聖書と翻訳 ア・レ・コレト

聖書の誤訳について書きます。 ヘブライ語 ヘブル語 ギリシャ語 コイネー・ギリシャ語 翻訳 通訳 誤訳

(000)進化か創造か ねつ造されたピルトダウン人

2018年04月03日 | 進化論と創造論


もくじ

事件の背景
ミッシング・リンクの大発見
ねつ造の判明
誰がねつ造したのか?
ドイル氏の人脈と地中海旅行
The Lost World
未知の生物
年表
科学のねつ造は続く




~事件の背景~

1809年、生物学者ラマルクは『動物哲学(Zoological Philosophy)』の中で、獲得形質の遺伝説を発表。ダーウィン進化論の先駆けとなります。ダーウィンは、1859年『種の起源』、1871年『ヒトの進化』を出版。ラマルクやダーウィンの考えは、神の存在を認めない無神論者たちに大歓迎されます。

しかし、現実の自然界に、サルがヒトに進化したことを示す中間生物は存在しません。この中間生物の空白をミッシング・リンク(missing link)といいます。ミッシング・リンクは現実に存在しないのですから、進化論が正しいことを証明するには、化石で証明するほかありません。こうして世界中で化石の発掘競争が始まります。

進化論の証拠を見つけられないことに苛立つ科学者は、しばしば化石やデータをねつ造し、進化の証拠として使ってきました。1874年ヘッケルは胚のスケッチをねつ造し反復説を提唱します。このことは『進化か創造か ヘッケルの偽造と反復説』に書かせていただいたので、こちらをご参照ください。

1912年、ロンドン地質学会は『ピルトダウン人が発掘された。これこそ探し求めてきたミッシング・リンクである』と公表します。ところが、1953年化石の再鑑定で、ピルトダウン人は、様々な動物の骨を加工し組み合わされたねつ造品であったことを告白します。

ヘッケルのねつ造やピルトダウン人のねつ造は、進化論の証拠探しが過熱するなか、起こるべくして起きた事件です。






引用したウエブサイト(英語)

・スミソニアン博物館 『ピルトダウン人 考古学の猿芝居』
・ワシントン大学 『ピルトダウン人のねつ造』
・英国地質学会 『ピルトダウン人のねつ造』 
・英国自然史博物館 『ピルトダウン人』

英国地質学会と自然史博物館は、ねつ造に深く関わった学術団体です。




~ミッシング・リンクの大発見~

ドーソン氏(Charles Dawson)は法律顧問が本業ですが、化石発掘を趣味とし、自分が見つけた化石を自然史博物館(Natural History Museum)に寄贈することもあり、ロンドン地質学会(Geological Society of London)の会員を持つ熱心な化石コレクターです。

ドーソン氏の地元バークハム地区は、干上がった川底に砂利などが堆積してできた土地で、砂利採石がおこなわれていたところでもあります。ドーソン氏は採石現場を訪ねては『化石のようなものが見つかったら教えてくれたまえ』と、かねてから労働者に頼んでいました。1908年、化石のかけらが見つかりドーソン氏に手渡されます。これがピルトダウン人発掘の幕開けとなります。





1912年6月2日、バークハムに、ドーソン氏(Charles Dawson)、ウッドワード氏(Arthur Smith Woodward)、シャルダン氏(Pierre Teilhard de Chardin)が集まり発掘作業が進められると、次々と化石が発見されます。






・ドーソン氏は、法律顧問、ロンドン地質学会会員。
・ウッドワード氏は、自然史博物館職員、地質学会会長、王立学会特別研究員。
・シャルダン氏は、イエズス会の教師、司祭で、創造説を否定し『キリスト教的進化説』を唱え、生涯、進化論と化石研究に没頭した人物。


1912年12月18日、ロンドン地質学会(Geological Society of London)は公表の場を設け『今まで発見されることがなかった、サルとヒトとの中間種、ミッシング・リンクをついに発見した。我々が発見した化石は、サルとヒト、それぞれの特徴を併せ持つ。学術名は、イオアントロプス・ドーソニー(Eoanthropus dawsoni)、化石が取られた地名にちなみ、別名ピルトダウン人とする』と発表します。

発掘に携わったドーソン氏とウッドワード氏は、発掘の様子、200万年前の地層から50万年前の化石が見つかったこと、サルとヒトの特徴を併せ持つことなどを詳細に語ります。

大英博物館、英国地質学会、地質研究所など、そうそうたるメンバーが調査に関わり、マンチェスター大学、解剖学のスミス教授(Grafton Elliot Smith)も、発見された化石は、サルとヒトの中間を示すものでこれは原始人に間違いないと結論をくだします。







その一方、ロンドン・キングス・カレッジ、解剖学のウォーターストン教授(David Waterston)のように『頭蓋骨(とうがいこつ)は人間のもので、下あごはチンパンジーのもの。これらが組み合わされているのは不自然だ』と指摘する学者もいました。



学会による発表後も発掘作業は続きます。1913年8月30日、シャルダン氏が先のとがった歯を発掘し下あごの復元に使われることになります。(後年の再鑑定で、下あごはオランウータンのものと判明)





1914年、ウッドワード氏は、動物の骨でできた原始人の道具とおぼしきものを発掘します。(後年の再鑑定で、チュニジア地域のゾウの骨と判明)





1915年1月9日、ドーソン氏が頭蓋骨(とうがいこつ)の破片をいくつか発掘します。ここからピルトダウン人-IIの発見になります。発掘された場所についての記録が存在せず、発掘場所は不明のままになります。

1915年7月30日、ドーソン氏が下あごの臼歯を発見します。






1916年、ドーソン氏が敗血症で亡くなったあと、ウッドワード氏が発掘を続けますが、それ以上化石が発見されることはありません。




1917年2月28日、ロンドン地質学会の会議で『ピルトダウン人-II』の発見を公表します。見つかったのは、肉厚の頭蓋骨、サルの臼歯を持つ下あご、こげ茶色に変色した化石といった特徴のものです。『ピルトダウン人-II』の発見がより説得力を持つようになり、異論が封じこめられます。





