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聖なる犬猫としての大衆の原像 吉本隆明批判

2019年09月16日 | 革命のディスクール・断章
◆安倍長期政権と「糸井的言説」

 一人の吉本隆明エピゴーネンの死を知った。面識はなかったが、名前だけは知っていた。故人の書いたもの、生前のエピソードなどに触れるにつけ、吉本エピゴーネンは、どうしてこう、ろくでもない人間しかいないのか、嘆息した。まあ、私もその一人なのだが。

 このブログの数少ない読者の方は、私が吉本隆明に辛辣になってきたことに、気づいておられるかと思う。かつては「さん付け」で敬愛し、反原発で立場が分かれたときも、おちょくりながらも擁護もし、亡くなったときは、追悼文も書いたというのに、最近は呼び捨て、かつ批判的な形で言及することが増えた

 死んだ人の書いたものには、よく吉本が引用されていたようだ。私のほうは、かつてあれだけ傾倒した吉本について、いまは肯定的に語る気持ちには全くなれない。

 理由ははっきりしている。

 大阪維新の「民営化」の実態を見るにつけ、このあさましい利権集団の登場を許した思想的責任の一端が、吉本にもあると考えるようになってきたからだ。

 「吉本流家元」ともいうべき、糸井重里の言動や存在も、年々、許せないものになりつつある。

 糸井重里は、3・11を奇貨として、SNSを通じた影響力を高めていった。そして今や、安倍第二次政権誕の長期化を支えた、最大の功労者の一人だというべきだろう。

 〈ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます〉(糸井重里・2011年4月25日)

 このツイートは、安倍政権下の「世論」の傾向をよく表している。政権にとって、「スキャンダラスでない」「脅かしていない」「正義を語らない」「失礼でない」言説しか、存在が許されなくなった。この政権のプロパガンダ役を務めるのは、「ユーモアのある」(あった、と過去形で語るべきか)お笑い芸人たちである。

 もちろん、糸井自身は、「時の人」の隣をいつのまにかちゃっかりキープする、「となりのイトイ」であるのにすぎない。糸井は、吉本の死後、講演録をデジタルアーカイブ化して無料で公開したが(これ自身は、評価できる事業である)、吉本の「レガシー」と「権威」がなければ、ここまでの影響力を発揮することはなかっただろう。


◆「正義を語らない犬ネコ」としての「大衆の原像」

 『試行』の『情況への発言』を読んでいると、スカッとしたものだ。清水丈夫の悪口などが書いてあると、「いいぞ。もっといってやれ」と、「下部」の私は思ったものだ。吉本という人物は、「ポンコツ左翼」の悪口をいうのが大好きな、「元祖共産趣味者」のような人だったのかもしれない。

 「共産趣味者」なら、「傍観者」でいい。吉本があのまま、『試行』で遠吠えしているだけの「傍観者」でいてくれたなら、どんなに良かっただろう。

 『試行』が終刊した1997年に、糸井はインターネットに商機をみて、『ほぼ日刊イトイ新聞』を立ち上げる。後期吉本の著作はインタビュー本がメインになる。糸井が聞き手になった2001年の『悪人正機』は、後期吉本の代表作の一つといえよう。「吉本語録」は『ほぼ日』の看板コンテンツになっていく。「思想界の巨人」の素顔は、専門以外は無知で、ときに非常識であり、しかし親切で義理堅く、頼まれたら断れない、気さくなおじいちゃんだった。「となりのイトイ」が、この100%天然で希少種の面白キャラクターを利用しない手はない。しかし、吉本とイトイ、これはもう最悪の組み合わせというほかなかった。

 糸井には、「犬やネコは、正義を語らないから大好きだ」という発言があった。これは、「大衆の原像」の糸井的表現だというべきだろう。後期吉本の「大衆の原像」は、リアリティやアクチュアリティを失い、もはや愛猫のフランシス子のような、聖なる愛玩動物のごときものになっていたのだから。糸井のことばは、この後期吉本の「大衆の原像」の本質を的確に言い表している。大衆はただかわいくあればよく、もふもふされているだけでいいのだ。

 嵐山光三郎は、松尾芭蕉が「幕府の隠密」どころか、「本物の悪党」だったことを暴露した。芭蕉の俳句に、蛙、蝉、鳥、魚、猫、鼠などの小動物が頻繁に登場するのは、「生類憐れみの令」のプロパガンダソングでもあったという嵐山の分析は卓見である。糸井重里も、この芭蕉に負けず劣らずの「御用コピーライター」だといえるだろう。地獄への道は、「もふもふ」で舗装されているのだ。


