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醍醐源氏 信濃小路系図 と その周辺(メモ)

2018-02-12 11:16:38 | 雑記
前回わかったことをまとめつつ、新たな私的発見を書いていこう。

前回、季兼の祖父「清長」の母親が、近江国佐々木氏の「源扶義」の弟 源雅通娘であることがわかった。
系図としては、清長ー俊兼ー季兼ー季長・頼暹
となる。

一方、季兼の妻が藤原資長の娘(日野流)であること、その息が「藤原兼光」(姉小路)が近江権守であったこと。
藤原資長(日野入道)は日野実行の次男であり、母は高階重仲の娘であった。そして高階栄子とも時代が重なっている。

なお、資長の長男は「資憲」(蔵人・勘解由次官) 二男が「資長」である。

季兼のコトバンクを読むと、「平安末期の官人。父は土佐守源俊兼。摂関家の藤原忠通に仕えて,石見守から木工権頭を経るなかで摂関家の政所の経営に尽くす。
一方,能登国の500町におよぶ大荘園の若山荘を忠通の娘皇嘉門院に寄進したが,これはのちに九条家に伝えられ,季兼の子季長が九条家に仕えるようになり,以後,子孫は九条家に仕えるようになる。<参考文献>五味文彦『院政期社会の研究』 」とある。能登若山庄を寄進した先の「皇嘉門院」であり、崇徳天皇の中宮となる。


能登国の荘園の領家職が日野資長の子孫に伝わり、九条家の家司の方は源季兼の子孫の方に伝わっていった。

…とそこで、源季長を調べていくと、意外なことに突き当たった。
(源季長…九条家の家司のみならず、伊予守・太皇太皇亮兼伊予守を務めている。)

この季長だが、同時代に「中原宗房」の息にも同じ名前の人物がいた。
しかも、この宇都宮氏は【藤原北家道兼流宇都宮氏】で、まさに「藤原北家九条流」で、関係がありそうに思える。(安易だろうか?)



そして、(日野資長の息=)兼光の息には「資実」「広橋頼資」がいる。

この広橋勘解由経光(頼資の息)は、中原景経と関係がある。ここで九里氏との関係もあった可能性が高まるように思える。


この中原景経こそ、九里の祖(九里太郎蓮忍入道)の伯父となる人物で、近江国伊香郡 富永庄の勾当だったのである。



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