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里村専精師 「浄土真宗にようこそ」No72

2017年03月02日 23時41分28秒 | 日乗

里村専精師の「浄土真宗にようこそ」No72をお届けします。

私たちの理性で捉えていると思っている存在は、
実は「存在者」であって「存在そのもの」ではありません。

ということが分かるのは、二十世紀になってからのことです。
なのに、例えば龍樹菩薩の「般若空」とか、天親菩薩の「真如法性身」は、
存在そのものを語ったものでした。
仏教は驚くべきことに、釈尊の初めから存在そのものを語っていたのです。
もともと「衆生」という言葉そのものが、
“sattva”と言えばそこに存在する者という意味があります。

けれども中国でも日本でも、存在を考える受け皿がなかったのです。
で、「衆生」を文字面だけで考えて、それで理解したかのような風土をもたらしました。
こういう風土を突き破って、私たちの真実の存在を語るということが先人の冒険でした。
七祖は全部、そういう偉大な展開を受け継いだ人たちでした。
勿論、七祖だけではありません、ほかにも多くの先達がおられます。
けど、一般には存在を問うという問題意識すらなくなっているのではないでしょうか。
私たち(衆生=存在者)の救済は、
私たち一人ひとりの存在そのものを回復する道程においてかなえられます。

「涅槃」とか「菩提」と言われていたものは、万法の根底になる存在の事実の世界を言います。
すでに法と言いますが、「法(dharma)」こそ存在の道理を言います。
そういう存在の道理に我々が相応してゆくところに、真如法性身を得るという学びがあるのです。
その場合、学びは頭脳ではなく存在が致しますから、
「入」・「住」・「出」という文字で示されます。

「帰入する」とか、「帰命する」というのが、その学びなのです。
浄土とは、考える世界ではなくて、帰る世界なのです。
善導大師は「帰去来(かえりなんいざ)」と言われていますが、存在の故郷へ帰るという姿勢です。
南無阿弥陀仏とは、そういう存在回復の大行だと言われたら分かるのではないでしょうか。

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