1938年、ウッドワード氏は、次の碑文を刻んだ石碑を寄贈します。

『1912~1913年、かつて川底であったこの地で、チャールズ・ドーソン氏はピルトダウン人の化石を発掘する。チャールズ・ドーソン氏と、スミス・ウッドワード氏が語る発掘のいきさつは、英国地質学会の季刊誌1913~15年号に掲載された』





~ねつ造の判明~

それまでピルトダウン村一帯の地質調査が手つかずだったということがあり、1925年、地質研究所のエドモンズ氏(Francis H. Edmunds)が現地調査に入ります。この調査によって、はからずも化石が見つかった地層は、ドーソン氏らが主張する年代より、はるかに新しいものであることが判明し、化石の年代に疑問が向けられます。 




1949年、自然史博物館のオークリー氏(Kenneth P. Oakley)が、フッ素試験で化石の年代を測定すると、化石と化石が見つかった地層の両者とも最近の年代であることが判明します。

※地中に埋められた人骨や歯は、長い年月をかけ、地中の水分からフッ素を吸収し蓄積するので、骨に含まれるフッ素含有量を調べることで、年代の推定ができます。


1953年、オックスフォード大学、骨格人類学のワイナー教授(Joseph S. Weiner)は化石を調べれば調べるほど、化石の信憑性に疑いを抱きます。そして、下あごの臼歯はチンパンジーの歯で、人工的に削られ着色されていることを発見します。化石を管理する自然史博物館は、ピルトダウン人-Iの発掘場所を把握していましたが、ピルトダウン人-IIがどこで発掘されたのか記録を持っていませんでした。発掘場所は化石の重要な情報です。

ワイナー教授は、オックスフォード大学、解剖学のクラーク教授(Wilfrid Le Gros Clark)と、オークリー氏に立ち会ってもらい、歯が人工的に削られ着色されていること、化石がねつ造品であることを確認してもらいます。

1953年11月21日、タイムズ誌が『化石は巧妙なねつ造品』と報道すると、一般紙もこぞって取り上げます。犯人の特定には至っていませんでしたが、新聞各社は1916年他界したドーソン氏に疑いの目を向けます。

ねつ造が公表された日、博物館のオークリー氏とワイナー教授は、キース氏(Arthur Keith)のもとを訪れます。御年80を過ぎたキース氏は『君たちのやったことは正しいことだ。ただ、事実を受け入れるのは余りにもつらい。気持ちの整理にしばらく時間がかかるだろう』と答えます。キース氏はウッドワード氏と共に、頭蓋骨の復元作業に携わり、ピルトダウン人を強く肯定したイギリス科学界の重鎮です。

キース氏は、若い時ダーウィンの進化説に感化されます。英国外科医師会会員、英国外科医師会ハンタリアン博物館の収蔵管理者、英国王立人類学研究所理事長などの経歴を持つ人物です。






詳細な科学的検証は続けられ、下あごと犬歯は、新しい時代のメスのオランウータンのものであることが判明します。



オランウータンは、イギリスには存在せず、存在するのはボルネオ島とスマトラ島だけです。




地質調査所原子調査部門のボウイ氏(S.H.U.Bowie)とデビッドソン氏(C.F.Davidson)が、放射能測定法による検査をおこなった結果、以下のことが分かります。

ある化石は、更新世(新しい時代)のチンパンジーのもの。ある歯はステゴドン(ゾウ)の歯で、チュニジアが有力な地域。ある歯はマルタ島に生息するカバの歯。地中海地方の化石が、なぜイギリスにあるのか謎でした。






動物の骨を削った道具らしき物は、化石化した骨が発掘されたあと削られた跡があり、削られた面は鉄分を含んだ溶液で着色処理されています。化石はゾウの足の骨と判明します。





1954年6月30日、地質学会で検証活動の総括が公表されます。『ピルトダウン人の骨や歯の化石は、様々な種類の哺乳動物のものが含まれており、化石のすべてに着色が施されている。確かにピルトダウン人の頭蓋骨は分厚いという特徴があるが、この程度の厚さの頭蓋骨は現代人の中にも見られるもので、解剖学上も人骨として説明可能な範囲と認められる。ピルトダウンの化石はねつ造である』と結論づけられます。




~誰がねつ造したのか?~

では、誰がねつ造をしたのか?未だ確証は得られていません。ドーソン氏が最も怪しまれる人物ですが、彼が犯人だとする物的証拠はなく本人の自白もないまま1916年他界します。

次に疑われるのは、ドーソン氏の交友関係です。地質学者ウッドワード氏、発掘調査のためドーソン氏に雇われていたシャルダン氏。

頭蓋骨を発見した宝石商アボット氏(Lewis Abbot)、発掘作業に長く関わったハーグリーブス氏(Venus Hargreaves)、現場の発掘作業に従事したヒントン氏(Martin Hinton)、科学会の重鎮キース氏。作家、医師、発掘当時大英博物館の学芸員であったコナン・ドイル氏(Sir Arthur Conan Doyle)など多くの名前が挙がります。






~ドイル氏の人脈と地中海旅行~

ドイル氏の自宅はクロウボロウ(Crowborough)にありました。クロウボロウから恐竜の足跡や化石が発見されたことがあり、それがきっけで、化石に興味を持つようになります。ドイル氏はドーソン氏と家が近く、両氏は趣味で化石収集を手掛けます。

どの様な目的かは分かりませんが、ドーソン氏とウッドワード氏は発掘前、ドイル氏と面会しています。ドイル氏の自宅は発掘現場から11kmの距離で、現場を訪れることが可能な距離です。

化石のほとんどが地層の浅いところから発見されます。ねつ造した化石を浅い位置に埋めておけば発見されやすいでしょうし、隠すため土を深く掘る手間もかかりません。

オランウータンの下あご

ドイル氏の近所には、王立人類学協会に所属するレイ氏(Cecil Wray)が住んでいました。レイ氏の兄弟はマレー美術館の館長に就任し、当時美術館は、ボルネオ島から多くの標本を購入しています。ボルネオ島とスマトラ島にしか生息していない動物、それはオランウータンです。ピルトダウン人の化石には、オランウータンの下あごが含まれていました。

