最近 お邪魔させていただいている emicoさんのブログに
三升漬 のことが出ていました。( http://ameblo.jp/emico1958/ )
三升漬は
こうじ 1升
南蛮 1升
醤油 1升
で 作るので 三升漬 というのだそうです。
そんな説明をしてくれたのは いまはもう天国に行ってしまった 夫の両親です。
ばあちゃんは 料理が上手で 季節季節のものを それはおいしく仕込んでは
お友達に配ったり 私たちにくれたりしていました。
この 三升漬はもちろん、ウドの酢味噌合え とか フキの煮物とか‥‥絶品でした。
ばあちゃんが死んで じいちゃんは一人暮らしになりました。
でも 同じ敷地に 私たちの家が建っていましたので
おかずを運んだりして 毎日 顔は合わせていました。
じいちゃんは 何を思ったのか 三升漬を作り始めました。
しかも そのとおりに こうじを1升 南蛮を1升 醤油を1升 使いました。
なので すごくでかい ガラスの容器に すごい量の三升漬です。
じいちゃんは そのすごい量の三升漬の容器をなでながら
「いっぱい作ったから なんぼでも食べていいよ」と ニコニコ 上機嫌です。
私は 「いったい、何百年分の三升漬かしらねー」と 笑うしかありませんでした。
ある日 突然じいちゃんは死にました。ヤンチャクチャボーズなじいちゃんでした。
そのあと 色々な後片付けが忙しい中
じいちゃんが作った三升漬の大きな容器が 戸棚の下に大事にしまってありました。
ほとんど減っていませんでした。
私も 一度も食べていませんでした。
私は思いました。
じいちゃんが 三升漬を作ったと ニコニコしていた夜に
その三升漬の大きな容器を 食卓テーブルに どーんと飾って
ご飯を たくさん炊いて
じいちゃんと息子たちと みーんなで
「じいちゃんの作った三升漬はおいしいねー」って 食べてあげればよかった‥‥
そうしたら じいちゃん うれしかっただろうなあ‥‥って
なんでも 大切な事は あとになって 気がつくのです。
ときどき スーパーの三升漬の小瓶を買ってきます。
どんなに 食欲がないときでも 三升漬ですと ごはんがのどを通ってくれます。
そうなんです
男の人ってお料理しないから
時に作ったりするとえらい量だったり、、
じいちゃんもきっとみんなの喜ぶ顔が
みたくて分量などおかまいなしに
作ったのでしょうね
きっとポテちゃまは ずっと
三升漬をみるたびにじいちゃんを
思い出して
きっとじいちゃんは天国で
喜んでいると思います
その三升漬は 今思えば 私が術後の抗がん剤治療で
全く食欲がなくなっていたときのことでした。
今、思えばですがね‥‥
しかし いくらなんでも 作りすぎでしょって感じでしたが‥‥
じいちゃんが どれだけ 私たち家族のことを思ってくれていたか‥‥
ふと この出来事を思い出して 泣いてしまいました。
まりもちゃま
私たちは そのときには 腹が立ったり なんか重かったり‥‥
でも 失って 時間が経って 自分も年を取って やっと気付く‥‥
そんな こんなの 秋の今日この頃でございます
お醤油代わりに色々と楽しんでます(^-^)
じいちゃんさんも、優しい思いで作って下さったんすね
きっと・・・その時のポテトさんの心の中も理解して下さっていたのでは・・・と思いますよ(#^.^#)
そうやって、亡くなった方を思い出すだけで、
きっと、ご本人達は、嬉しいと思います。
自分が、亡くなった時、泣いてくれるより、
思い出を語ってくれるほうが、幸せだと、思いますもの・・・。
じいちゃんの思い出を読んで
私もじいちゃんのことを思い出しました。
大切なことは後になって気付く・・
同じです。
その時には自分に気付ける余裕がなかったのかもしれないです。
時々思い出して手を合わせてます・・
ポテトさんのところも私のところも
じいちゃんは 今も空から見ていてくれると思います^^
美味しく出来てよかったですネ。
三升漬を そのままではなくて 色々なお料理の 隠し味として使えること
emicoさんの 記事で 初めて知りました。
なるほど ひとつ 勉強になりました。
emikoさん、アドレス紹介してしまいました。
かってに すみません。
emicoさんのブログは その エネルギッシュな毎日から
元気をいただけます。これからも 楽しみです。
泣いたそうです。
わたしもね、泣きながら ブログを書きました。
そうですね。
もうじいちゃんが死んで9年経つのに 季節季節に
じいちゃんやばあちゃんのことを思い出す‥‥
よく「心の中に生きています」と言いますがそんな感じなのかもしれません。
でも その割には 仏壇にお花を上げるとか お寺参りするとか
そういうことは 手抜きばかりなんですよ~~
あはははhhh (笑ってごまかす)
嫁に来て それはそれは 普通にいやなこともあったし
カチンと来る事もいわれたし
逆に じいちゃんばあちゃんも 「いたらぬ嫁じゃー」と ため息ついていたことでしょうし‥‥
ただ 月日が流れ なぜか幸せな記憶しか残っていかない‥‥不思議なものですね。
息子たちにとって その存在は絶対で 思い出話をする時に
つくづく家族とは こういうことで繋がっているのだなあとかんじます。
ずるいのですが じいちゃんばあちゃんは 切り札なのです!
「そんなことをしていたら じいちゃんとばあちゃんが悲しむだろうね」
‥‥このコトバでございます。 あはhh