以下のブログに、思いもしなかった「能登畠山氏」と「近江国佐々木氏」の関係が出ていた。
http://blog.sasakitoru.com/201008/article_1.html
「九里氏」にも可能性が広がった感じがする。
能登畠山義綱 奉行人 馬淵綱重 のことが出ており、近江六角氏の重臣馬淵氏の出身と考えられるとある。
(上記の佐々木哲氏ブログより)
能登畠山家武将総覧 http://nanao.sakura.ne.jp/souran/souran5.html
馬淵 綱重(まぶち つなしげ) 生没年不詳
彦三郎。畠山義綱に仕えた。寺社領の代官として活躍したのが確認できる。
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佐々木哲氏のブログには、さらに六角佐々木氏と能登畠山氏を結ぶのが【近江国余呉荘】とある。
琵琶湖・湖北の余呉は、九里氏の祖である「中原経任」の系の先祖が活躍していた場所である。
(多分、開発領主として。)
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三河松平氏も、松平益親(泰親息、式部丞)が日野裏松家代官として近江国菅浦に派遣され、菅浦住民と対立した際には、三河から援軍が来たと菅浦文書にある。こうして近江武士が三河に移る素地ができた。
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松平氏と九里氏の関係は江戸時代も続いているようなので、たぶんこれも関係があるのだと思う。
日野氏が絡んでいるあたりも、若山荘の久能利氏との関係を彷彿とさせる。