今日は、節分ですね。
先程のニュースでは、恒例の成田山新勝寺の両横綱の豆まき風景が見られました。
国技・大相撲も大変ですね。
国技・神事・品格・・・の相撲なら、「日本人だけでやるのが良いのでは・・・」と思います。
モンゴルの青年に、国技をお願いするのは無理ですよね。
外国人も積極的に参加できる相撲なら、柔道のようにオープンにして、国際規格のスポーツ・イベントにしたらどうでしょう。
そうそう、今日のブログは、相撲のことではありませんで。
実は、今日の午前中、節分に参加してきました。
1月13日から、毎週月曜日・火曜日の午前中、あるよう幼稚園にボランティアで出かけています。
4月から1年生になる男児のサポートです。
幼稚園で、先週、鬼のお面作りが行われ今日が本番。
年長児が鬼になり、年少児が「鬼は外 福は内」と、豆を投げていました。
私も、年長児の仲間に入り、園庭を逃げ回った次第。
前期高齢者見習い中の私の、“良寛気分・・・?”の楽しい一日でした。
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カウンセリング研究会【くりのみ】の7月の学習会の日程が決まりました。
◆教育とカウンセリングコース 7月11日(土) 午前10時~
◆坐禅とカウンセリングコース 7月17日(金) 午後18時30分~
詳細は、カウンセリング研究会【くりのみ】のホームページをご覧ください。http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~kurinomi/
2月2日16時27分配信 産経新聞
大麻所持容疑で逮捕された大相撲尾車部屋の若麒麟真一容疑者(25)の事件をめぐり、除名処分でなく解雇処分になったそうだ。
これにより、退職金・養老年金の支払いの可能性が残ったそうだ。
処分問題も重要だが、大相撲を「神事」「品格」「国技」といった方向で存続させるのに無理があるのではなかろうか!
スポーツジャーナリストの二宮清純氏の次の意見に同感である。
「暴力事件など不祥事続きの協会が本当に生まれ変わったと万人が認めるまで、総理大臣杯や天皇賜杯を出すのは違和感がある。自浄能力を示せないなら、公益法人として引き続き認めるべきではない」
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『教行信証』行巻に、次の言葉がある。
「諸々の乱意を捨てて心を一佛に係て、相貌を観ぜず。専ら名号を照すれば、即ち念の中に於いて彼の阿弥陀佛及び一切佛を見ることを得」
名号には、
六字名号 南無阿弥陀仏
九字名号 南無不可思議光如来
十字名号 帰命尽十方無碍光如来
がある。
私は、十字名号ストンと落ちる。
存覚上人の『弁述名号鈔』に、
「阿弥陀仏トイエルハ天竺のコトバナルガユエニ、タダコノ六字ニムカウトキハ、ソノ義キコエズ」とあるそうだ。
存覚上人も、インドの言葉を音訳した「南無阿弥陀仏」に比べて、「帰命尽十方無碍光如来」の方が理解しやすかったようである。
「帰命尽十方無碍光如来」を、一人ひとりの「闇を照らす光」と理解すると、カウンセリングでいうところの、各自の「経験にひらかれる」ということと重なるように感じられる。
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昨年から今年にかけて、柳澤桂子さんの著書を読んでいる。
古い私の日記帳に、2000年2月2日(水)の朝日新聞夕刊「にゅうす らうんじ」の切り抜きが貼ってあった。
語る「柳澤桂子の世界」の題名の記事である。
何箇所か赤のアンダーラインが引いてある。
こんな文章だ。
◆臓器移植でも、脳死の人が生前に意思表示していても、家族がつらい思いをするのだったら使ってはいけない。
◆これからの哲学は生命科学で立証されたことを抜きには成り立っていかない。生命科学は次の世紀、哲学や宗教も含んだ大きな生命科学になっていくんじゃないか。
◆私一人生きるために、たくさんの死がある。私の体が出来るために多くの細胞が死ぬ。生と死のごうごうという流れの中に私が泡のように浮いている。
◆心だとか意識の解明は50年以内に可能だと思います。解明できると、人間観とか、世界観、宇宙観は変わり視野が広くなると思いますね。宇宙の、36億年の中の自分考え方ができるし、宗教を合理的に説明できれば、みな安心して信仰できるようになるんじゃないか。
◆自分を捨てても他の人のために尽くしたい、それが喜びであるって感情が人間の中にある。そういうものが表にでてくれば社会も住み良くなる。
◆私が一番苦しい時も、癒してくれたのは人でした。ただそこにいてくれるだけで救われる。