マルタ島カバの歯

1907年、ドイル夫妻は新婚旅行で地中海に向かいます。11月末から12月始めにかけて、ドイル夫妻は、旧英国領マルタ島に上陸したものと思われます。11月16日付の地元マルタ紙は『マルタ島の石灰岩の中からカバの化石を発見』と報道しています。ピルトダウン人の化石には、マルタ島カバの歯が含まれていました。

チュニジア地方ゾウの歯

1907年、ドイル氏は、考古学者ウィティカー氏(Joseph Whitaker)のもとを訪れています。ウィティカー氏はチュニジア共和国イシュケル地区を研究する数少ない科学者です。2年後、ドイル夫妻は地中海旅行にでかけチュニジア共和国カルタゴ市を訪れます。ピルトダウン人の化石には、チュニジア地方に生息するゾウの化石が含まれていました。

頭蓋骨

ドイル氏の知人に、ロンドンで著名な生物考古学者アメリカ人のファウラー氏(Jessie Fowler)がいます。ファウラー氏は多くの頭蓋骨を所有し、それを売る商売もしています。



ドイル氏は霊能力や心霊現象に心酔していたという一面があります。ドイル氏は、霊能力を世間に知らしめ、霊媒詐欺師スレイド氏(Henry Slade)が世間の脚光を浴びるようお膳立てしたいと願っていたようです。

心霊写真は二重撮りをしたトリックです。



心霊詐欺師スレイド氏。霊界と交信し、足の指に挟んだチョークで、石板に死者のメッセージを書く・・・というのはウソで、あらかじめ板の裏に文字を書いておき、ひっくり返していただけ。



降霊の儀式


あなたがたは口寄せ(霊媒師)、または占い師のもとにおもむいてはならない。彼らに問うて汚されてはならない。わたしはあなたがたの神、主である。 レビ記19:31 口語訳




~The Lost World~

ドイル氏の冒険小説『知られざる秘境(The Lost World)』には、ピルトダウン人に関する記述があります。(The Lost Worldは『失われた世界』の邦訳名で出版されています)




ロンドン地質学会が、ピルトダウン人発見を公表したのは1912年12月ですが、その1年前に同小説の執筆を終えていて、小説には、ピルトダウン人がねつ造であることをほのめかすような文言が綴られています。

『やる気と知恵さえあれば、化石のねつ造なんて誰でもできるさ。写真のトリックみたいにね』

『ふさふさとした赤い毛におおわれ、粗末な家に住んだであろう猿人(apemen)が、イギリス、ウォータートン氏が暮らす地域から発見される』

『猿人の姿かたちは、ボルネオ島やスマトラ島に住むオランウータンによく似てるじゃないか』

『秘境の広さといえば、猿人の化石が発掘されたサセックス地方と同じくらいだ』




ねつ造した化石が公表されるまでには、多くの人が関わります。海外にある化石の入手、加工、地中への埋設、発掘作業、復元作業、鑑定作業、異論封じこめ対策などです。たった一人の人間でねつ造は成立しません。ある人物は意図的にねつ造をおこない、ある人物はねつ造とは知らずに関わっていたのかもしれません。しかし皆熱心な進化論信奉者であるということは一致していたようです。

誰が犯人かは謎のまま





~未知の生物~

ピルトダウン人の事件前にも、猿人偽造事件がありました。博物学者ウォータートン氏(Charles Waterton)は、南米ギニアに滞在中、猿人(apeman)に遭遇しそれを殺し持ち帰ったというのですが・・・



ウォータートン氏は次のように語ります。『サルのように頭部は小さく、ヒトのような顔つきで、肩から下はサルの体を持つ未知の生物(Nondescript)に遭遇した。これこそ人類の祖先、猿人の発見である。猿人の体全部を持ち帰ることができなかったので、肩から上だけを持ち帰りました』と。

はく製にされた『未知の生物』は一般公開されましたが、調べてみるとただの赤ホエザルの体だと判明します。ウェイクフィールド美術館(Wakefield Museum)によると、『この未知の生物は、はく製の製作技術を持っていたウォータートン氏が入手、加工したものです。南米でホエザルを手に入れ、未知の生物をでっち上げたのです。1821年、同氏は多くのはく製を船に載せ、イギリス、リバープール港に帰港します。その時、税関職員ラシントン氏(Lushington)に、高額な輸入税を計上され支払うことになります。その腹いせにラシントン氏の顔に似せて作った』そうです。

引用サイト
Guide to Patagonia's Monsters & Mysterious beings
Charles Waterton’s Nondescript




~年表~

1809年 ラマルク氏『動物哲学(Zoological Philosophy)』を発表。
    獲得形質の遺伝説を提唱。ダーウィン進化説の先駆けとなる。
1825年 ウォータートン氏『未知の生物』を偽造し猿人として公表。
1856年 デュッセルドルフ付近で、ネアンデルタール人発掘。
1859年 ダーウィン氏『種の起源』を発表。
    コナン・ドイル氏誕生。
1871年 ダーウィン氏『ヒトの進化』を発表。
1874年 ヘッケル、胚のスケッチをねつ造して『反復説』を発表。
1893年 ドイル氏心霊現象研究協会に入会。
1907年 ドイル夫妻、新婚旅行で地中海を旅行。
    マルタ島でカバの化石が発見。
1908年 ピルトダウン村で人骨発掘。未公表。
1909年 ドイル夫妻は再び地中海を旅行。
    チュニジア共和国、カルタゴ市に立ち寄る。
    偽造された化石の中にチュニジア地方のゾウの歯が含まれる。
1911年 ドイル氏小説『知られざる秘境』執筆完了。
1912年 『知られざる秘境』出版。
    ロンドン地質学会が、ピルトダウン人発見を公表。
1914年 ゾウの骨から作られた原始人の道具を発掘。
1915年 ピルトダウン人-IIの発掘。
1916年 ドーソン氏他界。
1917年 ピルトダウン人-II発見を公表。
1925年 化石が見つかった地層は最近の年代であることが判明。
1930年 ドイル氏他界。
1938年 ウッドワード氏石碑を寄贈。
1944年 ウッドワード氏他界。
1947年 フッ素試験により、化石と地層の年代は新しい時代のものと判明。
1953年 ロンドン地質学会が、ピルトダウン人のねつ造を公表。
1955年 キース氏他界。




