LHFトーク"GONDLA"

LHFの二人のだらだらトーク。

アジアのカンフー世代に生まれて

2009年06月20日 | 過去の記事
夜のコール




アジカンの今年のNANO-MUGENコンピに収録される「夜のコール」を聴いた。
凄まじい。
このバンドが好きで良かった。

すべての想いを言葉にするのは無理でしょう?
それでも僕らは言葉から逃げられないだろう
すべてが行き詰って そんな時代になった
音楽はすでにあって 僕たちは何を歌うの?


この歌詞を歌えるって凄いよな。
うん、やっぱ止まってらんねえ。
この時代に生まれたから、
この時代でおれも歌う。

アンタッチャブル山崎を語る番組を語る人たちを語る

2009年06月20日 | 過去の記事
アメトーークの『後輩の山崎に憧れてる芸人』が昨日やっていた。もちろんおれも観て、凄い面白かったのだが、同時に面白いことがネットの中で起こっていた。

最近、ブログを読むことがひとつの楽しみである。中でも、テレビや芸人の批評をしているブログを読むのが楽しくてしょうがない。最近(アメトーークのひな壇芸人以降かな?)、芸人の笑いのテクニック解説が一つの流行りのようになっている。確かに芸人本人の口からそれを聞くのも凄く面白い。しかし、おれが見ているブログの人たちは、芸人が芸人を語るのを“内側”とすると、芸人を“外側”から分析し、批評する。それが芸人の語るテクニック解説に勝るとも劣らないクオリティの分析力なのである。それを読むことで、半ば諦めかけていたテレビを観るという行為が少し楽しくなった。なるほど、こういう楽しみ方があったのか。

そこでいつものように何個か“お気に入り”に登録しているブログをチェックすると、面白いことが起きていた。そのほとんどが、アメトーークの『後輩の山崎に憧れてる芸人』の記事を書いていたのだ。確かにアメトーークという番組は現在バラエティ番組の中で、最も芸人が活きる番組の一つである。芸人がある意味で最も実力を発揮する、そして発揮しようとしているこの番組は、彼らにとって批評がしやすいのかもしれない。しかし、おれは彼らがここまで同時に同じ番組の批評をするのを見たことがない。言っても、好みや得意分野にはもちろんばらつきがある(だから面白いんだけど)。その中でこの『後輩の山崎に憧れる芸人』への批評率は異常だと思えた。

その批評の多さは『後輩の山崎に憧れる芸人』という企画自体にある、他のアメトーークの企画との相違点が影響しているだろう。その相違点は二つ。一つは先輩芸人が後輩の芸人に憧れているという点。もう一つは、その対象がアンタッチャブル山崎であるという点だ。

芸人の世界では、後輩が先輩に憧れることは多くあっても、その逆はほとんど考えられない。上下関係の厳しいこの世界で先輩は後輩にとって絶対の存在だからだ。そんな先輩が後輩に憧れる、そのおかしみがこの企画の軸になっている。そしてその対象がアンタッチャブルの山崎であることも少し驚くべきことなのだと思う。番組内で蛍原が言っていたが、山崎を「面白い」とは思っても、「凄い」と思っている人は少ないのではないか。そこを芸人たちが語ることがこの企画のもう一つのポイントである。

そんな奇抜な今回の企画をブロガーたちは見逃さない。それぞれが違った目線で山崎を語る芸人たちを語っていく。そんなブログを見て、やはりおれは彼らを凄いと思ってしまう。そしておれもそんな記事が書きたい。そう思って、今回の記事を書いた。