今晩は、毎月一回、新小岩のお寺様で開催の「唯識」勉強会に参加しました。
配布の資料の中に、
「顕揚聖教論(ケンヨウショウギョウロン)」からの引文を教えていただきました。
不勉強で、「顕揚聖教論」について知りませんでした。
Web調べですが、
無着(アサンガ)さまの作。20巻。
唐の玄奘三蔵法師の訳。
中国・日本の法相宗では瑜伽十支論の一つだそうです。
少し、勉強します。
今晩の資料で面白かった箇所は、
「欲」は善でも悪でもない。
煩悩でも善の心所でもない。
いうならば、どちらにも働いていく性質の心所の由。
「顕揚聖教論」では、
証得欲…悟りを得たいと思う欲求。
問論欲…問答論議する欲求。
証資量欲…資量は仏教の心の養いの糧を得ようとする欲。
方便修欲…いろいろ工夫を凝らして本当の教へ説く方便を修めるための欲。
一般に、欲といいますと煩悩を燃やす悪いことと理解されがちですが、
唯識の方では人にとって大事な働きとしておさえているようです。
また、一つ課題がでてきました。(笑)
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