~科学のねつ造は続く~

ピルトダウンから化石が見つかった時、それが猿人の化石だと肯定する科学者と、否定する科学者に分かれていました。しかし、肯定派の意見に押し通される形になります。このことから分かるのは、肯定派の科学者に、ミッシング・リンクを発見し進化論を証明したいという強い動機があり、そうした先入観が判断を誤らせたということ。そして、科学というものが、客観的な検証の積み重ねだけで作られるのではなく、科学者の先入観や、学者間の政治的力関係で作られる、そうした側面があるということです。

ピルトダウン事件は、現代の日本でも起こっています。東北地方に始まる旧石器ねつ造事件は、日本の歴史教科書が書き換えられるほどの影響がありました。

ノバルティスファーマ社の血圧降圧薬ディオバンの臨床データ偽装は、京都府立医科大、慈恵医科大学、千葉大学、名古屋大学、滋賀医科大学が舞台となります。

STAP細胞が存在するかどうかはさておき、小保方氏が科学雑誌ネイチャーに発表した実験手法では、STAP細胞作成ができないと確認されました。

現代人は科学こそ真理であると思いがちですが、それは間違っています。科学者も人間で間違いを犯すということ、科学という学問も万能ではないというのが現実です。科学は真理を探究する学問であってほしいと願います。しかし科学そのものが真理なのではないということを謙虚に受け止めるべきでしょう。

『ピルトダウンの一件は、大きな教訓を残しました。科学者も過ちを犯すということ。科学という学問に不正があったということ。そして、間違いや不正は、明らかにされなければならいということです』  英国地質学会




キリストの十字架のメッセージは、滅びに向かっている人々にとっては、全く愚かに見えるが、救われた私たちにとっては、実に神の力そのものである。

それは、旧約聖書のイザヤの預言にこう記されている通りである。
「わたし(神)は、人間の知恵による救いを打ち壊し、
人間の賢さによる救いを無効にしてしまう。」

インテリはどこにいるのか。学者はどこにいるのか。評論家はどこにいるのか。神は、この世の知恵がどんなにつまらないものであるかということを示されたではないか。

それは、この世の人々が自分の知恵によって神を知ることができなかったところに示されている。それこそ神の知恵である。・・・


第一コリント1章18~21節 現代訳




(000)進化か創造か ヘッケルの偽造と反復説

2018年04月02日 | 進化論と創造論



聖書は神話や昔話と同じ、ただの宗教の本! 神を信じる人は非科学的! 神を信じるなんて根拠がない! 聖書の奇跡を信じるなんてばかげてる! 神を見せてくれれば信じるよ!

教会の中にも、進化論を肯定し、聖書に書かれた奇跡的なできごとを寓話として解釈する人もいるので、聖書になじみがない多くの日本人が、このように考えるのはもっともなことで、かつて、私も同じように考えていた一人です。

この進化論と聖書の対立について、私が分かる範囲で説明させていただきたいと思います。


~過ぎたるはなお及ばざるが如し~

エルンスト・ヘッケル ドイツ人 1834~1919年
Ernst Heinrich Philipp August Haeckel

ヘッケルは『生物が進化する過程は、生物個体の成長に再現される(反復説)』という理論を提起した人です。学校の理科では、この反復説をいまだに教えています。また、ヘッケルが描いた胚のスケッチも、今でも理科の教育で使われています。ヘッケルのスケッチとヘッケルという人物には大きな問題があるようです。


ヘッケルは絵ごころがあったようで、画家としての一面もありました。

ヘッケルのアート作品





次の図は1874年ヘッケルが、受精卵から胚に成長する姿をスケッチしたものです。当時は、小さな細胞や胚を映す、写真技術がまだない時代でした。




みごとな腕前です。しかし『過ぎたるはなお及ばざるが如し』といいます。ヘッケルはその卓越した匠の技で、スケッチを偽造しフィクションにしてしまったのです。これを科学とはいいません。




次に、ヘッケルの絵と本当の絵を並べてみました。ご確認ください。











全く形の違うものばかりです。世界中を騙したヘッケルは、科学者ではありません。嘘の理屈で理論を作る人を、科学者とは認めたくありません。wikipediaを見ると、生物学者、哲学者と紹介されていますが、世界中をだました『イルージョニスト』にしていただきたいものです。




英語の記事を調べると、ヘッケルの意外な面を知ることになりました。以下、英語の記事の概要を私訳したものです。

~スケッチと反復説はニセモノ~

ヘッケルは『生物が進化する過程は、生物個体の成長に再現されている(反復説)』という理論を提起したことで知られますが、生物分類学と環境学の研究をしたことでも知られています。

『一見するとかけ離れた現象を、私は結びつける。短時間で完成される胚の成長と、悠久の時を経て生じる進化の過程だ。それぞれの過程は、重要な意味を示唆する。これは個人的な意見ではあるが、進化論と生物学、この二つの分野はとても密接な関係にある。胚の成長過程を見ると、生物遺伝の法則と環境適応の法則が相互作用する現象であることが分かる。長い時間かかる進化の過程が、胚の成長に凝縮されているのだ』これが、ヘッケルの反復説です。

ところが、ヘッケルが根拠にしていた自分のスケッチはデタラメだったのです。


~ナチズムへの影響~

ヘッケルの思想は、進化論にとどまらず、ドイツ民族優位思想、社会淘汰思想、ダーウィン思想、宗教批判などに広がります。更に、ダーウィン社会思想(Social Darwinism)、ドイツ民族覇権主義(German Monist League)を唱え『生物学は政治に適用されるべきだ』と主張しました。