◆吉本「民営化」論と「賃労働の廃止」なき「社会主義」論

 吉本は、「国家と資本が対立したら資本家、資本と労働者が対立したら労働者、労働者と消費者が対立したら消費者を支持せよ」という趣旨のことを述べていた。これが、国鉄分割民営化や郵政民営化を支持した、吉本なりの理由である。

 しかし吉本は、「消費者」が同時に「労働者」でもあることを忘れている。「顧客満足向上」というかけ声のもとで、コンビニや飲食業で24時間営業が当たり前になり、低賃金の非正規労働が大量に生み出され、ブラック企業が横行した。職もなく、あっても正社員になれなかった氷河期世代に、吉本の「ひきこもれ!」という能天気なことばは、どう響いただろう。

 1980年代だったが、「中核派は新左翼のくせに、国鉄分割民営化に反対するなんておかしい」と罵倒していた。共産主義者が、国家の死滅を目指さないでどうするのか、というわけだ。

 国労の決起を引き出すことができず、動労千葉を孤立させ、最後はゲリラやテロに訴えるしかなかった中核派の国鉄闘争の敗北と誤りは、もちろん批判に価する。当時、同派の隊列に属した私は、労働組合運動家として、一生をかけてこの「負債」を返済していくつもりだ。

 しかし、吉本は、その数年前、「ポーランドへの寄与」で書いた自らの社会主義論を、もう忘れてしまったとしか思えなかった。吉本は、スターリン主義とたたかう労働者には同情的だったが、帝国主義とたたかう労働者には冷淡で、心ない悪罵を投げつけた。さすが、黒田寛一の「神格化」に貢献した「元祖共産趣味者」だけはある。

 吉本は「社会主義」を成立させる条件について、「賃労働が存在しないこと」「民衆の合意で直接に動員できない軍隊と警察を持たないこと」「国家が存在する限りはいつでも民衆がリコールできること」「誰かが私有化したら民衆が不利益になる生産手段があれば、社会的に所有すること」という四つの条件をあげていた。

 鉄道こそは、「私有化したら民衆が不利益になる」生産手段ではないのか。だから動労千葉1100名は、首をかけ人生をかけて立ち上がったのだ。

 JRもゆうちょ銀行も、今や企業体なのだから、「利益」を追及するのは、当然のことである。国鉄分割民営化以後、「赤字」ローカル線は次々と廃止され、「不採算」郵便局の統廃合が進んだ。地方でさらに過疎を進める元凶になっている。国鉄分割民営化も郵政民営化も、地方の住民大衆、都市部の経済的弱者に、不利益をもたらしただけではないか。吉本のいう「一般大衆」とやらは、都市部にしか存在しないのか。東京にだって、奥多摩や島嶼部があるのだ。

 吉本の迷走は、「超資本主義」とか「ハイ・イメージ論」とか言い出した1980年代半ばには、もう始まっていたのかもしれない。1995年、社会党に招かれて行なった講演では、「社会主義」を成立させる四つの条件のうち、「賃労働が存在しないこと」が省略され、「三つの条件」になっている。この講演は糸井のサイトで読める。これは、資本主義が「経済的には個人消費なしに企業体は成り立たない」(『思想の原像』1997年)高度に情報化された「超資本主義」に突入した現在では、「生産」は副次的で、「消費」を根幹に考えなければならないという、吉本の「思考転換」が理由だろう。


 人間を「労働力商品」に変えてしまう「賃労働」の存続を認める「社会主義」なんて、「社会主義」でも何でもない。そして、そんな吉本は、資本にも権力にも、もう怖くも何ともない。「となりのイトイ」も安心して接近できたわけだ。

 吉本の「民営化=善」論が、吉本の大好きな「一般大衆」にもたらした災厄は大きい。「民営化」は、外資のハゲタカや、大阪維新や安倍お友達政権のような利権集団に、社会的共有財の強奪を許し、彼らの私腹を肥やし、「一般大衆」の窮乏化に加担したのだ。


◆『〈反核〉異論』と「中曽根戦後思想総決算」

 吉本に恩義のある第一次ブントから移行してきた指導部がどう考えていたのかは知らないが、1980年代、私の周囲では、『〈反核〉異論』をもって、吉本は「バリケードの向こう側」に行った過去の思想家と見なされていたように思う。

