ジニーの、今日も気まぐれな感じで・・・

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若竹七海 『スクランブル』 読了

2018年08月12日 22時59分42秒 | 読書
こんばんは、ジニーです。


お盆休みですね。
昨日からお休みではありましたが、ちょいと仕事があったので
完全な休みとしては今日からがスタート。
思いのほかのんびりと過ごすことができました。



そんな中、読みました面白い一冊。
若竹七海さんの『スクランブル』。
ちょっとネタバレを含みますので、お気を付けください。


とある女子高を舞台にしたミステリー。
表紙の卵を抱えた少女と、「スクランブル」というタイトル。
スクランブルエッグをイメージしますよね。
実際に、本作は短編になっていて、各タイトルも
「スクランブル」
「ボイルド」
「サニーサイド・アップ」
「ココット」
「フライド」
「オムレット」
と、卵料理の名前で構成されています。

物語は女子高で発生した一つの殺人事件を、同学校の文芸部に所属する
生徒がそれぞれの視点で考え、推理するという物語です。
先ほどの、卵料理を関した各タイトルに合わせて、
一人ずつ主人公が変わっていく手法です。

事件自体は一つですが、それぞれがどのように事件をとらえているか
キャラクターごとの性格や周囲の環境、コンプレックスなどを十分に
巻き込んでいきながら、日常に起こった非日常と対峙していきます。

さらに各物語は、事件のあった当時(1980年)と現在(1995年)との二つの時代の
主人公の目線で進行していきます。
大人になった主人公たちが、当時まだまだ子供だった自分と、事件に思いを馳せながら
当時起こった殺人事件の真相に迫っていくのです。


青臭い青春の香りを振りまきながら、10代の視点しか持ちえなかった現実と
15年の時間経過の中で、大人になった現在との対比は、白と黒のコントラストを
描くというよりも、白が少しくすんだような印象を持たせ、
時が経過しないとえあっれないものの代わりに、時の経過とともに失うものの
存在を感じさせます。
平たく言うと、「若さ」なのかもしれません。

事件は解決というのか、真相がわかるというのか、非常に微妙です。
これは是非読んでみてほしいのですが、物語は終わるのですが、決定的な解決と
いうわけではなく、「そういうことなのね」という感じで終わります。
でも、本作の場合はそういう終わり方のほうがとても自然だと感じました。


一つの事象は見る角度によって、その形は変化する。
普段の暮らしの中でも感じられるこの言葉。
それ自身が本作の一つのテーマのように僕は感じました。

殺人事件という一つの事象も、時間の経過とともに
修学旅行や文化祭、学校への反感、生徒間のいざこざ、家庭環境の不和という
日常の問題の中にドンドン埋もれていきます。
そういった風化のような現象にそれぞれの手段で抗い事件と向き合うことで
当時の少女たちはそれぞれなりの真相を見つけ出していきますし、
自分自身が感じる自分のことと、周囲が感じる自分のことは各章の中で
主人公が変わることで、様々な角度をもって語られます。

そして15年の時を経て、その事件はまた別の様相を見せていくのです。


思春期の少女のような目まぐるしくも純粋な情熱を感じることができた作品です。

読み終わってみて、「スクランブル」とはその言葉のもつ「かき混ぜる」という
意味に由来するものなのかなと感じましたし、スクランブルエッグとのイメージの連動から
一つの玉愚にも多種多様な調理方法があることをタイトルにすることで
卵を一つのサンプルにした、多面性や多様性を引喩しているように、感じました。


緊急スクランブルと息巻いていた当時を想い、15年後の自分はただかき混ぜていただけのことと
感じる憂いは、さらに時を重ねることでまた別の形を生み出していくように感じました。
動揺のことをあとがきでも書かれているのですが、ここからの後日談があるなら
是非読んでみたいと感じる作品でした。




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