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【本郷氏】と【佐々木越中守】

2017-10-30 12:05:46 | 本郷氏と佐々木氏
本郷氏と佐々木氏とのつながりを見てみようと思う。
佐々木哲氏のブログ【佐々木哲学校】からのものだが、

「…平井五郎師綱(佐々木越中守)の三男能州九郎左衛門尉師信と推定できる。師綱は兄範綱が早く没した後に、越中家を継いで在京御家人本郷隆泰(若狭大飯郡本郷地頭)女子を妻とした。そのため、師綱に始まる平井氏も広い意味で越中家といえる。」とあるではないか!

http://blog.sasakitoru.com/201010/article_2.html

また、平井に関しては、こちらのページが詳しかった。
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keijiban/hirai1.htm

(1) 高島郡平井……佐々木宗家信綱の子の高島高信の曾孫・師綱は平井左衛門尉を名乗ったが、この流れは戦国末期まで足利将軍家に属し、後に加賀守秀名は信長に仕えたが、子孫は讃岐高松の生駒氏に仕えた。支流が三河にあって安城譜代として旗本にある。師綱の子の時綱は、貞和元年(1345)の足利尊氏の天龍寺供養の際に守護六角氏に従って先陣随兵を務めたから、この平井氏も有力であった。なお、平井定武とほぼ同時代の平井伊予守貞秀やその子ではないかとみられる伊予守秀政(織田信長や豊臣秀長、真田信幸などに仕えた)は、高島郡平井の一族か。

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調べてみると、たしかに蒲生郡安土町大字下豊浦には現在でも平井公民館があり、この付近一帯が平井とみられますが、これは平井氏の一系の祖が「豊浦冠者」と名乗ったこととも符合します。

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豊浦冠者!!ということは、佐々木行実かと思っていたが、平井氏と豊浦も関係があったのだ。そして佐々木宮の神主にも平井氏の名前がある。

平井三郎定景の母は佐々木宗家定綱の娘ということで、しかも氏神たる佐々木宮神主の職ももったから、佐々木氏族のなかでも有力な支族であったといえよう。定景の子の世代で、おそらく武家と神職家とに分かれたとみられ、平井三郎定能の六世孫の九郎家綱・五郎高定兄弟まで「佐々木系図」に見える(『姓氏家系大辞典』平井第三項)。家綱・高定兄弟の曾孫世代くらいにあたるのが平井定武ではないかとみられる。

下の系図と合わせてみるとわかりやすいと思う。
 
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hirai.html
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ともかく、本郷氏が越中家(高島)ともつながりを持っていたことがわかった。心強い証拠である。


以前書いた記事の勘が当たっていたのかもしれない。

http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori/e/aaaa8bf96eed0a1bf0fd9da2ab1070a9