聖書と翻訳 ア・レ・コレト

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(000)イザヤ書8章-2

2018年04月27日 | イザヤ書


この記事は、イザヤ書8章1節について新改訳と英語訳との比較をしています。新改訳訳文に対する批判も含まれているため、不快に感じる方もいらっしゃるかもしれません。その旨ご承知の上お読みください。


~普通の文字で・・・書け?~

新改訳では『普通の文字で・・・書け』と訳されています。なぜ主は、普通の文字で書けと言ったのだろうか?普通の字とは・・・小さい字はダメ、大きい字もダメ。普通の大きさの文字で書きなさいということですよね。なぜでしょう?折角、大きな板を用意したのだから、文字も大きく書けばいいんじゃないのでしょうか?新改訳の訳文は、日本語として意味の通らないものになっています。

新改訳で『普通の文字で』となっているところは、英語の聖書では『ordinary letters』となっています。『だったら普通の文字でと訳して正解じゃないか』と、思われるでしょうか?学校では『ordinaryは、普通という意味です』と教え、辞書にもそう書いてあります。ところがordinaryには、それ以外の意味もあり『特に問題がない状態、特に異常がない状態』という意味もあります。ですから、ordinary lettersの意味するのは『読みにくい文字はダメだぞ。おかしな文字で書くなよ』ということです。

フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure)は言語の恣意性について述べましたが、この内容を知った時、衝撃を受けました。言語の恣意性とは『その言葉の文字、発音が言語によって違うというだけではなく、その意味する内容も、バラバラである』というものです。言われてみれば当たり前のことなのですが、当たり前すぎて気が付かないのです。翻訳徒然草-1にも書かせていただきましたが『waterと水』『appleとりんご』『functionと機能』など、一見すると英語と日本語が対応しているように見えますが、その意味するものは互いにズレがあるのです。

ことばの持つ意味というのは水のようなもので、器の形が変われば、それに合わせて水も変化するように、文脈が変わればそれに合わせて、単語の意味も自由に変化します。waterの意味は、文脈によって水、海水、雨水、お湯、羊水と変化していきます。通訳者、翻訳者はその意味の変化を読み取っていかなくてはなりません。『water=水』であると学校では教え、『原文に忠実な翻訳』を信条とする人たちも、そのように訳語を固定してしまっています。これは言語の恣意性に反する教育法であり、翻訳法です。新改訳が掲げる直訳法というのは、言語そのものが持つ仕組みと相いれない翻訳手法なのです。

創世記11章のバベルの話では、神さまが言葉を混乱させたという記事がありますが、その混乱というのは表面的なものにとどまらず、言語構造の深い部分まで手を入れバラバラにされたんだなということを感じます。ソシュールの理論は、そのことを教えてくれました。

話を戻します。『読みやすい文字で書け』という解釈で、一件落着したかと思いきや、そうではありませんでした。新改訳の『普通の文字で』となっているところは、ヘブライ語の『cheret enowsh ハイレット エノーシュ』ということばで、英訳聖書では、その解釈が大混乱しています。

ハイレットを筆記具『pen ペン』と訳したもの
例)write in it with a man’s pen
例)人のペンで書け
21st Century King James Version
American Standard Version
King James Version
ほか

ハイレットを彫り込む道具『stylus ノミ』と訳したもの
例)inscribe on it with an ordinary stylus
Amplified Bible
New English Translation
New American Bible (Revised Edition)
ほか

ハイレットを『letters 文字』と訳したもの
例)write on it in ordinary letters
例)見やすい文字で記せ
English Standard Version
Living Bible
New American Standard Bible
新改訳
ほか


ハイレットの訳出で、そんな訳し方ができるの???と思う訳を二つ挙げます。

write upon it with a graving tool and in ordinary characters [which the humblest man can read]
ノミを使い、見やすい文字(教育を受けていない人にも読める文字)を刻め
Amplified Bible

ハイレットという一つのヘブライ語に対し、一つの訳文の中で『ノミ』『文字』と二つの訳語に増やしています。将棋の禁じ手『二歩』打ちのようなものです。下手な鉄砲数撃ちゃ当たる式の訳し方は反則行為です。また、教育を受けていない人にも分かるよう、絵で表せならまだ分かりますが、文字を習ったことのない人でも、読める文字で書けといいますが、これでは禅問答です。どんな文字で書けばいいものか、板の前でイザヤが悩んでしまうのではないですか?


write in indelible ink
消えないインクで書け
The Message

そんな魔法のようなインク、現代にもありませんよ!