ナチ党はヘッケルの思想を積極的に利用し、劣等市民とみなした、障がい者、ユダヤ人を集め殺害します。ナチ政権の虐殺、戦争は、ヘッケルの思想が強力に後押ししたのです。ナチ党もヘッケルも英雄のごとく、国民から熱い支持を得ていました。

ヘッケルの提案通り、障がい者は集められ集団的に殺された。


当時は、第一次世界大戦に敗れ、ドイツが多大な賠償金を抱え、国民が意気消沈していた時代でした。ドイツ民族優生思想(National Socialism)が、貧しかった国民をふるい立たせるものだったのです。当時、貧困層を擁護する政策として、共産主義と社会主義が台頭した時期でもあります。

ドイツ民族優生思想(National Socialism)は、その後、社会主義(Socialism)と名前を変えますが、民族優生思想(National Socialism)という露骨なイメージを軽減させるためでした。

ヘッケルの知られざる一面です。

引用資料
『教科書の偽り』 進化論またねつ造 胚のスケッチはニセモノ
Ernst Haeckel (1834-1919)
・The scientific origins of national socialism. Social Darwinism in Ernst Haeckel and the German Monist League




理学博士安藤和子氏のウエブサイト『12.進化思想により混迷の科学へ突入』からヘッケルの記事を引用させていただきます。

バチカン教皇庁の大学院教授二人が、ヘッケルは人種差別主義者であったことは疑いえないとして、次のヘッケルの言葉をその評価の根拠としている。

「聾者や唖者、知恵おくれ、不治の遺伝病者などの障害者たちを成人になるまで生かしておいても、そこから人類はいかなる恩恵を得るだろう?...もしモルヒネの投与により不治の病人たちを言葉に尽くせぬ苦しみから完全に解放することにしたら、どれほどの苦しみ、どれほどの損失が避けられるだろう?」

ヘッケルの「種の優生学的保存」などの社会ダーウィニズム的な主張は、のちに優生学として継承され、さらにそうした優生学的な考えは、ナチスによるホロコーストを支える理論的な根拠としても扱われた。また、エコロジーとナチスのファシズムの二つの思想の潮流を辿ると、いずれもヘッケルを介するという点で共通項をあげることができると考えられている。







今回、画像データが多く、このブログに載せてないものもあります。スライドショーの方が見やすいかなと思いスライドショーを作ってみました。

ヘッケル 偽りのスケッチ 胚の成長は反復しない





ヘッケルの胚の絵はでっちあげ、反復説もでっちあげということがお分かりいただけたでしょうか?しかし、日本の学校では、いまだにヘッケルの絵を使い反復説を教えています。生物学者はこのことに口をつぐんだままです。進化を教えるためならウソを使ってでも教えようということでしょうか?文科省は、なぜ訂正をしないのでしょう?はっきりとヘッケルの反復説は誤りだと公言するべきです。

アメリカで進化論裁判が起こったことはご存知かと思いますが、進化論者はこうした、嘘をおりまぜて子どもたちに教えているのです。科学や生物学を教えるなと、いいたいのではありません。学者や学校が、嘘を混ぜて教えていることに怒りを覚えるのです。アメリカで裁判を起こしたクリスチャンの気持ちがよく分かります。

科学的な根拠で、聖書のことを全て証明することはできないことでしょう。また、その必要もないと思います。しかし、検証できるものは理論的な検証をし、教会の子どもたちに偽りのない知識を教える必要があると思います。記事も動画も、自由に使っていただいて結構です。


第一ペテロ3:15~16 新共同訳

15 ・・・あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。



第二ペテロ3章18節 新共同訳

・・・救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。・・・


詩篇119篇66節 新共同訳

確かな判断力と知識をもつようにわたしを教えてください。わたしはあなたの戒めを信じています。




(000)進化か創造か 母語の獲得

2018年04月01日 | 進化論と創造論


サルからヒトに進化する過程で、サルはどのようにしてことばを獲得したのでしょうか?今までほとんど語られることがなかった、心理学や言語学の視点から検討してみます。

心理学や言語学が明らかにする母語習得システムは、進化論を否定するという結果になります。




もくじ

脳言語学から分かること
チョムスキーの理論から分かること
アタッチメント理論から分かること
野生動物に育てられた子ども
ことばの習得に必要な条件とは
進化の過程でことばを獲得できるのか?
進化論は理論の脆弱さ、不確実さが見られる
詩人が詠む生きもの




~脳言語学から分かること~


パトリシア・クール(Patricia Katherine Kuhl) ワシントン大学 脳言語学者

動画 パトリシア・クール 「赤ちゃんは語学の天才」2011より引用

ことば(母語)の習得

ロケット開発には人類の英知が集められ設計されますが、それに勝るとも劣らない活動が、赤ちゃんの脳内で起こっています。言語の習得です。ことばを世代から世代へと受け渡すために必要なこと、それは親が赤ん坊に話しかけることです。幼児の脳は、世界全言語の音を聞き分ける力があるのですが、大人にはできません。幼児が持つ全言語対応の言語能力が、母国語のみの能力に集約されるのは、1歳を迎える前です。母語の習得には臨界期があり、7歳以降は大きく母語習得力を低下させてゆきます。

第二言語習得の実験

アメリカの幼児に、台湾語を聞かせる実験をおこないました。台湾人に教師役をお願いし、絵本を使い赤ん坊に語りかけてもらうと、幼児の脳は台湾語に反応するようになり、第二言語習得の準備を始めます。脳内で大人のことばのデータを集計し分類しているのです。赤ちゃんの脳は、統計処理をしながらことばを蓄積してゆきます。他方、テレビ、DVDなど機械を使った教育方法では幼児の脳は全く反応しません。機械による学習では、ことばに対する学習反応は起きません。母語の獲得は、人間関係の中で始まるということが分かります。