 私は、吉本はあくまでも一詩人であり、最初から「向こう側」の人だと考えていた。しかし、スターリン主義を乗り越える社会主義の可能性を模索した本書は、そんなに悪いものだとは思わなかった。

 しかし、本書には、反原発運動の優れた理論的指導者だった故・高木仁三郎氏への言及が一切ない(『はだしのゲン』の故・中沢啓治氏の名前も)。おそらく高木氏の名前も知らなかったのだろう。「いや、まさか」と思い確信はなかったが、吉本の死後、長女のハルノ宵子さんと糸井の対談で、おからが豆腐を作るとき豆乳を搾った残りかすであることを知らず、お米からできると信じていたという、「科学」をあれだけ強調した「技術者」とは思えないエピソードを知って、むべなるかなと思った。

 1983年の三里塚闘争の分裂では、高木氏は熱田派を支持し、1984年の中核派の第四インター襲撃に対する抗議声明に賛同した。この卑劣なテロや、テロに抗議した人たちに中核派が行なった醜いナーバス攻撃を知っていたら、私は中核派に結集することはなかっただろう。ある日、高木氏の著作を読んでいると、「そんな『脱落派』〈三里塚熱田派のこと)の本は読むな」と幹部に注意されたものだ。私は、『前進』のチェルノブイリ「論文」が、『朝日ジャーナル』に掲載された高木氏の記事の完全な盗用であることを指摘し、「泥棒に指図される覚えはねえ」とやり返した。幹部は「おまえなんか、SY(解放派)なら、とっくに殺されているぞ」といつもの捨て台詞を残して去って行った。

 故・加藤典洋氏は、こう語っておられる。

 「原発については、僕は吉本隆明さんの考えに説得されてきた人間です。科学を進めて起こってくる問題には、さらに科学を進めることで克服していくしかないという考え方です。……その意味で情緒的な反科学は反動ですから、情緒的な反原発には反対、という立場を持してきました。いろんな反原発の言説がある。そこの違いには耳を傾けなかった。……何もしなかった。何ということをしてしまったか、させてしまったか。強い自責の念に襲われました」(『思想としての 3. 11』)

 結局、吉本は、加藤氏のような知識人や、私のようなボンクラに、「科学」に対する迷信を広め、結果として、「原子力安全神話」を「左」から支える結果になっただけだった。高木氏のような優れた人がいたのに、「反原発」が「情緒的な反科学」であるかのようなデマと偏見をばらまいた罪も大きい。

 戦後総決算路線は、中曽根がうそぶいたとおり、「左にもウィングを伸ばす」ことに成功したのだ。戦後政治総決算は、実体的には動労革マルの体制内化と総評運動の解体、思想的にはかつて「新左翼の教祖」「全共闘のイデオローグ」だった吉本の「転向」によって、完成したのだ。「盗人にも三分の理あり」なら、吉本には三千万以上の理がある。しかし『〈反核〉異論』は、東日本の三千万人以上の住民を放射能汚染の危険にさらしたのである。

◆吉本隆明を未来に向かって葬送する

 それでも私は、吉本のすべてを否定しようとは思わない。ウォルト・ディズニーは、最悪の反共主義者・人種差別主義者・性差別主義者だったが、その作品は、私のような共産主義者のアジア人や、その家族や恋人や友人の女性たちにも愛されてきたし、愛されていくだろう。吉本の「罪」は「罪」として、吉本の詩集や基本三部作は、これからも読まれ続けていくにちがいないし、読まれてほしいと願う。

 「大衆の原像=非知を包括する」という思想や運動のスタイルは、私のベースになってきた。この考えそのものが、無効になったとは思わない。しかし、それが今や、人間が人間らしく生きたり考えたり、発言したり行動したりする権利や自由を奪い、「犬ネコ」のごときものに変える反動的なイデオロギー装置になっているのならば、これを批判し、否定し、解体していくことが、「一般大衆」を愛した吉本への「恩返し」であろう。

 吉本は、「古典」とよばれる作品の条件を、「一度死んだ作品であること」と定義していた。たしかに死ななければ、よみがえることもできまい。

 吉本思想に復活のチャンスがあるとすれば、「一般大衆」が楽しく暮らし、豊かに暮らす未来社会にしかない。この未来に到達するためには、改憲阻止闘争や消費税廃絶闘争や辺野古基地阻止闘争や安倍政権打倒等々を闘い抜き、勝利し抜いていかねばならない。吉本もエピゴーネン氏も、私たちの仕事が片付くまで、そこでゆっくりと死んでいてくれたらよい。

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