次の訳文は、解釈の方向性が良いと思います。

Take thee a gillayon gadol (great slab), and write on it with cheret enosh
厚く大きな(石の)板を用意し、cheret enoshでしるせ
Orthodox Jewish Bible
※cheret enoshの解釈が困難であるため、ヘブライ語のまま表記しているところが難点。

Take to thee a great tablet, and write upon it with a graving tool of man,
大きな(石の)板を用意し、人が使うノミで文字を彫り込め
Young's Literal Translation
※ヘブライ語の解釈が困難であるため、tool of manと英訳してあるが、意味をなしていないところが難点。

Take for yourself a large tablet and inscribe on it with a common engraving tool
大きな(石の)板を用意し、石を刻むノミを使い文字を彫り込め
David Rubin
※Rubinさんの解釈が参考になります。ヘブライ語のenoshに対し、英語のcommonという訳語を選択していますが、この文脈におけるcommonの意味は『普通の』ではなく『作業に相応しい、専用の』という意味になります。

新改訳で『文字で』となっている箇所が、英訳では『ペン』『ノミ』『文字』『インク』とバラバラの解釈になっています。これでは判断のしようがないのでヘブライ語の意味を調べてみます。

ヘブライ語cheretの意味
an engraving tool, stylus, chisel, graving tool
物を刻むための道具、鉄筆、タガネ、ノミ、彫り込むために使う道具

ヘブライ語テキストでcheretが使われているのは、出エジプト32:4とイザヤ書8:1の2か所です。

出エジプト32:4 King James Version
And he received them at their hand, and fashioned it with a graving tool, after he had made it a molten calf・・・
アロンは、人々の手から金のイヤリングを受け取った。それを溶かし子牛の形にしたあと、タガネで掘り込みを入れた・・・

上の文では、ヘブライ語cheretが英語のa graving tool(彫り込むための道具)と訳出されています。ところがイザヤ書8:1で現れるcheretについては、『pen(で書く)』と訳が変わります。

イザヤ書8:1 King James Version
Moreover the LORD said unto me, Take thee a great roll, and write in it with a man's pen・・・
また主は言われた。『大きな巻物を用意し、人のペンで・・・書け

出エジプト32:4で『タガネ(で掘り込みを入れた)』と訳されたものが、イザヤ書8:1では『ペン(で書く)』と訳が変わっています。そこにはKing James Versionなど従来の英訳聖書が抱えている問題があり、tomonというギリシャ語を『本、巻物』と誤って解釈をしてきたことが原因ではないかと思うのです。詳しくは『イザヤ書8章-1 ~大きな板?~』をご参照ください。

もし、イザヤがこの箇所で『ペン(で書く)』ということを言いたかったのであれば、et(エイト)ということばを使っていたはずです。ヘブライ語 et は、鉄筆、ペンと訳されることばで、旧約聖書の4か所に使われています。

・・・わたしの舌はすみやかに物書く人の筆のようだ。詩篇45:1 
鉄の筆と鉛とをもって・・・ヨブ記19:24
・・・まことに書記の偽りの筆が・・・エレミヤ8:8
「ユダの罪は、鉄の筆、金剛石のとがりをもってしるされ・・・エレミヤ17:1

イザヤ書8:1で、イザヤが用意したものは石の板材(ギリヨーン)だということは先に書きましたが、石に文字を記すということは、石に彫り込むということだと思うのです。もし、石の表面にインクで書いたとしたら、こすれたらすぐ落ちて消えてしまいます。石にインクで文字を書くというのは、記録として残すことを考えると、有効な方法ではありません。石に彫り込むことが、記録として残すのに有効な手段です。石という材料に対し、一番合理的な記録方法は、ノミを使って彫り込むことです。ハイレットの基本的な意味が『ノミ』であること。また、先に述べたように、ギリシャ語の底本にも『grafidi ノミ』ということばがあることに注目したいのです。

ヘブライ語enowshの意味
1) man, mortal man, person, mankind 1a) of an individual 1b) men (collective) 1c) man,
2) soldiers, husband, leaders, warriors

1節の原文解釈で最大の難関は、このenowshエノーシュの解釈で、どの英訳聖書もその解釈で手こずっているようです。この解釈ができれば、1節における解釈が50%できたと言っても過言ではないと思います。なぜなら、enowshエノーシュの意味が分かれば、heretハイレット(ノミ)の意味が明らかになり、heretハイレット(ノミ)の意味が明らかになれば、gillayown ギリヨーン(石の板)の意味が明らかになるからです。

enowshの定義2)に注目したいと思います。ここでは、軍人、夫、リーダー、兵士といった意味が並べられており、言い換えると、社会人として一人前の職責を果たせる大人といえるでしょう。