ポイント

・ことばを習得するため、赤ん坊は先天的に高度な能力を備えている。
・ことばの習得には臨界期がある。
・赤ん坊は自分が置かれた言語環境に合わせてことばを習得するが、ことばを話す親の存在が不可欠である。




~チョムスキーの理論から分かること~


チョムスキー(Noam Chomsky) アメリカの言語学者 1928年~


世界には4,500~7,000種類の言語があるといわれています。実に不思議なことですが、赤ん坊はこれらどの言語に対しても習得が可能なのです。赤ん坊が持つこの不思議な能力について、『現代言語学の父』チョムスキーは、二つの理論を使い説明します。


1)全ての言語の根底には、共通する言語規則(Universal Grammar)が存在する。そしてこの共通言語規則を、どの赤ん坊も先天的に知っている

2)どの赤ん坊も、先天的に自分の母語を正確に構築する知識を備えている。この能力を言語構築力(Generative Grammar)といいます。









赤ん坊を見ると、一語文⇒二語文⇒三語文と、不完全な状態から始まり徐々に完成させてゆくので、赤ちゃんの脳も同じように発達しているというのが従来の見かたでした。これは、半分正しいのですが、半分間違っています。チョムスキーは、赤ん坊は生まれる前に世界中のことばを習得できる高度な知識を備えているという理論を提起しました。ここが、従来の見かたと異なるところです。

日本語には日本語固有の語彙、文法があり、英語には英語固有の語彙や文法があります。世界の言語にはそれぞれ固有の語彙や文法があることは知られています。このように世界の言語は全く異なる特徴で成り立っているのですが、すべての言語を貫く背骨のような規則が存在するのだとチョムスキーは唱えるのです。この背骨にあたる言語規則を『共通言語規則(Universal Grammar)』といいます。従来の日本語訳は、普遍文法と訳されています。

進化論の中には、人類は複数の地域で発生し進化してきたという理論もあるようです。ことばも地域ごとに発生したとすれば、世界中の言語が別々の文法や構造を持っているにも関わらず、共通言語規則が存在することを説明できなくなります。共通言語規則が存在するということは、創世記11章バベルの事件が神話ではないことを暗示しています。




~アタッチメント理論から分かること~

このまったりしたおじさん、ノーベル賞をもらった人です ( ゜O ゜)

コンラート・ローレンツ(Konrad Lorenz)オーストリア人 動物行動学者 1903~1989年

Konrad Lorenz Experiment with Geeseより引用

ローレンツは、ハイイロガンのヒナを卵からかえす実験をおこない、卵からかえったヒナは、初めて見た動くものに後追い行動(アタッチメント attachment behavior)すると発表しました。それはヒナが初めて見たものを脳に刻印(imprinting)するからで、刻印は成長してずっと可能なのではなく、ある時期から刻印できなくなります。この刻印可能な期間を臨界期(critical periods)といいます。ローレンツ博士のアタッチメント理論は、人の心理的成長を解明する足掛かりになりました。





ジョン・ボウルビー(John Bowlby) 英国の精神分析医 1907~1990年

心理学-2 アタッチメントに詳しく書かせていただきました。ご参照ください。

アタッチメント(親子の人格的な絆)は人が生きるのに必要不可欠な機能で、幼児期の子どもは特定の大人と密接な人間関係(アタッチメント)を結ぶよう生物学的にプログラムされています。人間のアタッチメントにも臨界期があり、この時期に特定の親(養育者)と心理的に安定した関係が築けるかどうかは、子どもの心理的成長や将来の問題行動に関わってきます。親子関係から学習するものの一つが言語です。

アタッチメント理論から、親子関係が非常に重要であるということと、臨界期があるということが分かります。

※赤ん坊がアタッチメントをつくる臨界期は、生後~3歳ないし5歳といわれます。




~野生動物に育てられた子ども~

とても痛ましい事例になりますが、野生動物に育てられた子ども(feral children)や、虐待により隔離され育てられた子どもがいます。こうした子どもたちが、保護と再教育を受けことばを習得する様子が記録されています。


アヴェロンの野生児(Victor of Aveyron)

1797年、フランスのサンセルナン・シュル・ランス(Saint Sernin sur Rance)で森の中をさまよう少年が発見されます。少年は話すことができず、保護されても森へ逃げ帰るということが繰り返されました。

1800年、自ら人の前に現れて保護されます。推定年齢は12歳、ビクターと名付けられました。ビクターの耳は聞こえていましたが、パリのろう学校でことばの教育が始められます。ジャン・イタールが教育を担当したのですが、基本的な日常会話までは習得できず、書くことができたのは『lait 牛乳』と『Oh Dieu 神よ』の二語だけでした。1828年、推定40歳パリで死亡します。



アマラとカマラ(Amala and Kamala)

1920年、インドのミドナプール(Midnapore)近くの森でオオカミと暮らす二人の少女が保護されました。シン牧師は少女たちを孤児院に連れて行き育てることにします。年下の1歳半くらいの女の子にアマラと名付け、年上の8歳くらいの女の子にはカマラと名付けました。

1921年、アマラは腎臓の感染症で死亡しました。カマラは30ほどの単語を覚えましたが、ことばの獲得には至らなかったようです。1929年、カマラは結核にかかり死亡します。


ジニー(Genie Wiley)

1970年、カリフォルニア州で虐待を受けた児童が発見されます。ジニーは1歳8か月~13歳までの間、密室に閉じ込めらて育ったため、家族と会話をすることがありませんでした。施設で保護され教育を受けましたが、100語程度の語彙にとどまり、言語習得に至らなかったといわれています。



これ以外にも野生動物に育てられた子どもはいて、記録も残されています。いずれのケースも、すでに言語習得の臨界期を過ぎていたためことばを獲得できなかったといわれています。




