今朝の東京新聞の『筆洗』に、
忌野清志郎さんのエッセーが紹介されていました。
引文させていただきました。
ぜひ、お読み下さい。
「地震の後には戦争がやってくる。
軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。
国民をバカにして戦争にかり立てる。自分は安全なところで偉そうにしてるだけ」。
昔、有名なロック歌手がそう書いていた。
「日本国憲法第9条に関して人々はもっと興味を持つべきだ」という題名でつづったのは、四年前に亡くなった忌野清志郎さん。
雑誌で連載していたエッセーをまとめた『瀕死(ひんし)の双六(すごろく)問屋』(小学館文庫)に収録されている。
書かれたのは阪神大震災から五年後。
ただ、よく見ると、「没原稿その二」とある。事情があって雑誌には掲載されなかった原稿が、単行本化する際に復活したのだろう。
欧米とは違って政治的発言を控える芸能人が多い中、レコード会社の横やりにも負けず、
反核や反原発を訴える曲を発表してきたこの人が健在だったら、福島の原発事故の後、どんな行動をしただろうか、と想像してみる。
衆院の代表質問で安倍晋三首相はきのう、憲法九六条の改正に強い意欲を示した。
反発の強い九条は後回しにして、発議の要件を緩める既成事実をつくり、外堀から埋める戦術だ。
「五十年以上もの間、戦争の無かった国は世界でも珍しいのだ。
その点だけでも日本はすばらしい国ではないか」とも清志郎さんは書いていた。
それを誇りに思えない人たちが、残念ながら増えているらしい。
清志郎さんに生きっていてもらいたかった!
本当に。
昨日の、安倍首相の原子力発電所の新設に関する国会答弁。
「今後の我が国のエネルギーなどを巡る情勢を踏まえ、ある程度の時間をかけて腰を据えて検討する」
「ある程度の時間をかける」等、ナンセンスです。
原発問題は、一刻でも一日でも早く、具体的対策が必要です。
こんな呑気なことでよいのでしょうか!
この安倍首相の発言の裏には、財界とツルンで原子力発電所の再開・新設が透けて見えます。
安倍首相の景気対策も憲法改正も大心配です。
夏の参議院選挙が大事です。
少しぐらい景気が回復しても、ダマされてはいけません。
自民党が勝利したら、
憲法改正、原発再開・新設の道が開かれ、戦争への道が一気に開かれてしまいます。
清志郎さんのエッセー
『瀕死(ひんし)の双六(すごろく)問屋』(小学館文庫)
読んでいません。
すぐに読みます。
今日も、聞者くりのみ《日乗》に来てくれてありがとうございます。
帰命尽十方無碍光如来
我が国の政治責任は、政治指導者の手の中にしっかりと握られている。
政治家は、国民の代理人。我が国は、主権在民である。
軍部・官僚は、効率よく政治を行うために雇われた要員にすぎない。
官僚は、政治家からの頼まれ仕事に汗をかく人たちである。
軍部の暴走・官僚の横暴を抑えられない政治家は、その存在をゆるされるはずもない。
自分の飼犬を調教できない飼い主を選ぶのは、有権者の無責任であろう。
とかく、この世は無責任。
一億総玉砕と一億総懺悔ばかりを繰り返すのではたまらない。
国のありようは、国民一人一人のありようで決まる。
民主主義は最低だ。しかし、それを超える制度は存在しない。
我々有権者はもっと頭を鍛えておこう。
現実肯定主義にとらわれて、現実の矛盾を指摘できない。矛盾解消に向けて総決起できない。
立ち上がるための内容がない。だから、おとなしい。
意思のないところに解決策はない。意思 (will) は、未来時制の内容である。
日本語には時制がない。無為無策には、閉塞感と諦観が待ち受けている。
自分に意見がなければ、相手の言いなりになるしかない。「よきにはからえ」か。
我々の政府は、軍部の言いなりになるか、官僚の言いなりになるか、それともアメリカの言いなりになるのか。
この道は、いつか来た道。ああ、そうだよ、民族の歴史は繰り返す。
何時の時代も、先行きは不透明であります。
ただ、現在の日本は、本当に危ないように思います。
一つには、人口減。
一つには、福島第一原発問題。
経済が少しぐらい冷え込んだら、それなりに生活のレベルを落とせばよいことですから・・・
「歴史の繰り返し」で済めばよいのですが、そうはいかないところに直面しているように感じています。
また、よろしく。