛いよ。だからどっちにも入れない』
『ふーん、それじゃ嫌なやつだね』
『嫌なやつでいられるやつのほうがよっぽどいいやつさ』
『いいやつは嫌い?』
『嫌いだね』
『なんで?』
『いいやつは信用できないから嫌い』
『え?』
『いいか、誰かを誉めたりなんだりはいくらでも嘘つけるんだ。自分を良く見せようとしてな。でもな、悪口に嘘はないよ。誰だって自分から自分を落とすことはしないからね。だからおれは嫌なやつのほうがよっぽど信用できる』
『いいやつは信用できないか』
『そもそもいいやつに優しいって言うことなんて誰にでもできるんだよ。いいやつを嫌ってやるのはおれしかいないだろう?おれはいいやつを嫌ってやってるのさ』
『あんたそれで嫌われないのかい?』
『それでおれを嫌いになるような馬鹿と一緒にいる理由はないだろう』
『ふーん』
『こういうこと言ってもほとんどのやつは理解できないんだぜ。その差を“変人”とか“ひねくれ者”とかという言葉で埋めようとする。だがそいつらの理屈はどこかに書いてあったものだろう。本当に考えてモノを言うやつなんてほとんどいないな』
『なるほど』
『同じレベルで会話してみたいってつくづく思うよ』
『あんたも可哀想だね』

質問に答える

2009年06月23日 | 過去の記事
そういえば質問がたまってきたからそろそろ答えていこうかな。


Q スルツカヤさん
なぜ大工になろうと思ったのですか?

A なろうと思ってません。

Q ぺらこさん
左利きで困ったことはありますか?

A 左効きじゃありません。

Q サンタモニカさん
バトミントンはいつ始めたのですか?

A 始めてません。

Q 妻武器さん
以前ロッキングオンジャパンのインタビューで…

A 受けてません。

Q きゅうさん
どうすれば歯医者さんになれますか?

A なれません。

Q 345さん
なぜノルウェーに行こうと思ったんですか?

A 行ってません。

Q ゆゆしき事態さん
サッカーをやってるときメガネはどうしてましたか?

A やってません。

Q シーさん
権力を必要以上に恐れていますが、ハイチュウは何味が好きですか?

A 恐れていません。

Q ぽすとさん
ペットのゾウの名前は?

A 飼ってません。

Q ガンガンさん
いつまで手裏剣を持ち歩くつもりですか?

A 持ち歩いてません。

Q 木の葉の蓮華は二度咲くさん
もしも未来からネコ型の炊飯器が来たら…

A 来ません。

Q 木の葉の蓮華は二度咲くさん
いや、もしもだから…

A 来ません。

Q 木の葉の蓮華は二度咲くさん
いや、だから…

A 来ません。

Q スイスさん
自分でB型だなぁと思うのはいつですか?

A B型じゃありません。






まあ今日はこれくらいでいいかな。

これで少しでも僕のことを知っていただけたらうれしいです。

質問は随時受けつけますので気軽に質問してください。

それでは。

アジカン大好き

2009年06月21日 | 過去の記事
さっき気づいたこと。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONというバンドの『ワールドワールドワールド』を聴いていて。
4曲目の「ネオテニー」にこんな歌詞があります。

“届かぬ想いだけ束ねる水辺の幼生/殻の中で願い続けて”

そんでそういえば、最近発売された『未だ見ぬ明日に』というミニアルバムの6曲目の「未だ見ぬ明日に」という曲には

“マイマイに成り代わって/殻から這い出そう”

という歌詞がある。
つまり、「ネオテニー」では殻の中にいて、「未だ見ぬ明日に」では殻から這い出したと。

なーるほーどねー。

そもそも今回の『未だ見ぬ明日に』というミニアルバムには『ワールドワールドワールド』から意図的に外された曲が収録されているらしい。
でもその意味も分かる気がする。

『ワールドワールドワールド』は「0からのスタート」のところに歌ってる。
『未だ見ぬ明日に』は「1からのスタート」のところに歌ってる。

確かに「未だ見ぬ明日に」の、

“そうだ未だ見ぬ明日を/どんな悲しい最期が待ち受けてようとも/それを「希望」と呼ぼう”

っていう歌詞は完全にスタートした後のところに歌ってる。
これをまだスタートできてない人のところに歌っても、それは意味をなさないような気がする。

そんなこんなで『ワールドワールドワールド』が良い。
『未だ見ぬ明日に』も良い。
つーかアジカンが良い。

「何言ってるのかわからない」って、そう思ったなら『ワールドワールドワールド』を買えばいい。
10枚買えばいい。
聴く用、飾る用、保存用、フリスビー用×7。
それでも分からなかったら『未だ見ぬ明日に』も買えばいい。
つーかこの際アジカン全部買っとけって。
おまけに大塚愛も全部買っとけって。
あと誰かGReeeeNに、「つづり間違えてますよ…」って教えてやれって。

そんなこんなでちょっと出かけてくるからここで終わり。

アディダス!!

