整心療法研究所(埼玉県上尾市・大阪市・和歌山市)のブログへようこそ。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《電車の中のどこから景色をみるか》について書きます。
プライベートで電車に乗る時、どこに乗るかを考えてみた。
大雑把ではあるが、最前列の車両の一番前、最後尾の車両の一番後ろ、それ以外に分けてみる。すると必然的に見える景色が限定されてくる。
かなり乱暴かもしれないが、最前列から見る景色は迫り来る景色、最後尾は過ぎ去った景色、それ以外は過ぎ行く景色と置き換えられる。
こうすると、未来、現在、過去と結びつけてみたくなった。
それぞれ同じ景色の中を走る電車に乗っているが、当然目に入る景色が違って見える。
今度は視点を外に置いてみる。
例えば、電車の外の景色の中にいる人からはどのように見えるだろう。
電車の中にいる人とは違う見え方であることは言うまでもない。
何処から何をどのようにみるかはそれぞれ。
中にはまったく景色を見ない場合もある。
思考は際限なく広がっていく。
従来型の精神分析(無意識を意識化する)を凌駕し、新しい観点から人間の精神にアプローチする方法を研究・実践中です。
今日は《電車の中のどこから景色をみるか》について書きます。
プライベートで電車に乗る時、どこに乗るかを考えてみた。
大雑把ではあるが、最前列の車両の一番前、最後尾の車両の一番後ろ、それ以外に分けてみる。すると必然的に見える景色が限定されてくる。
かなり乱暴かもしれないが、最前列から見る景色は迫り来る景色、最後尾は過ぎ去った景色、それ以外は過ぎ行く景色と置き換えられる。
こうすると、未来、現在、過去と結びつけてみたくなった。
それぞれ同じ景色の中を走る電車に乗っているが、当然目に入る景色が違って見える。
今度は視点を外に置いてみる。
例えば、電車の外の景色の中にいる人からはどのように見えるだろう。
電車の中にいる人とは違う見え方であることは言うまでもない。
何処から何をどのようにみるかはそれぞれ。
中にはまったく景色を見ない場合もある。
思考は際限なく広がっていく。