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白浜残酷物語 村上春樹における〈差別〉の構造

2019年09月15日 | 作家論・文学論
オバマの2019夏の読書リストに、村上春樹の短編集『女のいない男たち』があった。この本には、雑誌掲載時に「炎上」した、『ドライブ・マイ・カー』が収録されている。「炎上」の原因になったのは、次の一文である。

 「(みさきは)小さく短く息をつき、火のついた煙草をそのまま窓の外に弾いて捨てた。たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」

 本作の雑誌掲載時のこの記述について、中頓別町(なかとんべつちょう)で「たばこのポイ捨て」が「普通のこと」と表現したのは事実に反するとして、町議らが文藝春秋社に質問状を送付した一件を、覚えておられる人もいるだろう。

 春樹側は、この抗議を受け、単行本収録時に別の名前に変更することを表明して、短編集『女のいない男たち』では、「中頓別町」は架空の「十二滝町」に変更されている。

 本書収録の『イエスタディ』にも、著作権代理人から「示唆的要望」があり、修正を加えたという。本書の「まえがき」で、春樹はこう書く。

 「どちらも小説の本質とはそれほど関係ない箇所なので、テクニカルな処理によって問題がまずは円満に解消してよかったと思っている。ご了承いただきたい」

 たしかに、地域差別は春樹の意図したものではなかったろう。春樹少年が、部落出身のクラスメートを傷つけるつもりが一切なかったように。差別とは、常に、被差別当該の「本質」とは一切関係なく、相手の出身や身分や職業などにレッテルを貼りつける「テクニカルな処理」により、制度化されてきたものだ。


 〈中頓別町の町議らが不快感を感じたのもまた、中頓別町に対する一種のオリエンタリズムとでもいうべき「南洋幻想ならぬ北国幻想」「幻想と差別と思い込みが一体化した視線」なのではないか。そして、「中頓別は思いつきで選ばれた代替可能なアクセサリー程度の地名だった」のではないか〉

 この指摘を読んで、思い出したエッセイがある。『村上朝日堂』で、安西水丸の故郷である千倉町を訪ねときのエッセイだ。

 「白浜の海岸で一度鮫(さめ)を釣りあげた人を見た。一メートルちょっとのちゃんとした鮫である。僕は見ていて驚いたけれど、釣った人の方なそれほどでもなくて、サメを釣り上げた釣り人が、サメを解体して、ルンルンという感じで頭を切り落とし、ずるずる内臓をひきずりだして身をおろし、クーラーケースか何かに放り込んでいた。
 太平洋というのはすごい。もうヤコペッティの世界だ」

 私は「ヤコペッティ」を、「ヘミングウェイ」と誤って記憶していた。この記事を書くために、5月に処分したばかりの本をまた取り寄せ、本文に当たってみてよかった。名前を知らなかったから、覚えられなかったようだが、『世界残酷物語』を撮った監督さんなんだね。

 私の父も、安西と同じ南房総出身だが、これくらいで驚いてもらっては困る。父が子どもの頃は、浜にクジラやイルカが迷い込むと、バットと包丁を持ってみんなで出かけ、その日はバケツで肉の配給があったそうだ。

 『ドライブ・マイ・カー』のみさきを、「未知なる国から来た野性の娘」として描いた視点は、白浜の釣り人を『世界残酷物語』にたとえる視点と同じだ。「中頓別町」も「白浜」も、春樹にとっては、平安貴族の和歌の「歌枕」のような「飾り」「アクセサリー」にすぎないのだろう。

 東京にいた頃、外国人の日本文学研究者が、「ハルキ・ムラカミには、ザ・テイル・オブ・ゲンジに通じるモノノアワレがあります」と書いているのを読んで、「そうかなあ」と思ったけれど、今では「そうかもな」と思うようになった。ただし、悪い意味で。

 『源氏物語』の須磨帖で、光源氏が空にたなびく煙を見て、「これや、海士(あま)の塩焼くならむ』と、和歌を想い出してジーンとする場面がある。この煙が、塩を焼く煙でなく、山に住む賤しい民が、柴を焚いていたにすぎないと知ると、光源氏は「これでは歌にならない」とがっかりする。

 光源氏は、リアルの「海士」も「塩焼き」とも関係なく、ただ和歌の歌枕のイメージを、「飾り」や「アクセサリー」として、弄んでいるにすぎない。これは春樹作品に登場する女性が、涙も精液も搾り取ってくれる「泣きゲー」のヒロインのように男にとって都合がよい人ばかりで、その割には、彼女たちを悲劇に追いやるテロリズムやカルトやジェノサイドの描き方が、エンターテイメント作品に比べても平板で紋切型であるのと、通底する問題を感じる。

 この世界のどこにも存在することの許されない差別は「人の心の中」に、デマやフェイクやフィクションの形をとって生き続けようとする。文学が差別の延命に荷担するようなことだけは、あってはならない。




 

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