アジアのカンフー世代に生まれて

2009年06月20日 | 過去の記事
夜のコール




アジカンの今年のNANO-MUGENコンピに収録される「夜のコール」を聴いた。
凄まじい。
このバンドが好きで良かった。

すべての想いを言葉にするのは無理でしょう?
それでも僕らは言葉から逃げられないだろう
すべてが行き詰って そんな時代になった
音楽はすでにあって 僕たちは何を歌うの?


この歌詞を歌えるって凄いよな。
うん、やっぱ止まってらんねえ。
この時代に生まれたから、
この時代でおれも歌う。

アンタッチャブル山崎を語る番組を語る人たちを語る

2009年06月20日 | 過去の記事
アメトーークの『後輩の山崎に憧れてる芸人』が昨日やっていた。もちろんおれも観て、凄い面白かったのだが、同時に面白いことがネットの中で起こっていた。

最近、ブログを読むことがひとつの楽しみである。中でも、テレビや芸人の批評をしているブログを読むのが楽しくてしょうがない。最近(アメトーークのひな壇芸人以降かな?)、芸人の笑いのテクニック解説が一つの流行りのようになっている。確かに芸人本人の口からそれを聞くのも凄く面白い。しかし、おれが見ているブログの人たちは、芸人が芸人を語るのを“内側”とすると、芸人を“外側”から分析し、批評する。それが芸人の語るテクニック解説に勝るとも劣らないクオリティの分析力なのである。それを読むことで、半ば諦めかけていたテレビを観るという行為が少し楽しくなった。なるほど、こういう楽しみ方があったのか。

そこでいつものように何個か“お気に入り”に登録しているブログをチェックすると、面白いことが起きていた。そのほとんどが、アメトーークの『後輩の山崎に憧れてる芸人』の記事を書いていたのだ。確かにアメトーークという番組は現在バラエティ番組の中で、最も芸人が活きる番組の一つである。芸人がある意味で最も実力を発揮する、そして発揮しようとしているこの番組は、彼らにとって批評がしやすいのかもしれない。しかし、おれは彼らがここまで同時に同じ番組の批評をするのを見たことがない。言っても、好みや得意分野にはもちろんばらつきがある(だから面白いんだけど)。その中でこの『後輩の山崎に憧れる芸人』への批評率は異常だと思えた。

その批評の多さは『後輩の山崎に憧れる芸人』という企画自体にある、他のアメトーークの企画との相違点が影響しているだろう。その相違点は二つ。一つは先輩芸人が後輩の芸人に憧れているという点。もう一つは、その対象がアンタッチャブル山崎であるという点だ。

芸人の世界では、後輩が先輩に憧れることは多くあっても、その逆はほとんど考えられない。上下関係の厳しいこの世界で先輩は後輩にとって絶対の存在だからだ。そんな先輩が後輩に憧れる、そのおかしみがこの企画の軸になっている。そしてその対象がアンタッチャブルの山崎であることも少し驚くべきことなのだと思う。番組内で蛍原が言っていたが、山崎を「面白い」とは思っても、「凄い」と思っている人は少ないのではないか。そこを芸人たちが語ることがこの企画のもう一つのポイントである。

そんな奇抜な今回の企画をブロガーたちは見逃さない。それぞれが違った目線で山崎を語る芸人たちを語っていく。そんなブログを見て、やはりおれは彼らを凄いと思ってしまう。そしておれもそんな記事が書きたい。そう思って、今回の記事を書いた。

「ハート・ビート」GOING UNDER GROUND

2009年06月19日 | 過去の記事
GOING UNDER GROUNDの3rdアルバム「ハート・ビート」。amazonの“内容”の欄に書いてあった“CDジャーナル”の文によれば『松本素生の紡ぐメロディはしごく金太郎飴的という難点に目をつむれば、おそらく日本最強の水準にある』らしい。おれも同じくやはりこのバンドのメロディのセンスは飛びぬけてると思う。そして自分の声をよく知っていて、その活かし方もよく知っているように思う。特にこのアルバムに入っている「トワイライト」はこのバンドの代表曲と言える曲で、メロディから歌詞からすべてが完璧だと思わされてしまう。

