聖書と翻訳 ア・レ・コレト

聖書の誤訳について書きます。 ヘブライ語 ヘブル語 ギリシャ語 コイネー・ギリシャ語 翻訳 通訳 誤訳

(000)イザヤ書8章-9

2018年05月04日 | イザヤ書


この記事は、イザヤ書8章9,10節について新改訳と英語訳との比較をしています。新改訳訳文に対する批判も含まれているため、不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。その旨ご承知の上お読みください。


~イザヤ書8章9、10節 新改訳~

8章9、10節 新改訳

9)国々の民よ。打ち破られて、わななけ。遠く離れたすべての国々よ。耳を傾けよ。腰に帯をして、わななけ。腰に帯をして、わななけ。 10)はかりごとを立てよ。しかし、それは破られる。申し出をせよ。しかし、それは成らない。神が、私たちとともにおられるからだ。

ここもまた、読んでも意味が分かりません。『腰に帯をして、わななけ』とはどういう意味なのか、また『申し出をせよ』とは、誰が誰に何を申し出をするという意味なのか不明です。原典はこのように、訳のわからないことを言っているのでしょうか?そうではないようです。新改訳の翻訳者は『直訳だから訳文が読みにくくなる』と言っていますがどうなのでしょう?King James Versionは直訳で訳されたものだと、日本で言われていますが、KJVも意味が分からないような訳文になっているのでしょうか?

9 Associate yourselves, O ye people, and ye shall be broken in pieces ; and give ear , all ye of far countries: gird yourselves, and ye shall be broken in pieces ; gird yourselves, and ye shall be broken in pieces . 10 Take counsel together , and it shall come to nought ; speak the word, and it shall not stand : for God is with us.
King James Version

私訳 
9)  遠くの国々よ、連合するがよい。しかし、散り散りにされる。よく、覚えておけ。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。10) 謀議をはかれ。しかし、実現しない。その、ひとことたりとも、実現しない。神、我らと共にいるからだ。

私訳の通り、King James Versionは、きちんと意味が通る英文になっています。新改訳の訳文が読みにくいのは、翻訳スタイルが直訳だからという問題ではなく、訳文が日本語として未熟だからだということが分かると思います。

新改訳では『国々の民よ。打ち破られて、わななけ。遠く離れたすべての国々よ。耳を傾けよ』とありますが、『国々の民』と『遠く離れたすべての国々』が、同じ国のことをいってるのか、違う国のことをいってるのか分からないですよね。英訳の中では『ye people』と『far countries』は同じ国のことを意味しているようです。意味は同じですが、忌避の規則によってことばを言い換えていると解釈しているようです。ヘブライ語にも、英語と同じ忌避の規則があるようです。詳しくは『ヘブライ語 masows ことばの解釈』で記述しました。興味のある方はお読みください。

いずれにしろ『国々の民』と『遠く離れたすべての国々』が同じ意味であるなら、それが分かるような訳文にしなくてはなりません。違う意味だと解釈するのであるなら、それぞれがどういう解釈になるのか訳文の中で示さなくてはなりません。こうした忌避の規則を念頭に置き、翻訳をしているという形跡が新改訳に見られないのです。ヘブライ語の単語を日本語の単語に直訳するから、意味不明な訳文になるのです。

また『打ち破られて、わななけ』と訳された箇所は『raw-ah』というヘブライ語です。『raw-ah』を『打ち破られて、わななけ』と訳出することは、ふさわしいのでしょうか?


