門前の小僧になりたいくらげ

学究的な空気に憧れて専門家の周りに出没しては雑感を綴るブログ。化石鉱物系がやや多し、の予定。

阿寺断層の断層崖〜2017.10.15学芸員と歩くふるさとの大地「東濃編」その3〜

2017年11月02日 | 古生物学・地学

 阿寺断層を遠望して概略の講義を受けた後は断層崖の見学です。断層崖は読んで字のごとく地表に現れた断層の相対的なずれ運動によってできた崖のことです。中津川市坂下では大きく分けて4段の段丘面を持つ木曽川河岸段丘を横切る形で阿寺断層が走っていますので、段丘の形成時期と断層の移動量を合わせて考察することで阿寺断層の活動の解析がなされています。予定では観察する断層崖は1ヶ所でしたが、3ヶ所回ることができました。

 まずは1ヶ所目。木曽川河川段丘のうち一番河床に近い面=新しい面である西方寺面にある断層崖です。水路の左側の斜面のように見える部分が約2mの断層崖で、人の手によって造成された場所だよ〜と言われれば、うん、そうよね、とそのまま見過ごしてしまいそうな高低差です。ちなみに西方寺面での縦ずれは最大で4mほどだそうです。

 次いで坂下面(河床から数えて2段目、高い方から数えて3段目の段丘)にある断層崖です。写真の撮り方がへたで申し訳ないですが、中央手前の黒っぽい瓦の家は崖下に建てられており、その奥にある茶色っぽい瓦の家は崖上に建てられているので、この地点での高低差は7mほど、と思ったら配布資料に載っていた答えは約10mでした。目測も難しいです。

 最後に、高い方から数えて第2面である高部面での断層崖。竹藪のあたりと家屋の建っている辺りの高低差約30m?すみません、くらげびとの目測はあまりあてにならないので、、、。でも西方寺面・坂下面・高部面と河岸段丘を外側に上ってくるにつれて=時代が古くなるに従って断層崖の高低差が大きくなっているのは目に見えて分かります。それだけ阿寺断層が河岸段丘形成時期を通じて活動してきたということです。

 なお、第1面の松源地面(河床からの比高約60m)はこの写真では針葉樹に覆われた方向にあって観察できませんが、当該河岸段丘の最上部です。

 他にもいろんな興味深い会話が飛び交っていたのですが、そもそもの基礎知識が不足しているくらげびとに消化しきれるものではありませんでした。せっかく専門家とご一緒できる機会なのに、ああ、もったいない!

  ちなみに話題の一つでもあった河岸段丘とはなんぞや、ということですが。。。一言で言うと河川に沿って形成される階段状の地形のことで、河川の浸食作用と氷期ー間氷期の気候変動及び隆起などの地殻変動によってできます。。。が、しかし!具体的に説明できるかと言われると、、、。しかも会話中の言葉を拾うと、河川の浸食堆積は上流と下流では異なるとかなんとか。え、どういうこと?聞き直そうとしている間に話題が他に移ってしまってよくわかりませんでした。。。後日改めて調べてみると

「下流では氷期に浸食、間氷期に堆積(氷期に海面が低下して河川の勾配が急になるため下方浸食が大きくなる)」
「上流では氷期に堆積、間氷期に浸食(氷期は高山の植生が減少するため岩屑の生産が増え、河川の流量が減少し、堆積する)」

また、「隆起地域で、気候変化による侵食-堆積を繰り返すと河岸段丘ができる。」←ここが中高で習う部分です。

 うーん、くらげびとが付け焼き刃で説明するより、他の方のサイトを見る方がわかりやすいかも。ということで、断層、段丘、地震に関連して下にいくつか挙げておきます。

 

参考:国土地理院公式サイト国土地理院日本の典型的地形について

   日本国政府の地震調査研究推進本部公式サイト地震本部

   木曽谷第四紀研究グループ「岐阜県坂下町における阿寺断層による段丘面の転移」第四紀研究第3巻第3号 Feb.1964

   Wikipedia 河岸段丘

   他にも個人サイトなのでリンクは控えましたが地理の基本的な用語を分かりやすく解説されている「高校地理を分かりやすく,そして楽しく!」というサイトもあります。現役高校教師の方が書かれていて河岸段丘のでき方も分かりやすく説明されていますので(氷期に下方浸食が起きる方のモデルで説明されています)、興味を持たれた方は検索なさってみてください。

 


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