それだけに、このアルバムは惜しいと言わざるを得ない。「トワイライト」は本当に素晴らしく、美しい曲だ。しかしそれを1曲目にするっていうのはどうなのだろうか。正直、このアルバムに「トワイライト」を超える曲は存在しない。いや、彼らのすべての楽曲の中でもこのクラスのクオリティの曲は数えるほどしかないのではないだろうか。それだけにこのアルバムは、1曲目の「トワイライト」が大きすぎて、他の曲の良さが隠れてしまっているように感じる。

音楽アルバムは洋食のフルコースに似ている。一つ一つの料理が順番に出されていくことで、ひとつの大きな“作品”を創造する。そういう意味では、1曲目から「トワイライト」は少々胃にキツすぎる。こう言った曲は徐々に慣れていく3曲目、或いは最後からひとつ前に置くのがいいような気がする。彼らの5枚目のアルバムの「h.o.p.s.」で言うところの「アゲハ」や「東京」のような。やはりそういった意味でこの「ハート・ビート」というアルバムにバランスの悪さを感じてしまうのだ。

曲単位での話をすれば、2曲目の「リバーズエッジ」や4曲目の「かいき」なんかもすごいいい曲で、心を打たれてしまう。しかしやはり「トワイライト」の影響なのか、どこか物足りなさを感じてしまうのだ。そして前半に少し良い曲が固まっていて、後半にダルみが見えてしまうことも残念だ。シングル曲「ハートビート」を前半に配置するなら、「トワイライト」と「かいき」なんかは後半に待ち構えさせても良かったのではないかと思う。

長々と文句ばかりを垂れ流してしまったが、おれはGOING UNDER GROUNDが大好きである。ベリテンライブで生で聴いた「トワイライト」には、鳥肌すら立った。それだけにこのアルバムの曲順に関して少し残念に思えた。これを書きながら「トワイライト」を聴いているのだが、どう考えても良い曲なのだ。うん、良い曲なのである。

ハチミツとクローバー

2009年06月18日 | 過去の記事
ハチミツとクローバーがけっこう好き。たぶんおれが持ってるがっつり少女漫画はNANAとこれくらいだと思う。まあどちらもコンビニで売ってる分厚いやつで買った。だから乗り遅れた感は否めないが、やはりこの漫画は好き。

思えばこの漫画がまだ名前が知れる前に、友人から薦められたことがあった。そのときはその友人から、おなじみのフレーズ『全員が片思い』という言葉と共に薦められ、「なんでい、恋愛漫画か」と思って読み、そしてあの少女漫画特有? の詩みたいなやつ(一話が終わるたびに挿まれるやつ)が気に入らないのもあって、数巻読んでやめてしまった。

そして名前が知られるようになり、ドラマが始まり、なんとなく知っておかなきゃいけないようなムードになって、恐る恐るもう一度読んでみた。するとこれが驚き。なにが「恋愛漫画」? なにが「少女漫画」?? これはただの恋愛漫画じゃない。5人の少年少女が“恋愛”という関係性の中で、“才能”というもう一つのキーワードと共に人間とは、自分とは、そして人生とはなんじゃ!? ということと向き合う青春の話じゃないか。

特に終盤が凄い。はぐみは不運な事故で右腕に大ケガを負ってしまう。そんな彼女は痛みすらない右腕の感覚を取り戻すために、他の傷の強烈な痛みに襲われながらも痛み止めを打たず、右手の痛みを追う。そんな彼女を目にして、竹本はその圧倒的な強さに驚愕すると同時に、自分と彼女との“距離”を痛感してしまう。そして同じく才けた森田は彼女の痛みを一番近い位置で感じ、そしてそんな彼は自分の恋の気持ちを彼女に伝える。

「生きててくれればいい 一緒にいてくれればいい おれはもう それだけでいい」

“才能”が見えないはずの竹本が彼女の“才能”を見てしまい、“才能”が見えているはずの森田が彼女の“才能”を無視する。

そして彼女は彼女でどちらの少年を選ぶことはなく。

人間は強い、そして弱い。そして人間は強くあるべきで、同時に弱くてもよくて。そんなことを5人の少年少女の“恋愛”と“才能”、そして“友情”とが交じり合った人間関係の中で描ききった、そんなこの作品がおれはけっこう好き。

ターンエー

2009年06月18日 | 過去の記事
大学に着いて掲示板を見る。

掲示板には時間割が張り出してあり、

そこを見て授業の教室を確認する。

教室は一階らしい。

教室に向かおうとする。

しかし、その前に少し掲示板に書かれた時間割が気になった。

時間割には授業名と教室と教授の名前が書いてある。

気になったのは教授の名前。

多喜。

多喜…?

あれ、

喜多じゃなかったっけ…?

おれはずっと喜多だと思ってた。

そして今まで出席カードに喜多って書いてたような…

あーあ…

多分おれがAとったら、

∀にされちゃうわ。