~9節冒頭の解釈~

raw-ahというヘブライ語の英訳が、いくつかに分かれています。次に、大きく3つの解釈に分類しました。

『Associate yourselves 連合せよ』に類する解釈

King James Version
Holman Christian Standard Bible
International Standard Version
American King James Version
Douay-Rheims Bible
Young's Literal Translation


『Make an uproar 悲鳴をあげる、騒ぎを起こす』に類する解釈

American Standard Version
Complete Jewish Bible
Hebrew Names Version


『Be broken 破壊される』に類する解釈

English Standard Version
GOD'S WORD Translation
Lexham English Bible
New American Standard
New Century Version


~ David Rubinさんの解釈~

David Rubinという80歳ユダヤ人の方が、ヘブライ語の聖書を、個人で英語に全訳したTanach The Hebrew Bibleという貴重なサイトがあり、そこから、イザヤ書の英訳文を引用させていただきます。9節冒頭の部分だけを引用したいのですが、ついでに9,10節を訳してみます。

9節 私訳
遠くの国々よ、悪事を企てろ。しかし、台なしになる。
さあ、覚えておくがよい。
武装を固めろ。しかし、惨敗する。
武装を固めろ。しかし、惨敗する。

10節 私訳
謀議をはかれ。しかし、実現しない。
ひとことたりとも、実現しない。
神、我らと共にいるからだ。

Isai. 8:9
Do evil, O peoples, and be crushed.
And give ear, all distant of the land.
Gird yourself, yet be crushed.
Gird yourself, yet be crushed.

Isai. 8:10
Counsel together,
but it will come to nothing.
Speak a word but it will not endure.
For God is with us.
http://www.rubinspace.org/html/isaiah_8.html

 raw-ah

ヘブライ語のraw-ahをヘブ-英辞書で見ると、幅広い意味を持つことが分かりますが、1) to be bad, be evil(悪さをする、悪事を行う)という意味が第一番目に定義されています。9節文頭が『(お前たち)悪事を企てよ』で、10節文頭が『(お前たち)謀議をはかれ』だということは、類似の意味を持つ言葉が繰り返す形になっています。これは、ヘブライ語によくある並行法といわれる表現形式です。

David Rubinさんのように『Do evil』と英訳する聖書はないようですが、Living Bibleが同じような解釈をしており『Do your worst 悪事をはたらけ』と訳されていました。『Do evil』『Do your worst』ともに、北イスラエルと、シリヤが連合を企てていることを、あざけった表現です。

余談ですが、日本ではリビングバイブルの翻訳に対する評価が低いのですが、ヘブライ語-英語のリビングバイブル訳についてみると、興味深い翻訳テクニックを至るところで使っており、翻訳をされる方にとっては良いお手本になると思います。言語や翻訳に関して高いスキルがあるからこそ、リビングバイブルとしてまとめ上げることができたんだろうなと感じます。リビングバイブルが、個人訳であり、通勤電車の中で訳されたとか、子ども向けに訳されたという背景から、誤った先入観を持たれていると感じます。

日本語であっても、おとなの話を、子どもに分かるように話すのは難しいことです。それを異なる言語同士の間に翻訳者として介入し、子どもに分かるように訳出するという作業は、簡単なものではないのです。日本で翻訳としてのリビングバイブルを高く評価する人は少ないようですが、私自身は翻訳としては高く評価しています。『ここの解釈は受け入れられないな』といった箇所はありますが、こうした問題はどの翻訳でもあることで、リビングバイブルが他の訳よりも劣っているからではありません。こどもたちが聖書に親しむことの必要性を感じ、聖書全文を翻訳した心ある翻訳者がいたということが素晴らしいと思います。『正しい』翻訳とは何なのでしょうか?翻訳理論が正しければ、自ずと正しい訳文ができるのでしょうか?翻訳は、それほど単純なものではありません。何とかして、聖書のことばを子どもたちの心に届けたいという熱い思いを持ち、通勤電車の時間までをも翻訳に捧げたことこそ、神さまの目に『正しい』と映ると信じます。