この定義を読んで思いだしたことがあります。アイヌ語の『アイヌ』ということばです。その意味は、人間、大人という意味です。カムイ(神)の対義語としての『人間』、未成年者の対義語としての『一人前の大人』、怠け者ではない『社会で働く人』といった意味があったと思います。

enowsh、アイヌ共に『一人前の仕事ができる』大人という意味が共通していますよね。enowshエノーシュという語が、cheretハイレット(ノミ)を修飾しているというのは、多くの英訳聖書が認める解釈です。『enowsh+ノミ』を『熟練した職人が使うノミ』と解釈する英語の解説がありました。解釈の方向は悪くはないと思いますが、次のように解釈した方が素直だと思います。この文脈におけるenowshの解釈は『きちんと仕事ができる状態の+ノミ』→『刃先を研いだ切れるノミ』になります。

石工のような職人であれば、毎日のように石を刻むに違いありませんが、預言者が石工のように、毎日石を刻む仕事をしていたということは、なかったと思います。一度、石を刻む作業をしたとしても、しばらくの間、ノミは使われることなくしまわれます。そのうちノミは錆びつくでしょうし、前の作業で刃先がこぼれ切れなくなっています。こうした状況を主はご存じであったので『ハイレット・エノーシュ ノミを研ぎ(文字を刻め)』と言われたように思います。私の勝手な想像ですが『ハイレット・エノーシュ』と主が言われたことばは、あたかも、朝家を出るこどもに『忘れ物はない?○○持っていくんだよ』と、親がこどもを気遣うさまを連想させます。『しまってあるノミは錆びついて刃先もこぼれてるだろ。石を刻む前に、ノミを研ぐのを忘れるなよ』といった、主の気づかいを感じます。

従って1節でいいたいのは、大きな石の板を用意しろ。ノミを研ぎ、文字を彫り込めということでしょう。


~マヘル・シャラル・ハシ・バズ?~


マヘル・シャラル・ハシ・バズ(上図)の意味は『分捕り物は素早く、略奪は速やかに』であると解説されることが多いようですが、それだと、アッシリヤはテキパキと略奪をする、略奪する行為が迅速だという意味になります。それでは、意味をなしていないのではないでしょうか?こうした解釈は違うと思います。

『マヘル・シャラル・ハシ・バズ』の意味を、Orthodox Jewish Bibleでは、8章1節の訳文の中で、次のコメントを挿入しています。

私訳
・・・Maher Shalal Chash Baz(略奪の日は、迫っている。はく奪の日は、すぐにも訪れる、という意味。アッシリヤが、シリヤとイスラエルを滅ぼしに来る時期が緊迫し、イザヤのこどもの成長が、その預言成就を示す生き時計となった。4節参照)

原文 1節後半
・・・Maher Shalal Chash Baz (The Spoil Speeds, the Booty Hastens [i.e., the coming Assyrian defeat of Syria and Israel is imminent and the life of this son of Isaiah is a prophetic time line. See verse 4 below]).
http://www.biblegateway.com/passage/?search=Isaiah+8&version=OJB

『マヘル・シャラル・ハシ・バズ』とは、略奪行為が迅速だという意味ではなく、略奪の日が近いことを意味しています。また、それがイザヤの息子の成長と関係しているぞといっているのです。手元にある新改訳では『マヘル・シャラル・ハシ・バズ』の解説が、本文中にも欄外にもありません。このことばはヘブライ語ですから、一般の日本人が読んでも意味が分かりません。読者への配慮がなく、不親切です。意味を付け加えるべきでしょう。欄外に注記して、それを参照させるのも一つの方法ですが、わざわざ本文から目を移動させ、欄外を探すのは読者にストレスを与えます。短い解説で済む場合であれば、本文中に(略奪の日は迫っている。はく奪の日はすぐにも訪れる)と挿入した方が、読者に親切で読みやすいと思います。

こうして、次のような訳文になりました。

1節の私訳
主は私にお命じになった。「大きな石の板一枚と砥いだノミを用意し『マヘル・シャラル・ハシ・バズ(略奪の日は迫っている。はく奪の日はすぐにも訪れる)』と刻め」。





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