本日のzoom法音道場(am11時~11時30分)。
道元禅師の『現成公案』を音読しました。
「人、はじめて法をもとむるとき、はるかに法の辺際を離却せり。
法すでにおのれに正伝するとき、すみやかに本分人なり。
人、舟にのりてゆくに、めをめぐらして岸をみれば、きしのうつるとあやまる。
目をしたしく舟につくれば、ふねのすすむをしるがごとく、
身心を乱想して万法を弁肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。
もし行李をしたしくして箇裏に帰すれば、万法のわれにあらぬ道理あきらけし。」
本日、ご参加の皆さんとの共有した課題は、
「自心自性は常住なるかとあやまる」。
実は、親鸞上人は、『教行信証・信巻』の序で、
「しかるに末代の道俗・近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、
定散の自心に迷いて金剛の真信に昏し。」
道元禅師は、「自心自性は常住なるかとあやまる」。
親鸞聖人は、「自性唯心に沈み浄土の真証を貶す」。
表現は違いますが、指し示して下さっているところは同じと思います。
zoom法音道場では、
「自心自性」「自性唯心」は、各人の自己の有り様。
自分と言う物差しとして説明させてもらいました。
その上で、各各の自分の物差しは、「絶対」と思い勝ち。
「自己」という自分の物差しを、「変容」することの楽しみ。
人生の極意は、この辺に有るように思います。
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