組織で訳されたものが学術的に正しく、個人で訳されたものだから信頼をおけないというのは、根拠のない先入観です。9節のraw-ahを『Do your worst』と訳出したのはリビングバイブルだけのようです。私は、見事だと思います。翻訳の良し悪しは、実際の訳文を具体的に検討してから言うべきで、先入観だけでいうべきではありません。イザヤ書8章1節から新改訳の訳文を検討してきました。新改訳は組織で訳されました。組織で訳されたから正しい訳文だとは言えないことがお分かりいただけたと思います。『聖書と翻訳』で指摘してきたことですが、翻訳チームの中に国語学者がいたからといって、正しい日本語の訳文になっているとは言えないことがお分かりいただけたことでしょう。同じように、考古学者がいて、言語学者がいたからといって、そうした専門家の知見が訳文に生かされるとは言えないのです。翻訳は、国語学、考古学、言語学といった、各分野のエキスパートを集めれば質の高い翻訳ができると思われているようですが、そのような単純なものではありません。翻訳を経験した方であれば分かることだと思いますが、そのような分業を進めるほど、訳文の質は低下する傾向があります。専門家を集め組織で翻訳することの短所は、本来、翻訳者が発揮すべき『統合力』をないがしろにしていることだと思います。

話を戻しますが、9,10節はどこの国が滅びることを預言したものか解釈が分かれています。『アッシリヤ帝国』とする説『北イスラエル、シリヤ連合国』とする説『アッシリヤ帝国、北イスラエル、シリヤ連合国を合わせている』とする説などです。

解釈の手掛かりは9節冒頭の『raw-ah』で、9節と10節が並行表現になっているということです。『悲鳴を上げる』『破壊される』と解釈するなら、どの国のことをいってるか分かりませんが、『連合せよ、悪事を企てろ』という解釈であれば『北イスラエル、シリヤ連合』の密談を語っていることが分かります。


~9,10節の私訳~

ここは、word-for-wordスタイルと、thought-for-thoughtスタイルに、分けることができるほどの内容はないので、同じ訳文になります。


9) 遠くの国々よ※1、悪事を企てろ※2。しかし、台なしになる。よく、覚えておけ。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。10) 謀議をはかれ。しかし、実現しない。その、ひとことたりとも、実現しない。神、我らと共にいる※3からだ。

※1 さまざまな解釈があるが、『悪事を企てろ』『謀議をはかれ』ということから『北イスラエル、シリヤ連合国』を指すと思われる。
※2 このヘブライ語raw-ahを、ほかに『連合せよ』『悲鳴をあげる』『破壊される』と訳すものもある。
※3 ヘブライ語でインマヌエル。『神われらと共に』という意味。選民イスラエル、救い主降誕、を意味することもある。


~5~10節の私訳~

word-for-word

5)また、主は言われた。 6)「ユダ族は、穏やかに流れるシロアハ※1水道の水に背を向け、王レツィン、及び王レマルヤの息子※2が向かう滅びの道に、自ら足を踏み入れた。 7)よく聞け。主は、ユーフラテス河に洪水を起こさせる。無敵と呼ばれる誇り高いアッシリヤの軍隊を。兵士らは、帝国内の川を渡り、川岸をのぼり現れる。 8)川の水かさが増し、あふれだし、ユダの領土は押し流され、頭を残し、全身が水に沈む※3。アッシリヤ軍はその翼を広げ、ユダの地を覆いつくす※4。神が共にいるといわれた※5、この土地を』

9)遠くの国々よ※6、悪事を企てろ※7。しかし、台なしになる。よく、覚えておけ。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。 10)謀議をはかれ。しかし、実現しない。その、ひとことたりとも、実現しない。神、我らと共にいる※5からだ。

脚注

※1 ヘブライ語で(ギホンから)送られてきた(水)という意味。
※2 イスラエルの王ペカのこと。
※3 ユダ族の全土が破壊されても、かろうじて首都エルサレムだけは残るという意味。
※4 翼はアッシリア王家の紋章を象徴する。アッシリア軍が、ユダ族の全領土を制圧するという意味。イザヤ書36章参照。
※5 ヘブライ語でインマヌエル。『神われらと共に』という意味。選民イスラエル、救い主降誕、を意味することもある。
※6 さまざまな解釈があるが、『悪事を企てろ』『謀議をはかれ』ということから『北イスラエル、シリヤ連合国』を指すと思われる。
※7 ここはヘブライ語のraw-ahであるが、ほかに『連合せよ』『悲鳴をあげる』『破壊される』と訳すものもある。