一方、ことばを習得しただけでなく結婚し子どもを育てた方もいます。マリーナ・チャップマンさん(Marina Chapman 推定1950年生まれ)は、4~9歳の間、コロンビアのジャングルでオマキザル(capuchins)に育てられました。ジャングルに入ってきたハンターに発見された時は、ことばを話すことができませんでした。ジャングルを出たあと、売春宿の下働き、ギャング一家の召使い、路上生活と暮らす場所を転々としました。施設で保護されたり教育を受けたことはなかったようですが、生活をする中でことばを回復させたようです。4歳まで家族とともに暮らした経験が、ことばの回復を可能にしたのでしょう。その後、縁あってイギリスに渡り家庭を築いたということです。




言語習得ができた人とできなかった人、その明暗を分けたのが臨界期までの親との密接な関わりだったのです。



~ことばの習得に必要な条件とは~

言語習得に必要な条件をまとめてみましょう。

条件1 先天的言語能力
チョムスキーが提起する、共通言語規則と言語構築力です。ほかの動物が言語を獲得できないのは、この能力を備えていないからです。

条件2 親の存在
先天的言語能力を働かせるためには、子どもにことばを聞かせる親(人間)の存在が必要です。親子がアタッチメントを築くなかからことばは習得されます。

条件3 臨界期
臨界期を過ぎてからではダメなので臨界期までに親子関係が築かれること。


以上3つの条件すべてを満たさないと、言語を習得できません。サルからヒトへ進化する過程で、3つの条件を満たすことができるのでしょうか?




~進化の過程でことばを獲得できるのか?~

サルがヒトに進化する過程で、言語獲得の3条件を満たすことができるのか検討します。





現実の世界で、サルがヒトの子どもを生んだということは聞いたことがありません。一度もないはずです。ではありますが理論上、突然変異で遺伝子に変化が生じ、サルの親からヒトの子どもが一人だけ生まれた場合、子どもはことばを獲得できるのかどうかを検討します。


この場合、赤ん坊は人間の体で生まれたので、条件1-先天的言語能力はクリアします。しかし、赤ん坊の親はサルでヒトではありません。赤ん坊にことばを聞かせることができないため、条件2-親の存在がNGとなり、ことばは習得できないことになります。

このような環境では、赤ん坊の脳は『キーキー』という、サルのコミュニケーションを学習します。このまま臨界期が過ぎると言語習得機能を失い、赤ん坊はサルのコミュニケーションに特化してしまいます。人のことばを覚えることなく、一生を終えるのです。これは何世代繰り返しても同じ結果になります。




『いや、そうではない。進化は集団的に起こったんだ!』と唱える方もいます。では、サルの親から一斉にヒトの子どもが生まれた場合を検討してみます。


この場合も、条件1の先天的言語能力はクリアします。しかし、条件2の親の存在がNGなので、やはりことばの習得はできないのです。

サルからヒトへの進化が、徐々に起こったにしろ集団的に起こったにしろ、ことばを話す親が存在しないのですから、ことばの獲得は起こりません。何千何万という世代を経たとしても、ことばの獲得は起こらないのです。現在ヒトが持つ言語獲得システムは、赤ん坊の親が人間であることを条件に成立しているからです。

発達心理学や言語学が示す言語習得システムは、進化論を否定しているという結果になります。

今回は、サルの親から突然変異で人の体を持った赤ん坊が生まれたという設定で始めましたが、こうしたことは、実際の自然界にはない現象だということと、一度も実証されたことがない現象だということを付け加えておきます。








~進化論は理論の脆弱さ、不確実さが見られる~

もし、生物の進化が実際に起こったできごとで真理であるなら、生物学、考古学、心理学、言語学・・・どのような観点から見ても進化を肯定する結果が出るはずです。ところが今回見たように、心理学と言語学の観点から見ると、どうしても矛盾が生じてしまいます。心理学と言語学に間違いがあるのか、もしくは進化論に間違いがあるかの、どちらかになります。

進化論の大きな間違いを二つ指摘させていただきます。一つは、素直な心で生物の実態を観察していないということ。もう一つは、進化論の本質は『無神論』であって、イデオロギー(思想)の分野に所属するものだということです。進化論は表向きは科学を装っていますが、『科学』という隠れミノを着た『無神論』です。進化論が所属するべき分野は自然科学ではなく哲学です。



現実のサルやヒトの生命活動から観察できるのは、次のことです。

・サルはサルで繁殖している
・ヒトはヒトで繁殖している
・サルにはサルのコミュニケーションがある
・ヒトにはヒトの言語がある
・こうした秩序ある営みが10年、100年、1,000年と恒久的に継続している
・全ての生き物において、同様の秩序が見られる



実際に観察できること




実際に観察できないこと






サルはサルの子どもを生む、ヒトはヒトの子どもを生む、ということを私たちは実際に観察することができます。そして、そこに秩序ある生命活動を見るのです。しかし、サルがヒトの子どもを生んだとか、サルがヒトに進化したという現象が、実際の自然界にあるでしょうか?そのような現象は存在しないのです。素直な心で自然を観察すれば、生物は種類ごとに繁殖してきたという結論に至るはずです。

進化論は、遺伝子に『突然変異』が生じたことを進化の推進力にしますが、これは実際に観察される生物の生態と矛盾したことです。現実の生物はきっちりと種類ごとに分かれて繁殖しており、突然変異(偶然性)に基づいて繁殖している個体は一つもないのです。

また、突然変異という理屈自体、科学的な説明になっていません。突然変異が、いつ、どこで、なぜ、どのように起こったのか、こうした因果関係があきらかにされてない、つまり科学的な説明が果たされていないのです。『突然変異』を一皮むけば、偶然性や恣意性でしかありません。

自然科学という分野は因果関係、法則、秩序といった必然性に基盤を置く学問であって、偶然性や恣意性を根拠に理論をつくる学問ではありません。もし『突然変異でサルがヒトになった』ことが科学的な理論になるなら、『神が天地を創った』ことも科学的な理論になるはずです。



科学(広辞苑)
1)世界と現象の一部を対象領域とする、経験的に論証できる系統的な合理的認識。
2)狭義では自然科学と同義。→自然科学:自然に属する諸対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。

