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新・私に続きを記させて(くろまっくのブログ)

ハイキングに里山再生、れんちゃん姉妹とお父さんの日々。

マリアの首

2012年08月09日 | 革命のディスクール・断章
 天に召されるどころか、プルートーの業火に焼き尽くされた被爆のマリア。

 1945年8月9日、広島に続き長崎に原爆投下。

 「長崎原爆で破壊され、焦げた頭部だけとなった「被爆マリア像」を安置する小聖堂が、爆心地に近い浦上天主堂(長崎市本尾町)で完成した。被爆60年となる9日午前、恒久平和を願って像を聖堂内の祭壇に納める式を営み、一般公開する。
 平野勇主任司祭(68)は「亡くなった人々の永遠の安息と、世界平和を祈る場所にしたい」と話している。
 原爆の爆風と熱線で天主堂は倒壊。がれきの中から、祭壇最上部にあった木彫りの聖母像の頭部だけが奇跡的に見つかった。顔の右側が黒く焦げ、悲しげな表情が原爆の残酷さを物語っている。世界遺産への登録を目指す動きもある。」(共同通信 - 2005年8月8日)

 日本時間午前2時49分、直径1.52メートル、長さ3.25メートル、重さ4.5トン。広島に投下されたものより一回り大きいプルトニウム爆弾「ファットマン」を積んだB29「ボックスカー」がテニアン基地を出発した。

 第一の攻撃目標は小倉だった。しかし小倉市街は雲に覆われ目標が確認できず、第二目標の長崎に向かった。眼下には依然として雲があったが、燃料の関係上、レーダによる爆撃体勢に入る。雲の切れ間が見えた瞬間、11時1分、原爆が投下された。

 長崎では7万3884人が死亡、7万4909人が重軽傷を負った。今でも被爆症に苦しむ人たちが多くいる。

 「アメリカは今や何人にもなしえなかった強力な爆薬を発明するにいたった。諸君はただちに武力抵抗を中止すべく措置を講じなければならない。しからざれば、われらは断固、この爆弾ならびにその他のあらゆる優秀なる武器を使用し、戦争を迅速かつ強力に終結せしめるであろう。即刻都市より退避せよ」

 長崎市民への警告ビラが、米軍機からまかれたのは、10日、すでに廃墟と化した長崎であった。
 8月8日のソ連の対日宣戦を日本側がラジオで知ったのもこの日、9日だった。ソ連軍はすでに満州や樺太で日本軍を撃破して、急速に南下した。

 二つの原爆投下、そしてソ連参戦は陸軍を中心とする徹底抗戦派を動揺させた。8月9日から10日の午前2時に及ぶ、いわゆる御前会議(天皇・重臣・閣僚・大本営幹部が出席)で「天皇の国家統治の大権を変更するという要求は含まれていないものと了解する」という条件付で、ポツダム宣言受諾が原則的に承認された。この決定は、8月10日、中立国であるスイスおよびスウェーデンに駐在する日本の外交官を通じて連合国に通達される。(2005.8.9記 冒頭のマリア像のその後の情報について、追記予定あり)

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