thought-for-thought

5)また、主は言われた。 6)「ユダ族は、今までエルサレムを潤してきたシロアハ※1水道の水、すなわち、主である私のことばに背を向けた。そして、シリヤの王レツィン、及びイスラエルの王ペカらが向かう滅びの道に、自ら足を踏み入れた。 7)よく聞け。主は、ユーフラテス河に洪水を起こさせる。無敵と呼ばれる誇り高いアッシリヤの軍隊を。兵士たちは、帝国内の川を渡り、川岸をのぼり現れる。 8)川の水かさが増し、あふれだすように、国境を越えユダの領土に攻めはいり、首都エルサレムをのぞき、ユダの全土を制圧する。神が共にいるといわれた※2、この土地を』

9)遠くの国々よ※3、悪事を企てろ※4。しかし、台なしになる。よく、覚えておけ。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。武装を固めろ、しかし大敗を喫する。 10)謀議をはかれ。しかし、実現しない。その、ひとことたりとも、実現しない。神、我らと共にいる※2からだ。

脚注

※1 ヘブライ語で(ギホンから)送られてきた(水)という意味
※2 ヘブライ語でインマヌエル。『神われらと共に』という意味。選民イスラエル、救い主降誕、を意味することもある。
※3 さまざまな解釈があるが、『悪事を企てろ』『謀議をはかれ』ということから『北イスラエル、シリヤ連合国』を指すと思われる。
※4 ここはヘブライ語のraw-ahであるが、ほかに『連合せよ』『悲鳴をあげる』『破壊される』と訳すものもある。


8章1~4節の私訳は、別の記事、『イザヤ書8章-4』 ~イザヤ書8章1~4節 私訳全体~に載せています。 この訳文は、主に英語のテキストを解釈して作りました。


~一番大きな輪郭~

イザヤ書8章1~10節の箇所でイザヤが伝えたかったこと、神さまが伝えたかったことが何であったのかを考えたいと思います。新改訳は、8節後半を『インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱいに広がる』と訳出しました。そのため、異教徒のならわしを真似、自分のこどもを焼いて捧げることまで行ったユダ族に対し、神は保護を与えたという文脈になりました。ユダの王、ユダの民は、悔い改めてその罪から離れたのでしょうか?そのようなことはありませんでした。罪を悔い改めない者でも、神は赦してくださるんだという文脈になっています。おかしくないでしょうか?

イスラエル近隣の国には子どもを生贄として捧げる宗教があったため、こうした幼児犠牲の儀式を神さまは固く禁じました(申命記18:9~14)。ですからイザヤ書8章が伝えるメッセージは、悪魔にこどもを捧げてきたイスラエルを神は受け入れない。その悪行は見過ごされず、神の裁きは必ず下されるということです。この神さまの正しさがあるからこそ、イエス・キリストのあがないが生きてくるのではないでしょうか?

次のように考える方がいるかもしれません。『神はインマヌエルの神なのだから、罪深い者であったとしても、神はその民を守るという解釈でいいのだ』と。一見すると筋の通った主張ですが、もし、この主張通りに原文解釈を進めるなら、創世記から黙示録までの聖書の訳文は、ヨハネ3章16節の聖句の繰り返しで構わないのだということになりはしませんか?これは、極端な言い方ですが、そういうことだと思います。先入観を抱いて翻訳にあたることは、訳文を歪める可能性が高いのです。そして、もし聖書という厚い本が始めから最後まで、神の愛、赦ししか記述していないとしたら、私にとっては、読んでつまらない本になることでしょう。

翻訳をする上でと、ことわっておきますが、翻訳をする上で『神はインマヌエルの神だから、私たちが罪深くても神は守ってくださる』という考え方を持つことは、誤った先入観を持つことだと思います。聖書は様々な時代の、様々な内容を持つ本です。聖書のある箇所で、神は正しいお方であると記してあるのであれば、素直にその通り訳出するべきです。神は罪を裁くお方であると記してあるのであれば、素直にそのように訳出するべきだと、私は思います。神は罪を裁くお方であると原文が語っているにも関わらず、神は赦しの神であると訳出したとしたら、原文に忠実な翻訳だといえるのでしょうか?そうでないことは誰にでも分かることだと思います。その様な訳文は聖書の翻訳ではなく、翻訳者の創作文です。