広辞苑の定義にあるように、科学者が自分は科学者であると自認するのであれば『経験的に論証できること。系統的認識。合理的認識』の上に理論を築かなければならないはずです。科学にしても人間がやることですから、科学という学問が常に100%正しいものだとは思っていませんが、どの程度の検証がおこなわれどの程度の確実さがあるのかは、科学者自身が自覚をしていただきたいのです。

進化論は時代とともに理論体系を大きく変えてきました。ダーウィンの自然選択説、スペンサーの適者生存説、オズボーンの定向進化説、ハクスリーの跳躍説、ド・フリースの突然変異説、マイヤーの総合説・・・このようにパラダイム(時代や知識)の転換が起こるたび、次から次へと理論体系が変更されています。『行きあたりばったり』なのです。理論体系がコロコロと変更されるというのは、進化論が科学的理論として脆弱で、不確実さが多く、信憑性のない理論であることの現れです。



教科書検定の基本事項には『・・・公正・中立でバランスのとれた教科書記述。教科書記述の正確性の確保が求められる』とあります。これは教科書執筆者、出版社、文科省に周知されていることです。

確実性の高い理論が、教科書に載るのは当然のことですが、正確性が確保されていない進化論が義務教育で教えられることは、検定の基本事項『正確性の確保』に反することです。

仮に、正確性が低いまま教科書に載せるのであれば、対立する理論も併記しなくてはなりません。それが『公正、中立』というものです。不確実な理論に肩入れするような教科書編集は、教科書検定の基準に反することです。ヘッケルの反復説が訂正されないまま、現在でも義務教育で教えられていることは、検定の『正確性の確保』に反することですが、学者や文科省はどう思っているのでしょう?

『いやいや、進化論が確立した科学だなんて教科書に書いてないよ!』と、進化論を擁護する方がいわれるかもしれませんが、少なくとも義務教育で習う生徒はそのような認識はしていません。義務教育という場を使って教えることが、国のお墨付きを得ているという印象を国民に与えるからです。もし『進化論が確立した科学でない』のであれば、不確実な理論を義務教育の中に持ち込むことは、矛盾していると分かるはずです。

家永教科書訴訟は、歴史記述を巡り学者が教科書検定の違法性を訴えた裁判ですが、最高裁が下した判例を見ると『検定制度は・・・教育内容が正確、中立、公正であること・・・を守ることが目的であるから合法と認められる』とあるのです。検定制度が合法であるための条件は『正確、中立、公正』さが守られていることです。『正確、中立、公正』さが守られない教育内容は違法性があるということを、学者と文科省はよくわきまえるべきです。



このように進化論は脆弱さ、不確実さを含んだ理論なのですが、これを手放そうとしない人がたくさんいます。それは『神の存在を認めたくない』というのが本音であって、これこそが進化論の本質なのです。人間には、どのような手段を使ってでも、神の存在を否定しようとする性質があるからです。

進化論の本質は『無神論』というイデオロギーです。現在は『生物学の進化論』という隠れミノをまとっていますが、進化論が破たんしたら次は別の隠れミノをまっとって世に現れることでしょう。




謙虚な気持ちで自然を観察するなら、神の存在を認めずにはおれないはずです。

詩篇19篇抜粋 現代訳

天は神の栄光を表し、大空は創造の御業(みわざ)を物語る。
昼となく夜となく、神のことを示している。
自然界はことばで語るわけではないが、
彼らが語っているその声は、
全地にあまねく広まっている。





~詩人が詠む生きもの~


詩人 水野源三

『生きる』

神さまの
大きな御手の中で
かたつむりは
かたつむりらしく歩み
蛍草は
蛍草らしく咲き
雨蛙は
雨蛙らしく鳴き

神さまの
大きな御手の中で
私は
私らしく
生きる





水野源三さんは、小学校四年の時地元ではやった赤痢にかかりその高熱が原因で脳性麻痺となりました。手足の自由を全く失い寝たきりとなり、話す機能まで失い、残されたのは聞くことと、まばたきでした。

源三さんは、脳性小児麻痺になったあと心が乱れ、死にたい死にたいと思い詰めていました。自殺をしたくても自分の手も足も動かないので、死ぬこともできませんでした。神を呪い、世間を呪い、暗い奥座敷で毎日を過ごしていたのです。寝たきりの息子がいるということで、世間から白い目で見られる。そのような時代でした。自力で家を出ることができないので、訪ねてくる人が外の世界との唯一の接触でした。

源三さんが寝たきりになって5年後、ある牧師が寝たきりの少年がいるという話を聞き、源三さんの家を訪ねてきました。その時、初めて聖書を手にしたことがきっかけで、イエス・キリストを信じることになります。源三さんが信仰を持ったあと、お母さん、さらにお父さんもクリスチャンとなりました。それまで暗かった家庭が、源三さんを中心に明るく変わったのです。

源三さんは家族の中心的存在となり、家族が抱える問題、悩みは、源三さんに相談をする、そのような存在になりました。

源三さんは詩や歌を作るようになり、のちにたまった詩集が出版され多くの人の目にとまることになります。源三さんの詩集に感銘を受けた人が全国から訪ねて来るようになり、海外からの訪問もあったとのことです。源三さんの飾らない日常をうたった詩には、ぬくもり、希望があります。

話すこと、書くことのできない源三さんでしたが、源三さんのお母さんがあいうえお50音表のボードを作り、お母さんが50音表を指さし、源三さんがまばたきをして一字が決まるというやり方で、一文字一文字紡ぐようにして詩を作ったということです。

毎日寝たきりで話すこともできない源三さんが、多くの人に生きる力を与えました。神様は、不思議なことをなさるお方です。



コリント人への手紙 第一 1章27~29節 新共同訳

27 ・・・神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。
28 また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。
29 それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。




第一ペテロ3:15~16 新共同訳

15 ・・・あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。
16 それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。




第二ペテロ3章18節 新共同訳

・・・救い主イエス・キリストの恵みと知識において、成長しなさい。・・・



詩篇119篇66節 新共同訳

確かな判断力と知識をもつようにわたしを教えてください。わたしはあなたの戒めを信じています。