翻訳者によって、一つひとつの単語の解釈や文と文のつなぎ方にブレが生じるというのはやむを得ないことで、ある程度の許容範囲内であれば良しとしなければなりませんが、原文の大枠(趣旨)を取り違えるというのは、一番大きなエラーでありやってはいけないことでしょう。『聖書と翻訳』の記事で、1~10節の訳文を検討させていただきましたが、大預言者イザヤが不倫をしたかのような、誤解を与える訳文もありました。これはこれで問題だとは思いますが、それよりも更に大きなエラーがあるとすれば、神に背を向け罪深い行為から離れなかったユダ族。その罪を悔い改めることのなかったユダ族であっても、神の保護は与えられるという内容にしたことでしょう。新改訳イザヤ書8章の訳文でもっとも重大なエラーは、原文の輪郭を変えてしまったことです。もし、この箇所の真意が新改訳の訳文通りだとするなら、罪深い自分を捨て神に立ち返ることに何の意味があるのでしょうか?罪深い生き方を続けていても、神さまが守ってくださるんだ。ハメを外して楽しもうぜ!という生き方を奨励することになるのではありませんか?

インターネットで検索をしてみると、残念ながら新改訳の訳文を肯定する解釈しか見つかりませんが、新改訳の訳文に異議を唱える方もおられます。山岸登著『イザヤ書解説』エマオ出版の本では、日本語で『栄光』と訳された言葉は軍隊の意味である。『広げた翼』はインマヌエルの翼ではなく、アッシリヤを指すという解釈をされています。細かい部分では私と異なる解釈をされていますが、罪を悔い改めないユダ族に神は裁きを下すという大きな輪郭は同じようです。

尾山令仁訳『聖書現代訳』も同様の解釈をしており、8節『(アッシリアの王は)ユダに流れ込み、すべてを押し流して、ついには首にまで及ぶ。この国は神が共におられる国なのに、アッシリヤ軍はこの国の隅々までも侵略する』と訳出しています。現代訳では『翼』という比喩の意味をくみ取り『アッシリヤ軍』と訳出しています。ヘブライ語immanu-elは、救い主という意味ではなく『神が共におられる国』という訳出をしており、immanu-el(神は我らと共に)が、eretz(国土、領土)を修飾しているという解釈をしています。

聖書の翻訳に限ったことではありませんが『しもべは聞きます。お話しください』サムエル記上 3章10節 といった、静かに耳を傾けようとする態度、謙虚に聞くことに集中するということが、通訳者、翻訳者に必要な姿勢だと思います。原文解釈に、自分が持つ先入観を持ち込むということは『しもべが語ります。お黙りください』という不遜な態度で、それが無意識であったにせよ、通訳者、翻訳者として相応しくないことだと思います。

新改訳は、著名な学者を加え委員会という組織を作りました。『直訳でいく』『原文に忠実に訳す』とスローガンを掲げ、準備万端整った体制で翻訳にあたったことでしょう。ところで、実際にできあがった訳文はどうなのでしょうか?肝心なのは、どのような学者を揃えたのかではなく、どのような訳文を作ったのかということです。通訳、翻訳という作業は学者を揃え、もっともらしいスローガンを掲げ、組織を整えれば質の高い訳文ができる、そのような単純なものではないということです。

何年か前のことですが、英語で書かれた心理学の本を、翻訳チームを作り英語のネイティブを加え訳文が作られたということがありました。書店に行き、どんな訳文になっているものかと期待を寄せページをめくりましたが、脈絡のない日本語になっていたため、数行読んだだけで読む気を失ってしまいました。翻訳チームの中にネイティブを入れたからといって、質の高い訳文ができるというものではないんだなと実感したものです。

通訳や翻訳には、ものごとを分析する能力も必要ですが、それ以上に大切なのは『統合する力』だと思います。






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